ドビュッシーはお好き?
きょうのタイトル、「ドビュッシーはお好き?」は、フランソワーズ・サガンの小説、「ブラームスはお好き」のもじりである。
フランソワーズ・サガンは私が20代の頃は、大変な人気作家だった。新潮文庫の海外文学のコーナーには、サガンの小説がずらりと並んでいたものだった。「悲しみよこんにちは」「ある微笑」「ブラームスはお好き」とか・・・最近とんと見かけないので、気になっている。
ところで、ドビュッシーが好きかどうかと聞かれれば、1秒たってから「もちろん、好きです」と答えるだろう。なぜ1秒か、というと私が好きなのは、「月の光」「アラベスク」「夢」「亜麻色の髪の乙女」であって、その他の代表作、交響詩「海」や「牧神の午後への前奏曲」とか、オペラはぜーんぜんわからないからである。
ドビュッシーは1862年生まれだから、私より約100年前に生まれているのだけれど、私の音楽的感性は彼よりたぶん100年は遅れているのだろう。だから、本当に「ドビュッシーが好きです」といっていいのか躊躇してしまうのだ。
ドビュッシーは男性としてどこがいいのか?
ドビュッシーというピアニスト、作曲家は女性関係が複雑だったことも知られているようだ。人妻と不倫、恋人がいるのに別の女性と婚約、別の女性に乗り換えようとして元恋人が自殺未遂、とすぐ、どろどろした関係になってしまうひとだったようだ。
別の見方をすれば、それほどモテモテだったということになるのだろうか?女性たちは彼のどこがそんなによかったのだろう? 音楽的才能? それだけ? 彼の風貌はやたらおでこが出っ張っていて、美男とはいいがたい。女の人のハナシをよく聞いてあげる優しいひと、だったのか? どうもよくわからない。
ピアニストでエッセイストである青柳いづみこさんは、ドビュッシーに関する評論をいくつも書いていらっしゃるので、数冊読んだが、そういう下世話な話はまったく書かれていなかった。ちょっとがっかりした。
「Chouchou」の訳は「キャベツちゃん」でいいのか?
しかし、ドビュッシーは40歳すぎてから恵まれた娘、クロード=エマにめろめろだったため、株をあげたと思う。
女癖は悪いが、娘に対しては限りない愛情を注いだため、「ほんまはそんなに悪い人やない」と評価されるに至ったのではないか?
ところで、ドビュッシーは娘、エマを「私のキャベツちゃん」と呼んだ、という記事が散見されるが、「chouchou」というフランス語は一語で、「お気に入り」という意味があり、愛情を注ぐ相手について使われるため、「chou=キャベツ」を直訳であてはめるのはどうかと思うのだが?
今度、ムッシュー先生に確認してみよう。
安川 加壽子氏について
日本におけるドビュッシー演奏の草分け的存在は、安川 加壽子氏(やすかわかずこ、1922年 - 1996年)だろう。
このかたのお生まれは神戸市東灘区深江で、私の生まれたところから電車で2,3駅の近距離だ。
けれどもお父上が外交官という、やんごとなきお生まれのため、生後ほどなくパリに移住、パリ国立音楽学院を首席で卒業、とある。うらやましいねぇ。えらい違いだ。
フランス語はペラペラ、ピアノはバリバリ、で戦前の華やかなパリの空気を吸って、娘時代を過ごされたのだ。タメ息がでるわ。お姿も気品があってお美しい。
もしや、と思ってYouTubeを探したら、録音があったので、「月の光」を貼っておく。
マダム、意外に力強い演奏ではないか。