夢でささやくピアノ

クラシックピアノとジャズピアノの両立を目指す、ねむいゆめこの迷走記録

ツェルニー40番とはしばしの別れ?永遠の別れ?

庭の雪に埋もれるツェルニー40番

1月1日からツェルニー40番をはじめた

今年、1月5日に「いつまで続くか毎日一曲ずつツェルニー40番」という記事を書いた。書いたきっかけは、いつも途中で挫折しているツェルニー40番も、せめて毎日1曲ずつ弾いていけば、最後までさらえるのではないか、という思いつきからだった。

記事の日付は1月5日だったが、実際に始めたのは1月1日だった。いつもなら1番から始めるのだが、これまで必ず20番ぐらいで挫折してしまったので、逆手にとって今回は21-40,1-20の順番でさらった。割り当て時間を約20分としたら、さすがに1-10ぐらいまでなら譜読みが簡単なので、1日1曲どころか3曲ずつさらえてしまう。そして今回はなぜかあっけなく1月26日をもって終わってしまった。

kuromitsu-kinakochan.hatenablog.com

つまらないのは承知のうえだった

ツェルニー40番がつまらないのは承知の上だった。かろうじて美しい、魅力的、と思えるのは7・10・26番。そのほかは我慢大会だった。また30番以降は難度も各段にあがり、ページ数も増える。4-6ページ数もある曲のときは、坂道を自転車で漕ぐ気分だった。なんとか今度はやりおおせたのは、私の先生が、大人の生徒には決して強要しないけれど、実はかなりの練習曲信奉者(ツェルニーに限らず)らしいので、ひそやかに自分の意見を持つのであれば、とりあえず40番を終えてからにしようと思ったからである。

田所政人氏によるツェルニー40番評価

もう亡くなられたが多くのピアニストに支持されているサイト、「あるピアニストの一生」の田所政人氏はツェルニー40番を練習曲集として最高ランクのAに位置付けている。

http://mathemarimo.bird.cx/public/e_e496.html

チェルニーを使うのならば、この40番は外せないというところであろうか。30番を外すのは私はありだと思う。中級の初めくらいの段階ならば練習曲集をするよりは、曲を一曲多くする方がいいという考え方は当然成り立つ」という氏の言があるが、私はこの言の後半部分、つまり「これするより、曲やったほうがええんとちゃう?」に反応してしまったのだ。だって子どもや若いひとならいざ知らず、私には「こういう練習曲を地道にやっていったらいつかバリバリ弾けるようになる」という考え方は通じにくい。いつかっていつやのん?

ゆめこのオリジナル発想(オリジナルでもないかもしれないが)

世の中のクラシックピアノは大きく分けて、8分音符、16分音符で音階を使ったタカタカ系と、アルペジオを多用したタララタララ系に分かれると思う。何のことかわからん、と思われるかもしれないが、タカタカはモーツァルトアレグロ、タララタララはドビュッシーの月の光のアルペジオと思い起こしてほしい。これらのむずかしい部分を部分練習でやれば、別にツェルニーをやる必要ないのではないか?そうしたら美しい曲を堪能できるわ、部分練習でむずかしいところはバッチリできるようになるわ、一挙両得とはこのことでは?要するにテクニックがかたよらないよう、どちらも均等に毎日やればいいのでは?

ハイ、以上が今の段階での結論です。この結論をもってして、ツェルニー40番とは、しばしの別れになるのか、永遠の別れになるのか?

ツェルニーとの別れからドイツ民謡、そしてプレスリー

ところで私が中高生の頃、「さらば、さらば、わが友。しばしの別れぞ今は」という合唱曲をよく歌わされた。調べてみればこれはドイツ民謡「別れの歌 ムシデン」なのだが、なんとあのエルヴィス・プレスリーが「Wooden Heart」というタイトルでカヴァーしていたのだ!これがわかったことが、今回のツェルニーおさらい騒動での最大の収穫かもしれない。

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