もう、2週間以上になるだろうか。
ハノンもツェルニー30番も40番も、アルペジオもスケールもやっていない。基本的に私は練習曲が苦手だ。全部の指を独立させ、音の粒を揃えるためには、多くの専門家がおっしゃっているように、練習曲は必須なのであろうけど。
なぜ、好きでないかというと、
- ほとんどのメロディーが魅力的でない(私にとっては)。
- すばらしいピアニストが弾けば美しく聞こえるが、私が弾くと自分の耳にも堪えられない。
- 練習曲がうまく弾けたからほかの曲も上手になった、とは思えない。だから時間を損した気になる。
しかし、レッスンが惨憺たるものに終わると、さすがの私も、自分のやり方はたぶん間違っているのだろう、と思い至り、あわててツェルニーとかハノンとかをひっぱりだす。そのうちまたいやになって、というか譜読みさえ面倒になってやめてしまう。
練習曲に飽きる→レッスンで失敗→練習曲を再開する→飽きる→失敗する
果てしない、これはループだ!
どこで読んだか聞いたか忘れたが、フジコ・ヘミングさんが、「私は曲のなかの難しいところで指の練習をする。だって、人生は短いのだから、練習曲をやっているヒマはない」と言っていた。
(わっ その通りだ!)そして、アルゲリッチはこう言っている。
「ピアニストはみな、スケールとか練習するようだけれど、私はしたことがない」(恐れ入りました。)
ここで忘れてはならないのは、両人ともにピアノの「天才」であることだ。たとえ、「天才とは1%のひらめきと99%の努力」であるとしても。間違っても私個人の練習メニューのお手本にするべきではないだろう。
だから、私としてはできれば、「練習曲はやってもやらなくてもどっちでもいいよ~」と専門家が口を揃える時代がきてほしい。
音楽を聴く手段が、いつのまにか、レコードからカセット、CD、MD、そして音楽配信サービスになったように。
お茶の間の主役だったテレビが、パソコンやスマホに押されて影が薄くなったように。そうしたら、私も「やってへん人も多いもん」とうそぶき、罪悪感に駆られることもないだろう。
ところで、ハノンは生きていれば今年201歳。ツェルニーはなんと229歳である。
老いて(死して?)ますますさかん、いまだなお、ピアノ学習者に多大な影響を与える音楽界の重鎮である。
私の望みが現実になることはなさそうだ。