夢でささやくピアノ

クラシックピアノとジャズピアノの両立を目指す、ねむいゆめこの迷走記録

あしたのレッスンでいくつミスをするのだろう?

 

あしたはクラシックピアノのレッスンだ。

みてもらうのは、バッハ シンフォニア1番と、ギロックの「ワルツ・エチュード」である。

きょう、おさらいをしたら、シンフォニア1番のミスは0-1回、ワルツ・エチュードでは3回ぐらいだった。

ふつう先生の前では、家で弾くときに比べて3-4倍のミスをするから、あしたはシンフォニア3-4回、ワルツ・エチュードは9-10回ぐらい? ちょっとそれは多すぎやしないか。

ワルツ・エチュードを選んだのは、メロディーに魅かれたのと、譜読みが簡単そうにみえだからだ。だが、ちょっと見立てが甘すぎた。バッハを優先させていたら練習時間がなくなり、右手オクターブのところで結構、はずしてしまう。困った。でも、もう間に合わない。

どうしてクラシックピアノのレッスンではこんなにミスをするのだろう?

それは一にも二にも緊張しているからだろう。ジャズと違って譜面通りに弾かないといけない、というプレッシャーもあるが、何より、先生の前で恥さらしをしたくない、というある種の見栄からだと思う。

子どものときはある意味、図太かった。全然練習していないのに、レッスンにきただけましでしょう?といわんばかりに先生の前でトロトロと譜読みをしてへっちゃらだった。

しかし、大人ともなると、先生の前でひどい演奏をするのはみっともない、先生にたいして申し訳ない、と思う。おまけに、先生はいつもこちらが弾き終わったあと、

「どうでしたか?何か気になることはありましたか?」と聞いてくださる。

まるで、ミスの原因の申し開きの機会を与えられているようだが、

「えーとですね。右手がテーマのところと左手がテーマのところをそれぞれ、ひきたたせようと思ったんですが、それがけっこうそれがむずかしくて・・・」

しどろもどろの回答である。本当は譜面を追うのにせいいっぱいで、そこまで考えていないのだ。

実際、先生はこちらがひどい演奏をしてもこちらが思うほど、気にされていないのかもしれない。生徒のほうも、できないからレッスンにきているのであって出来が悪かろうがなんであろうが、卑屈になる理由はないのかもしれない。

緊張したらミスが多発する、というが、本来それが自分の実力なのだろう。そうだ、あしたは自分のたりないところを甘んじて受け止めるのだ!(しかし、毎回同じことをいってるね)