夢でささやくピアノ

クラシックピアノとジャズピアノの両立を目指す、66歳ゆめこの迷走記録

春よ春よの「花の街」は神戸が舞台だったとはね

神戸市にある布引ハーブ園

朝礼のときはみんなで歌を歌った中学校

私が通っていた中学校では全校あげて、合唱に力を入れており、毎朝朝礼のときにみんなで歌を歌うのだった。全校生の前に立って合唱を指導するのは、合唱部の部員。不思議と合唱部の部員はみんな歌はうまく、学校の成績もよく、おまけにスポーツもできて「文武両道」の鑑みたいな生徒だったなぁ。昭和時代の公立中学、高校にはこういう生徒さんが結構いたように思う。

反して私はその他おおぜいだったので、眼の前にいる合唱部員に憧れながら、生徒全員に配布されている「歌集」のなかの歌を歌った。「さらばさらば わが友 しばしの別れぞ今は」とか「静かな夜更けにいつもいつも 思い出すのはおまえのこと」とか。

今のひとは誰も知らないよね、こんな歌。そう、私も今の歌は全然知らない。この歌の時間、私は全然キライではなかった。夏暑く、冬は六甲おろしが厳しかったと思うけど、若かったからかまったく苦にならなかった。

その歌集のなかでいちばん気に入っていた歌が、團 伊玖磨作曲/江間章子作詞の「花の街」だった。メロディーも好きだったが、とりわけ夢見るように美しい歌詞が好きだった。以下に歌詞をご紹介する。

7色の谷を超えて
流れて行く 風のリボン
輪になって 輪になって
駆けて行ったよ
春よ春よと 駆けて行ったよ

美しい海を見たよ
あふれていた 花の街よ
輪になって 輪になって
踊っていたよ
春よ春よと 踊っていたよ

すみれ色してた窓で
泣いていたよ  街の角で
輪になって 輪になって
春の夕暮れ
ひとり寂しく 泣いていたよ

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「花の街」が神戸だった説の不思議

ところが、この歌の「花の街」とは、神戸をイメージしてつくられた、とは後年になるまで知らなかった。

昭和22年の東京は瓦礫がまだ残る戦後の混乱期で、作詞者の江間氏は「東京もいつかは花咲く街になってほしい」という願いでこの歌をつくったそうだ。その花咲く街が彼女にとっては、まだ行ったこともない、理想の街、エキゾチックな神戸だった、と知り一驚した。

神戸・兵庫の郷土史Web研究館/郷土史探訪ツーリズム研究所

私が生まれ育った町、神戸を「花が咲く美しい街」としてモデルにしてくださったのは嬉しいが、この歌ができた昭和22年、神戸市も大空襲のため焦土と化していたはずである。もちろん、年齢からいって私が知る由もないが、野坂昭如氏の「火垂るの墓」、手塚治氏の「アドルフに告ぐ」、妹尾河童氏の「少年H」にその様子が詳しいから間違いないと思う。

だから、江間氏が抱いたエキゾチックな神戸のイメージは戦前の神戸からきたものなのか?どうにも不思議だ。私は神戸=エキゾチックは1977年のNHK朝ドラ、「風見鶏」が流行らせたものとばかり思っていた。

戦前の神戸が江間氏の想像通りに美しかったかどうかは疑問だが、江間氏がすばらしい想像力の持ち主でことばの魔術師であったことは間違いない。ところで歌詞の3番は1,2番と違って「ひとり寂しく泣いていたよ」と急にテンションが下がる。どうしてだろうね。いつも思うのだがこれに限らず詩の解釈ってわからないことが多いなあ。