夢でささやくピアノ

クラシックピアノとジャズピアノの両立を目指す、ねむいゆめこの迷走記録

阪神の試合をチラ見しながらの練習が終わった

 

チラ見していた阪神-ヤクルトCS戦

きのうは昼間外出していたので、ピアノの練習は午前中1時間しかできなかった。

私はピアノの練習最小時間を2時間/日と決めているので、外出から戻ってから、あと1時間をピアノ練習のためにひねり出せねばならない。

ところが、きのうは阪神―ヤクルトのCS戦が18:00プレーボールだった。連敗の阪神タイガースにとっては崖っぷちの試合なので、完全無視はできない。そこで私はいつもの戦略にでた。

テレビをつける。だが消音。

生前、阪神タイガースの大ファンだった父の遺影(コンパクトにしたもの)を父が試合を見られるように、テレビ前のガラステーブルの上に設置する。

ピアノはアップライトなので、ちょうど90度の角度においてあるテレビの画面が、ピアノの楽譜立ての横に写る。それをチラ見しながら、私はピアノを弾くのだ。

0対0の均衡が続いていた時には、気が気でなかったので、正直、ピアノの練習があまり身に入らなかった。しかし、3対0でタイガースがリードしたとき、私はちょっと気が緩み、自分のピアノに集中した。

ふと、楽譜立て横に写っているテレビ画面に異変を感じた。詳しくはわからなかったので、私はピアノを中断し、テレビの音声を出して画面に見入った。

そこにはヤクルトの村上が、嚙み殺したような笑いをベース上で浮かべていた。

「ひょっとして、村上にホームラン打たれた?」

でも、ホームランなら何もベース上に転がっていないだろう。最初はわけがわからなくて焦ったが、リプレイを見ているうちに、阪神側のエラーでヤクルトが一挙5点を挙げて逆転したことを知った。

「終わった・・・」

そう、そこで2022年の阪神のシーズンは終わったのだった。寂しく、無念ではあるが、こんな感情にはもう慣れ切っている。だって半世紀以上、阪神ファンやもんね。

「お父さん、また来年やね」と遺影に声をかけ、ふだんの置き場所にあるクローゼットに戻したのであった。

 

父はいつから阪神ファンになったか

東北生まれで学校は静岡だった父が、戦後どうして神戸にきたのか詳しくは私は知らない。そしてどうやって母と知り合ったのが、これまた知らない。

とにかく私が生まれてからこのかた、父はいつも阪神タイガースを応援していた。子ども時代の阪神タイガースの思い出は、小山、村山、バッキーに代表される投手陣が鉄壁で打線は比較的弱く、万年2位だった(1位はいつもジャイアンツ)。

そのうち、江夏-田淵の黄金バッテリー時代が到来し、その後、掛布、バース、岡田の猛虎打線が爆発。このころが一番頻繁に家族で甲子園まで見に行った。

その後、私自身は関西を離れてしまったので、気合を入れて阪神の試合を見ることが少なくなったが、不甲斐ない猫のような虎、勝つと思えば負ける虎、見捨てようかと思ったら勝ちだす虎を、父は愛し続けたようだ。

たびたび、「もう、阪神ファンはやめる!」と怒っていたけどね。

そして、2020年秋、シーズン終了を見届けたかのように、あの世に旅立ってしまった。

 

集中できない私はショパンの教えに反している

どこで読んだのか忘れたが、ショパンのことばに、「ピアノの練習は3時間以上してはいけない。 ただし、練習の間はピアノに全集中しなければならない。」という趣旨のものがあったと記憶している。

これによると、だいたい私は3時間も練習していないし、ピアノを弾いているときも野球中継が気になったり、夕飯に何を食べるか、その他もろもろ気を散らすことが多すぎるのが反省点だ。もしショパンが先生であったら、とっくに破門されているだろう。

でも少なくとも来春までは、阪神の試合に気をとられることなく、心やすらかに練習に励める。だからお父さんも、あの世でゆっくり休んでてね、来春までは。