夢でささやくピアノ

クラシックピアノとジャズピアノの両立を目指す、ねむいゆめこの迷走記録

ハイフィンガー奏法は習ったが、習わなかったこと

子どものときは最後まで弾ければOK


きのう、ショパンの曲で「弾けそうな曲は子どものときにやってしまった」書いたのはちょっとエラそうに聞こえないか?

補足の意味もあって書き足したいのは、私が小中学生のころのレッスンはとりあえず最後まで弾ければOKだったのだ。まあ、あんまりつっかえつっかえだと、「また来週もやってきてね」となるが。

あの頃、音色がどうとか、曲想を考えて、とか言われた覚えがない。単に私が忘れているだけなのか? でも、「脱力」も誓って言われたことがない。

 

ハイフィンガー奏法が主流だった

反して、指をもっとしっかり上げて、とは何回も言われたような気がする。いわゆる「ハイフィンガー奏法」だ。私はその影響を受けたのか?

いいや、なぜって音大へ行くためにレッスンを受けているのでもなかったし、ピアノよりも大事なことがいっぱいあったし。当時の中学生も忙しかったのだ。

まず、塾には行っていなかったが、部活があるから放課後は丸つぶれ、8時のゴールデンタイムは歌謡番組、そして一家そろって阪神タイガースのファンだったから、野球中継で江夏・田淵の黄金バッテリーを応援、深夜ラジオ放送も聞き逃せなかったし・・・

ハイフィンガー奏法について詳しくは↓をごらんください。

2013815piano.blog.fc2.com

たいていの曲は聞いたことがなかった

あの頃は、曲を決めるとき、まず、先生が、「来週からは、この曲をやりましょう」

とおっしゃって、まず弾いてくださる。私はボーッとみていた。好きとかどうとか、感想も言った覚えもない。その曲らは90%、知らない曲だったし、家にレコードもなかった。

家には、「クラシック名曲全集」もあったが、収められているピアノ曲ならベートーヴェンなら4大ソナタとか、モーツァルトならトルコ行進曲とか・・・

だから、それらに比べたらあまり知られていない、ベートーヴェンソナタ1、20、25番とか、モーツアルトの8、13番とかは、プロのピアニストが弾いているのを聞いたこともないのに、練習して「合格」をもらっていたことになる。

後年、これらの音源を聞いて心底ビックリした。似て非なり、とはこのこと、とてもかつて習った曲に聞こえなかったからである。

当時としても、やりようはあったかもしれない。たとえば、「モーツアルトピアノソナタの〇番がはいっているレコードをください」と言って、三宮や元町のレコード店をかたっぱしから回るのだ。

でも、行動範囲が狭くて、大人へのものの尋ね方を知らなかった中学生の私にはハードルが高かったし、両親も教育熱心であるようで、そういうことまでは考えなかったようである。

 

YouTubeを練習のツールとして使う

楽譜をみただけで、曲想がイメージできる上級者を除いて、ふつうの人はまずいろいろな音源をきいてレッスンに役立てるのが近道では?その意味で、現代ではYouTubeという革命的なツールが存在する。でも、間違って私のYouTubeチャンネルにアクセスしてしまったら?

「よいこのみなさん、どうぞ、ゆめこのまねはしないでください」と、謹んで申し上げたい。