夢でささやくピアノ

クラシックピアノとジャズピアノの両立を目指す、ねむいゆめこの迷走記録

【自撮動画】暗譜でシンフォニア2番を弾こうとして失敗

 

 

トシのせいか暗譜ができない

来月で66歳になる。

本当にたまたま運がいいだけだと思うのだが、体調はまったく悪くないし、手も指も脚も、痛いところはない。

働いているときは、しょっちゅう風邪をひいていたし、週末など朝寝はもちろん、2時間以上昼寝をしないとカラダがもたなかった。

ところが今は、働いていないおかげで睡眠時間は8-9時間とれる。

(相変わらず、朝は苦手だが)

しかし、気にしていることが一つある。

それは、昔に比べて格段に記憶力が落ちて、趣味のピアノではさっぱり暗譜ができない、ということだ。

 

バッハコンクールに申し込んだわけ

以前、バッハコンクールに申し込んだことを記事にした。

kuromitsu-kinakochan.hatenablog.com

 

なぜ申し込んだかと言うと、コンクールというものに参加したことがないので好奇心が湧いたこと、そして視奏可、つまり楽譜をみながら弾いていい、と申し込み要綱に書いてあったからだ。

もしこれが暗譜でないといけないのであれば、申し込んでいなかったと思う。

ちなみにそのあと、先生からピティナへの参加をすすめられたので、ちょっと調べてみたのだが、こちらはどうやら暗譜でないと点数に影響するらしい。

これでは私にはハードルが高すぎる。

来年参加してみようか、と思ったのができるかどうか・・・

 

覚えることは苦手ではなかった

考えてみると、私は昔、覚えることが苦手ではなかった。

子どものときの発表会は全部暗譜でないといけなかったので、「トルコ行進曲」も「華麗なる大円舞曲」も暗譜した。

それが苦痛だったという記憶はまったくない。

ジャズピアノは20歳からはじめたのだが、最初はまったくアドリブができず、どうやったらできるのかもわからなかったので、先生がお手本として弾いてくれたブルースを録音してそれを採譜し、練習し、暗譜した。

先生の前でそれを弾いたとき、先生は椅子から転げ落ちそうなくらいビックリされていた。

今までそんなことをする生徒はいなかったらしい。

 

認知症にならないための努力として暗譜に挑戦

暗譜は求められていないものの、このままでは、暗譜というものが一切できなくなるだろう。

そしてそのあとに待っているのは、認知症の可能性が高い。

私は認知症と闘う、あるいは認知症を遅らせるための努力を厭わないことを決心し、その決意表明として、きょうは暗譜で弾いたシンフォニア2番をYouTubeに投稿しよう、と準備を始めた。

まずスマホスマホケースから外すこと。これがいつも一苦労。

次にクローゼットに置きっぱなしになっているスマホスタンドを取り出しセッティング。

スタンドを置く位置が決まらずウロウロする。

撮るまえに、完璧に弾けたらビデオのスイッチを押そうと決め、練習を始めたのだが・・・

やっぱりあかん。

止まってしまうことはないのだが、ジャズをやっているせいか(ジャズのせいにするな!)記憶があやふやなところは自然にアドリブしてしまう。

大バッハ先生に対する冒涜と言われるかもしれないが、似たようなフレーズが多いので、中間部を飛ばしていきなりラストのほうを弾いてしまったり同じフレーズを繰り返し弾いていていつまでたっても終わらない、といった珍事が起きてしまうのだ。

一時間は繰り返したから何回弾いたのか?

結局、暗譜で弾くことはできなかったのだから、YouTubeへの投稿も諦めるのが賢明だろう。

でもね、きょうはスマホケースからスマホをだすのにも、スマホスタンドを組み立てるのにもえらい時間がかかってしまったのだ。

この手間はあと一か月は繰り返したくない。

だから譜面を見ながら弾いたシンフォニア2番を投稿することにした。

 

youtu.be

 

昔のことを忘れたら暗譜もできるかも?

バッハコンクールのホームページをよくみると、「視奏可」と書いてあるのは一般部門だけであることに気がついた。

ということは、ある年齢を超えると記憶力が衰える、というのはもはや社会通念として認識されている、ということか。

ましてや、60を超えたお方にこんなん覚えろ、なんてご無体なこと、ウチはいいまへんがな~というあたたかいお心遣いなのか?

今回はそのご厚意に甘えたい。

私だって、60年代~70年代にはやったポップス、映画、その他もろもろ覚えているくだらないことを忘れたら、脳の空きも増えると思うのだ。

さて、そのへんをどうするか・・・