ジュリー・アンドリュースの映画がみたかった
私が子ども時代、「サウンド・オブ・ミュージック」や「メリー・ポピンズ」を観たせいで、ジュリー・アンドリュースの大ファンになったことは以前、記事にした。
とにかく、彼女が歌っている映画をすべて見たい、と思っていた子ども時代の私だったが、「マイ・フェア・レディ」では、ブロードウェイでジュリー・アンドリュースが主役を演じたのに、いざ映画化となると、主役に抜擢されたのは彼女ではなく、さらに有名なオードリー・ヘップバーンだったということを知り、相当がっかりした。
オードリー・ヘップバーンの歌の吹き替えをしたのは、マーニー・ニクソン。
「ウェストサイド物語」のマリアを演じたナタリー・ウッドも、この方の吹き替えだったから、子どもにすると、「なんや、みな同じ声やん」と思ったものだ。
さて、この吹き替え問題について、主演のオードリー・ヘップバーンは自分が歌うものだと思っていたから、90%以上吹き替えとなったことについて憤懣やるかたない思いだったとか、「吹き替えになるのがわかっていたらこの役は引き受けなかった」と言ったとか、後年いろいろ物議をかもしたようだ。
また同じ年のアカデミー賞で主演女優賞を獲得したのは、「マイ・フェア・レディ」のオードリー・ヘップバーンではなく、「メリー・ポピンズ」のジュリー・アンドリュースだったが、それも「マイ・フェア・レディ」の映画化で抜擢されなかった同情票だった、という話さえある。
その他、いろいろとごちゃごちゃした業界裏話があるようだが、そこまではついていけないので、ご勘弁願いたい。
歌って猛練習してうまくなるものなのか?
オードリー・ヘップバーンについては、本当にきれいな女優さんで、華のあるかただったと、私も思う。でもその歌唱力については、失礼ながら、お世辞にもうまいとも言えないし、魅力のある声でもないし、表現力にすぐれているとも思えない。
だいたい、歌って猛練習してうまくなるものなのか?ピアノなら、今までピアノを習ったことのない人でも、一日数時間練習したら数か月で、「エリーゼのために」ぐらいなら、それなりに弾けるようになると思う。
でももって生まれた楽器である声については、天性のものでほとんど決められてしまうような気がする。
オードリー・ヘップバーンの歌2曲
歌も選びようによっては、あらが隠せるものがある。
例えば、オードリー・ヘップバーンは「ムーン・リバー」で、ギターをつま弾きながら、歌っているが、これは鼻歌みたいなものだから、よしとしよう。
でも、ミュージカルではねぇ。こうはいかない。
↓は、「マイ・フェア・レディ」でオードリー・ヘップバーン自身が「踊りあかそう」を歌っている映像が残されているが、ちょっとこの歌ではオカネはとれないなぁ、という気にさせられる。
ハリウッドの常識はわからない
もしかして、オードリー・ヘップバーンにとって、歌は「挑戦」だったのかもしれない。美貌、演技力で高く評価されていたから、さらに歌でも、と思ったのかもしれない。
でもね、やっぱりプロの歌手はすごいよ。ちょっとやそっと練習したからといって、真似ができるものではないよ。だから、私が抱くオードリー・ヘップバーンのイメージとしては、「いやいや、とても私の歌唱力では及びませんから」と最初に断ってくれたほうが、清純な上、謙遜的で奥ゆかしくて、さらに好感がもてそうなのだが、こういう考え方って生き馬の目を抜くハリウッドでは通用しなかったのかなぁ。