昔から朝は苦手だった
私はこれまで大きな病気はしたことはないのだが、朝、気持ちよく起きられた記憶はほとんどない。
たしかに年齢が上がるにつれ、眠りは浅くなり、10時間以上ノンストップで寝られることは少なくなった。途中で目が覚めて、そのあと眠れなくなることも、なくはない。でもだからといって、そこで起きようと思うことは、まずない。たいてい、布団のなかでぐずぐずしている。そしてあれやこれや妄想していると、いつのまにか寝入ってしまい、再び目が覚めたら午前9時を過ぎていた、ということもよくある。(この場合でも就寝したのは前夜23:00過ぎである)
60を過ぎた今でもこんな具合だから、会社員時代はもちろん、思春期の頃はもっとひどかった。特に私が中学生の頃は、ラジオの深夜放送が花盛りだったから、夜寝るのも遅かったのだ。
そしてどんなに時間がなくても、朝食にチーズをはさんだトーストを食べてから家を出ていた。それも今と変わらない。
中学校の朝の放送
学校の近くに住んでいないのでわからないのだが、今でも学校放送で校外に聞こえるような音楽を流すのだろうか? 当時は考えたこともなかったが、あれって近所に住む人は毎日大きな音で音楽を聞かされて迷惑だったのではないだろうか?
とにかく私が中学生だった半世紀前、通っていた中学校では、毎朝、グリーク作曲のペール・ギュント組曲「朝」を流していた。
ペール・ギュントの「朝」と私の焦り
この曲は朝のすがすがしさが感じられるとてもいい曲で、出だしもフルートでpかmpか、楽譜を見たことがないのでわからないのだが、とても穏やか、と通学路を歩いている中学生の私は思う。
そして、徐々に他の楽器が加わってきて、もうこのころには私は学校の門から約400メートルの公園が視野にはいっていないといけない。
そして中間部でメロディーが最高に盛り上がるところでは、もう信号待ちの地点まできていないと間に合わない。
なのに、現実の中学生の私は、まだ公園を横目でみている地点で、盛り上がったメロディーにあわせるように競歩~小走り状態で、信号に突入しようとしている。
「ああ、あかんかもしれへん!!」と心の中で叫びながら。
だから、私にとってペール・ギュントの「朝」はあの焦りを蘇らせる曲にほかならないのだ。ほんとうにダメかもしれない、と思ったときは信号を渡ってから校門までの坂道を転がるようにダッシュしたよ。
もうその頃にはペール・ギュントの「朝」は静けさを取り戻しているのにね。
迫力満点の「山の魔王の宮殿にて」
ペール・ギュント組曲では「朝」のほか、「ソルヴェイグの歌」とかいい曲があるが、私がことのほか好きなのが、「山の魔王の宮殿にて」という曲。
CMでもよく使われているようなので、ご存じのかたも多いと思う。オーケストラの曲だけれども、ピアノ用にアレンジされたのがあるんだね。
今回、見つけた動画は、ロシア人ピアニストでデニス・マツーエフさんというかたがソロでピアノを弾いているもの。いやはや、もうすごい迫力である。
こういうのを見せつけられると、つくづくピアノって体格のよい男性のほうが有利だな、と思ってしまう。最後のヒジ鉄もすごくって、聴衆はもう、やんやの喝采である。