私が一番最初にクラシックピアノの手ほどきを受けたのはたしか幼稚園児のときで、先生は関西歌劇団のバリトン歌手であった。
いったい、母はどうやってその先生を見つけてきたのだろう?先生のお宅は地元の呉服店で、一階がお店、レッスンは二階の少々薄暗い、でもけっこう広い部屋で行われた。
先生はおたまじゃくしが理解できない幼稚園児の私のためにわざわざおたまじゃくしの代わりにりんごの絵を五線譜に書いてわからせようとされたのだった・・・
しかしなぁ、「そことちゃうねん」というもどかしさ。なにしろ、おたまじゃくしであれ、りんごであれ、譜面立てにのっかっている紙と、ピアノの鍵盤との関連性がまったくわからなかったのである。
そこでだ。
当時の私にクチで説明ができるはずもなく、たださめざめと泣いた。先生はどれほどお困りになっただろう。
決して先生が嫌いだったわけではない。先生の舞台は母や叔母、姉、従兄とも見に行ったが、先生がモーツァルトのオペラ「魔笛」で鳥刺しパパゲーノの役で登場したとき、なんだか晴れがましい気持ちになって夢中で拍手をしたものだ。
ああもし、あれが今だったら、先生の演奏会はすべて見に行き、レッスンもどれほど気合がはいっただろうに。先生は今の私の年齢に達する前にお亡くなりになられていた。
ごめんなさい、先生。
こんな泣き虫ガキを相手にする暇があったら、練習したかったでしょうね?あの頃、私はホンマにアホでした。今はピアノ、好きですから。