夢でささやくピアノ

クラシックピアノとジャズピアノの両立を目指す、ねむいゆめこの迷走記録

「老後とピアノ」はシニアピアニスト必読の書になるか?

「老後とピアノ」稲垣えみ子  ポプラ社発行 定価¥1,500

「老後とピアノ」は図書館で3か月待ちだった

元朝日新聞社記者で、アフロヘアが印象的な稲垣えみ子さんの、「老後とピアノ」をやっと読むことができた。やっと、と言うのは、この本はかなり人気なようで、図書館で予約してから約3か月は順番待ちをしたからである。

「大人のピアノ」をテーマにしていることから、この本とさきに記事にした、「ヤクザときどきピアノ」はジャンルが似ていると言えば似ているのかもしれない。ただ、「ヤクザときどきピアノ」の鈴木さんはこれまでまったくピアノに触ったことのない52歳、そして稲垣さんは、いわゆる「ピアノ再開組」の53歳である(執筆段階のご年齢)。そして大きく違うのは、稲垣さんのほうは「老後」をテーマにしていらっしゃることである。

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「こう弾きたい」がない演奏はつまらない

小学校以来40年ぶりにピアノを再開した稲垣さんは、あれよあれよというまにピアノに夢中になり、先生のすばらしいご指導の甲斐もあり、あっというまに1年で憧れの「月の光」を弾いてしまう。もちろん、そこにいたるまでは紆余曲折があり、あるときは「歌う」ってどういうこと?と質問を先生にぶつけたりする。すると先生からは、「自分がどう弾きたいということ。いくらテクニックがあっても、その曲を『こう弾きたい!』という思いがないと何もつたわってこない」という教えを受け、目の前に扉が開かれたような思いをされる。

なるほどね。私などは「こう弾きたい」と思うよりさきに、プロのピアニストさん、あるいは上手なかたの演奏を聴いて、「こう弾かなあかん」と思い込む。しかし当たり前ではあるが、そうは弾けないし、だいたい自分がどう弾きたいか、なんてクラシックでは許されないと思い込んでいたふしがあるのだ。

どう弾きたいはどうやったら見つかるのか?「まずは、できるだけいろいろな人の演奏を聴くことです」。ここで稲垣さんが、ナマの演奏会をはしごしたり、オーディオマニアになるのであれば、別人種のかただった、ということになるのだが、幸いなことに彼女もネットの定額音楽配信サービスに走るのである。良かった、おんなじ行動パターンで!

練習魔に試練が訪れる

脇目も振らずにピアノの練習に励んだ稲垣さんだが、とうとう練習のしすぎがたたったのか、手を痛めてしまう。そして「度を越した努力に老体はあえなく故障し、努力そのものを中断せざるを得なくなった」のである。ここで、稲垣さんは「老化」と向き合うことになるのだが・・・えーーーっ まだ53歳でしょ、私より10は若いやん。これって絶対、練習のしすぎだと思う。何かで読んで、ご存じの方も多いと思うのだが、ショパンが「ピアノは3時間以上練習してはいけない」という言を残している。ここでこんなん自慢にならへんわ、と思うのだが、私はいまだかつて手を痛めたことがない。それだけ練習が足らないということか、ガックリ。

老後のピアノとの向き合い方を見出す

しかし不幸中の幸い、と言うべきか、手を痛めたおかげで、稲垣さんは、からだの自由がきかなくなった老後のピアノとのつきあい方について、ある解答を編み出すのだ。

つまり野望を持たず、「1時間かけて1小節を美しく弾けるようにする。そうだよそれを練習っていうんじゃないだろうか?

これに比べると稲垣さんより10は年を食っている私は、まだまだ野望に未練がいっぱいである。何もコンクールで賞を取りたい、とかXXさんより上手くなりたい、というのではない。私には苦手なことが多すぎ(スポーツ全般、車の運転、裁縫、DIY全部)、それらに比べるとピアノのほうがましなため、その分野でちょっとでも進歩することが、いってみればささやかな人生の喜びなのだ。それを「野望を捨てて、小さいことで喜びなさい」と言われてもなぁ。往生際が悪いシニアはどないしたらええねん。