夢でささやくピアノ

クラシックピアノとジャズピアノの両立を目指す、ねむいゆめこの迷走記録

追悼!坂本龍一氏:これからもあなたを知ることになる私

坂本龍一氏のご逝去を昨夜知った

昨日寝る前にちょっとだけニュースを見ようと思い、ネットニュースにアクセスしたところ、坂本龍一氏のご逝去を知った。長い間、闘病生活を送られていたのは知っていたが、まだまだお若いので、まだ大丈夫だろうと思っていたのだけれど、やはり癌には勝てなかったということか。

AIの分野ではどんどん発達していって人間を追い越しそうな気配までするのに、医学の分野ではどうしてこうなのだろうと胸が痛む。チャットGPTよりも、検査なんか受けなくてもガンの発生や転移をすぐ知らせてくれるコンピューターはできないのだろうか?

センセーショナルなYMOのメンバーだった坂本氏

私が最初に坂本龍一氏を知ったのはもちろん坂本氏のYMO時代のことである。たしか1970年代後半-1980年代にかけてだったと思うが、どうだろう。とにかく音楽界にセンセーションを巻き起こしたといっても過言ではないくらい人気だった。

でもこの頃私が凝っていたのは1950-60年代のアコースティックなジャズだったので、テクノポップという電気音にはさほど馴染めなかった。よって私はこの頃、坂本氏についてほとんど無関心だった言える。

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矢野顕子氏の夫として認識しだした

次に私が坂本氏に注目しだしたのは、シンガーソングライター矢野顕子氏の夫として。

1980年代、矢野顕子氏はアイドルなみに売れていた。ピアノはうまかったし、独特の世界観をこれまた独特の歌い方で、メディアからは「あっこちゃん」と呼ばれていたな、たしか。

で、私はこれにもそれほど興味がわかなかった。ただ矢野顕子氏に、すごく音楽の才能があって、坂本龍一氏のようなハンサムで、これまた才能のあるひとを夫に持っているというだけで、雲の上の人という感じがした。

いよいよ本格的に私が坂本龍一氏に注目しだしたのは、映画「戦場のメリー・クリスマス」での音楽を聴き、その出演場面を見たからであろう。

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さらに映画「ラスト・エンペラー」で、西洋音楽に中国っぽいフレーズがたくみに盛り込まれているのを聴き、「なんと才能のあるひとなんだろう!」と思った。

この頃から、坂本氏の音楽をピアノにアレンジした楽譜を買ってきて弾くようになった。CMに使われた「エネジー・フロー」も大好きだった。

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白髪の音楽求道者といった風情の坂本氏

それからある期間を経て、ふたたび私が坂本氏に注目するようになったとき、氏はすでに白髪の音楽道求道者という雰囲気になっていた。

氏がバッハドビュッシーの影響を受け、若いころ、「自分はドビュッシーの生まれ変わりだ」と言っていたことも報じられたことから、ドビュッシー好きな私は親近感を持つようになったのだと思う。

現在YouTubeにアップされている「音楽の学校」にも大変感銘し、本ブログに記事を書いたこともある。

kuromitsu-kinakochan.hatenablog.com

これからも坂本龍一氏を知ることになる私

このように、私は坂本氏と同時代を生き、しかも生年も4年しか変わらないのに、私は氏の音楽をよく知っているとは言えない。

バッハやモーツァルトドビュッシーとは生きた時代が違うからね、これは仕方のないことだけれど。

だから残念ながら氏が天に召された後、ぼちぼちと私なりに氏の音楽に触れていこうと思うのだ。

そもそもどういう点で氏がバッハとドビュッシーに影響を受けたのかわかっていないし、そして「音楽の学校」もまだ全部見ていないし・・・

坂本龍一様、今後ともよろしくお願いします。