夢でささやくピアノ

クラシックピアノとジャズピアノの両立を目指す、ねむいゆめこの迷走記録

映画「ハスラー」を観てサラはどうすべきだったのか考えた



 

ハスラー」ってどんな映画?

これってたしか、ビリヤードをする男の挫折と再起を描いた映画じゃなかったっけ?

ポール・ニューマンという名優が主演し、名画の評判が高い1961年とかなり古い映画を今まで見る機会がなかったのは、なんとなく私の好みの映画ではない、と思い込んでいたからかもしれない。

最近、NHK BSで放映していたので、先日録画しておいたのをやっと見たのだが、まず出だしから60年代のジャズが流れたので、ここから興奮状態。

アラン・ドロンジャン・ギャバンが主演した1963年の映画「地下室のメロディー」に雰囲気が似ている。

どちらもモノクロだし。

そのモノクロゆえにポール・ニューマンの澄んだ青い瞳が見られなかったのは残念だったけれど。

でも見る人の視点によってこうも違うのか・・・

世の中のこの映画についての大方のレビューが、賭けビリヤードにすべてを賭けた男のロマンへの賞賛だったのに対し、私にはポール・ニューマン演じるエディの恋人、サラの恋愛心理映画に思えたのだ。

 

映画「ハスラー」のあらすじ

この映画のあらすじをざっくり紹介すると、

賭けビリヤードでめきめき頭角をあらわした若者、エディは15年間無敗のミネソタ・ファッツに勝負を挑む。最初はエディが勝っていたものの、驕りから大敗し無一文になったエディは、小説を書いている半アル中の女、サラと知り会い、ともに暮らすようになる。エディはサラのいう「堕落したねじ曲がって壊れた世界」で再びハスラーとして再起を狙うが・・・

 

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サラはいつから目がハートになったか

サラはナンパされたときから、エディにほい、ほい、ついていったのではない。

最初はどちらかといえばガードが固く、部屋に入ろうとしたエディを締めだしたりもしている。

ところがあれよあれよとエディに魅かれてしまい(そりゃ、ポール・ニューマンはカッコええし~)、いっしょにピクニックにいったときに、少年のような純粋さで、プレーをしているときの高揚感を話すエディを見るサラの目はもうハートになっている。

 

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愛は鎖にきまっている

新たな試合に挑戦するため、エディは別の街に移ることを高級レストランでサラに打ち明けるが、サラは

「それで私と別れようとするのね!」と猛反対。

エディは、

「愛は鎖か?」とサラに問うが・・・

私がサラだったら、

「あったりまえやん! あんた、知らんかったん?

 今ごろ何ゆうてんねん! キリストの愛とちゃうねんで~」

と一喝したくなるのだが。

結局、サラはエディについていき、エディを利用して金儲けの餌食にしようとする男たちを嫌悪し、ずたずたになり、自ら命を絶ってしまう。

 

サラはどうすべきだったのか?

さて、こんな悲劇にならないように、サラはどうすべきだったのか?

第一、スイーツ中毒の私が言うのもなんだが、アルコールはいかん。

酒はやめなはれ。

第二、エディの取り巻きの邪悪な男たちと距離を置くべきだった。

エディのビリヤードツァーについていくべきではなかった。

それでエディが帰ってこなかったら、それはもうしょうがない。

縁がなかったとあきらめるしかない。

第三、そしてエディとのことを小説に書くのだ。

瀬戸内寂聴さんのように。

今年のノーベル賞作家のアニー・エルノーみたいに。

そうこうしているうちに、エディよりいいオトコが現れるかもしれない。

 

男のロマンにはつきあっていられない

そもそも、こういうことができる性格だったら、サラはアルコールに溺れていなかっただろう。

そしてエディのような、ヤクザな稼業の男と、平穏で幸せな生活など、望むほうが間違っているのだろう。

そしてエディはエディでサラと幸せな生活ができれば、最後にファッツを倒すことも、賭けビリヤードの世界で頂点に立つこともなかったかもしれない。

ああ、やっぱり男のロマンなんかとつきあってはいられない。

それは映画や小説だけでたくさんだ、と思う。