夢でささやくピアノ

クラシックピアノとジャズピアノの両立を目指す、ねむいゆめこの迷走記録

あのときは弾けたんです、と弁解する

 

仕事をやめ、年金生活に突入してからはや2年余になる。再開ピアノライフもほぼ2年となるので、これまでどんな曲をレッスンでみてもらったのか、思い出してみた。

となるが、ミスタッチなしで弾ける曲がない。ミスタッチはおろか、最初の音が思い出せる曲もほとんどない。けっこう練習して、「合格印」を先生からいただいたときは、ほとんどミスタッチなしで弾けたのに、である。

おかしいなぁ~ あのときは弾けてんけどなぁ~(ゆめこ、しょげこむ)

 

反して、子どものときにレッスンを受けた曲は覚えているものは多い。ベートーヴェンの「悲愴」の第2楽章は今でも、ほぼノーミスで弾けるし、第3楽章は速度こそ「往年」のようにはいかないが、最初の1ページ分ぐらいまで暗譜で弾ける。

 

思うに、子どものときに身につけたものは、ながく身につくのでは?「三つ子の魂百まで」は、ある意味真実なのでは?

大人になってから、それも六十路を超えてからの手習いに多くを求めるほうに無理があるのでは?

 

そこで私は考えた。

「そうや! いまこのときの私の演奏を動画で残したらええねん。そしたら、あとになって、あのときは弾けたんです、と自分にも他人様にも 言えるやん。」

これが私が恥も外聞もなく、YouTubeに動画を投稿するようになった動機である。

でもこれって「ぴちぴちした美しいワタシを記憶にとどめたい」と、プロの写真家に撮ってもらう若い女性の心理とあまり変わらないのでは?

合格した時の私の演奏が、ぴちぴちしているかどうかに疑問が残るとしても??

自分が決めたことに自分でびっくりする。まぁ、これはいつものことだけれど。