ショパンプレリュード4番の絶望的な魅力
4月からのクラシックピアノレッスンでみていただくのは、まずショパンのプレリュード4番である。
これは体験レッスンのとき、プレリュード17番を弾いたのだが、そのときの私の左手連続和音の弾き方がよくなかったので、同じようなパターンではあるが、技術的にはもっと易しい4番から始めましょう、ということになったのだ。
そして最近は毎日この4番を弾いているのだが・・・
ううううう、暗い・・・死にそう・・・ もうあかんかもしれへん
という気にさせられる。
いや、けなしているのではないのだ。ショパン好きとは言えない私でも、何度も弾かずにはおられない不思議な魅力をこの曲は湛えている。
たしかに譜読みではほとんど苦労しない。だからピアノを習い始めて数か月のかたでもラクラク弾けるのではないか。でもだからといって、お子ちゃまには弾いてほしくない。
もちろん子どもの世界にも、いじめがあるぐらいだから、ネガティブなことは世の中にいっぱいある。みんながみんな眼を輝かせて、「将来の夢は~~」と言っていられないだろう。
しかしこのプレリュード4番を、子どもに絶妙の感情表現で弾かれたら、それこそ大人は引いてしまうと思う。この曲は大人のためだけにあってほしいと願うのだが。
ショパンの葬式でオルガンを弾いたのはリスト?
ところでこの曲は、1849年ショパンの葬式でも演奏されたと言われている。そこで改めてネット記事をチェックしてみると、ショパンの葬式で、オルガンでこの曲を演奏したのはフランツ・リストという記事が多い。
え? 本当? だってYouTubeのオルガン演奏では organ arrangement by F.Liszt ってなってるからリストは編曲だけではないの?
平野啓一郎氏の「葬送」では違うことが書いてある
念のため、ショパンの伝記小説ともいえ、過去に読んだ平野啓一郎氏の「葬送」(文庫版)を再度、パラパラとめくってみた。すると第二部下巻414ページに、
・・・コンミュニオの最後の、「慈悲深き主よ・・・」の言葉が何時までもその余韻を響かせている中、追悼の祈りが捧げられた、その合間にルフェビュール=ウェリのオルガンによる演奏で彼のプレリュードが二曲短く差し挟まれた。
とある。そしてルフェビュール=ウェリ(ヴェリー)がどんなかたかというと、19世紀当時ではずいぶん有名なオルガン奏者・作曲家であったことがわかった。
「葬送」を執筆するにあたって平野氏はありとあらゆる文献・書簡などを調べた、とどこかで読んだから、ショパンの葬式オルガン奏者は、フィクションとはいえ、小説通りリストではなく、ルフェビュール=ウェリ説が真実ではないか、と思うのだがどうだろうか?
ひょっとしてリストのファンとか、リストがショパンの葬儀でオルガンを弾いてあげるほどふたりは無二の親友だった、と思いたい人がいるからリスト=オルガン奏者説が喜ばれるのか?イヤ、これは深読みしすぎかな?
オルガンでは左手は分散和音
YouTube動画にはオルガン楽譜も掲載されている。それによるとピアノでは左手が和音になっているけれどオルガンでは分散和音になっているのがわかる。これをもし八分音符の和音で弾けば、オルガンだとブツブツ切れになってしまうのだろうか。
いずれにしろ、つまりピアノでもオルガンでもクラーい、絶望の奈落の淵に落ちていくような感覚は同じである。お口直しに続けて5番を弾いたほうが良さそうだ。しかし、5番はこれまた難しくて歯が立ちそうにない、うぅ。