「ピアノの貴公子」リチャード・クレイダーマン
先日、ポール・モーリア楽団について記事を書いたが、ポール・モーリア楽団に勝るとも劣らず、日本で人気爆発したイージーリスニング界の大物と言えば、まちがいなく「ピアノの貴公子」、リチャード・クレイダーマンさんだろう。
ヒット曲は、「渚のアデリーヌ」「愛のコンチェルト」「愛しのクリスティーヌ」・・・CMやドラマの主題歌として使われたことも多かったようだ。
その甘く、ときに切ないピアノのメロディーに加えて、クレイダーマンさんが金髪碧眼の美男子であったことも、ブレイクの大きな要因だったと思う。当時はイケメンという言葉はなかったからね。ハンサム、というかカッコいいというか、とにかく「貴公子」としかいいようのない容姿だったのだ。
先輩ピアニストMさんの思い出
クレイダーマンさんが、日本公演を初めて行ったのが1980年。
そう、あれはわたしが大学卒業後、企業に就職することを半ばあきらめ、神戸三宮のクラブ「F」で、ピアノを弾いていた時代。
そのクラブにはレギュラーピアニストのMさんという男性ピアニストがいて、レギュラー歌手の歌伴のほか、ソロでもピアノを弾いていた。(私は彼の前座的存在だった。ちなみに歌伴は相当腕がないとできない)。
Mさんは私と違ってジャズからピアノを始めた人で、クラシックもジャズもピアノは習ったことがない、と言っていた。そして彼にとっては、リチャード・クレーダーマンがクラシックだったのだ!(なんか違うと思うけど・・・と思ったが、大先輩に向かってそんなことは いくら私でも言わなかった)
Mさんは、「こういうの弾いていると、癒されるねん」と独り言のようにいいつつ、クレーダーマンを弾くときだけ、譜面台に楽譜をおいて、間違わないように、丁寧に、生真面目に弾いていた。
そのころ、レギュラー歌手は、毎日のように、もんたよしのりの「ダンシング・オールナイト」を歌っていたが、その伴奏のときとはエラい違いである。
Mさんが弾いていたせいもあって、私は練習でもリチャード・クレーダーマンを弾いたことがない。もしMさんが弾いていなかったら? それでもやっぱり弾いていないと思う。はっきり言って、甘すぎて好みではないのだ。
けれども、どうしてあの時代、人々に(特に日本、アジアで)あのメロディーがそれほど愛されたのか、考えてみるのも悪くないと思う。
貴公子時代の「渚のアデリーヌ」
リチャード・クレーダマンさんが「貴公子」だった頃の動画を見つけたのでぜひご覧ください。
今のクレイダーマンさんが好き
リチャード・クレイダーマンさんが貴公子だった頃、私はクラブでは「ピアノの女の子」だった。
今のクレイダーマンさんの動画をみると、「おトシのせいか、髪が薄くなったかな~」
と思うが、同類相憐れむ、というところだろう。カメラに向かって話しているところをみると、人のいいおじさんに思える。
親近感を覚えるだけ、私は今のクレイダーマンさんのほうが好きだ。それでは彼のピアノで、チャイコフスキー「花のワルツ」を聞いてみましょう!