1985年のショパンコンクールでのブーニンの圧勝
1985年のショパンコンクールで弱冠19歳のスタニスラフ・ブーニンが圧倒的な支持を得て優勝したとき、私はクラシックピアノから若干遠ざかったところにいたので、世間の騒ぎようを「ふふん」といった目でみていた。
きのうまでクラシックピアノに爪の先ほどの関心も寄せなかった人々が「ブーニン、ブーニン!」と大騒ぎだったのを横目で見ていたわけである。
そして私自身はクラシックピアノに関心はまだあったものの、専門的に学んだことがなかったので、当時のブーニンの凄さを理解したというわけではなかった。NHKのドキュメンタリーをみて、コンクールを目指す若者たちの情熱に感動はしたのだけれどね。もったいないことをしたものである。
ブーニンと一緒に弾くことを思いついた
さて、29歳から63歳までのピアノレッスン不毛時代に私がやっていた独学方法のひとつに、プロピアニストさんの演奏をヘッドホンで聞きながら自分も同じように弾く、というのがあった。ちなみに、この方法は今でもジャズピアノではやっているが、昔はクラシックピアノでも興に乗ってやっていた。
そして、ドビュッシーの「アラベスク1番」に対する、私の偏愛ぶりが「月の光」を追い越してトップになったころ、YouTubeでブーニンの「アラベスク1番」が投稿されているのを知り、この動画と一緒に弾くことを思いついた。
ブーニンのエレガントさがやっとわかった
動画をよくみると、ブーニンの演奏が素晴らしいのはともかく、ピアノに向かって弾く直前、左手でメガネをちょっと上にあげるしぐさがなかなかエレガントであることを発見した。もしかしたら、1985年当時、ブーニンに熱を上げていたあまたの日本女性はこういうところを見ていたのかもしれない。そうだとしたら見逃していた私は残念なことをした。
どうも私は世間のひとびとが大評価するものに、背を向けたがる傾向があるようで、そのため損をしてしまうこともあり、たまに反省している。
体験レッスンでダメ出しされた、インテンポでない演奏
さて、ブーニンとの「競演」の結果、私は自分なりに「アラベスク1番」はノーミスで弾けるようになったので、もう仕上がったもの、と思い自信をもって、ピアノレッスン再開時の体験レッスンにひっさげていった。ところが、である。
見ていただいた先生は、「あのですね、『こう弾きたい』というのはとてもよくわかるんですけど、 インテンポで弾いてみてください」
「????」
インテンポとは、いうまでもなく、テンポが変化することなく一定の速度で演奏すること、である。自分ではインテンポで弾いているつもりだったのだが、私はブーニンの演奏に倣って、堰を切ったように情感があふれだすところはテンポをぐんぐんあげて、そして平和で満ち足りたところでは、和音をきかせるようにテンポを落としていたもの、と思われる。
その後、正規のレッスンでも「アラベスク1番」を弾くことになったが、先生は何度も、「『こう弾きたい』というのはとてもよくわかるんですけど」と困ったようにおっしゃっていた。
ようするに、私の指はヘナヘナで音の粒も揃っていないのに、急にテンポをあげたり下げたりでは、聞くに堪えない「アラベスク1番」になっていたのだろう。いくら家の中とはいえ、ブーニンと一緒に弾いて連弾気分になっていたとしたら恥ずかしい限りである。
独学が悪かったのではなく、そのやり方がまずかった
それ以来、この練習方法はクラシックピアノではやっていない。独学が悪かったのではない。独学のやり方がまずかったのだ。
そしてつけ加えておくが、ブーニンは今後も、もっともっと活躍してほしいピアニストであるし、彼のドビュッシー、アラベスク1番は素晴らしいと思っていることに変わりはない。