夢でささやくピアノ

クラシックピアノとジャズピアノの両立を目指す、ねむいゆめこの迷走記録

ピティナステップのメッセージに学ぶ婉曲表現

やっとアドバイザーからのメッセージを読んだ

日曜日に受けたピティナステップから2日経ち、ようやくアドバイザーの先生方から書いていただいたメッセージを読む気になった。

ここまでほったらかしにしておいたように思われるかもしれないが、そういうわけではない。どうやら「結果」というものを冷静に受け止めるのに、私のアタマには時間がかかるらしい。

そこでやっと勇気を奮い起こし、一連のモノがはいった封筒を取り出した。

合格証書」なるものは写真に撮るときに見た。「パスポート」も見た。

赤くって可愛らしい。子どもだったらここにシールを貼るのに夢中になるだろう。

いや、大人の私だってそうだ。できたらあと2,3枚はシールを貼って将来、ニヤニヤしながら見返したいものだ。

アドバイザーのメッセージはみな優しい

アドバイザーのかたからいただいたメッセージは合計3通。

比較的短いかただと数行だが、なかには裏ページにまで書いてくださっているかたもいらっしゃる。

ここまで短くない時間内に、書くのは大変だったのではないだろうか?

ましてや手書きである。

最近はPC、スマホに入力ばかりで鉛筆を持つ機会はめっきり減っただろうに、ピティナステップのこの日、朝から晩までメッセージを書くのに手を酷使していたのでは、ピアノを弾くのにも差しさわりがあるのではないかと心配になってくる。

そして肝心の文章だが、みなさんとてもお優しく、オブラートに包んだ表現ばかりである。

  • 「~すると良いですね」
  • 「~に注目していくと、より立体的な音楽になると思います」
  • 「~してはどうでしょうか?」
  • 「~は~でよいと思います」
  • 「最後までpp-pppをキープしましょう!」

たぶん、アドバイザーの先生方は参加者を傷つけないよう、落胆させないよう、ひとによっては怒らせないよう(クレイマーがいるかもしれないし?)気を使ってくださっているみたいだ。

バッハコンクールの採点表メッセージと比較

そこでふと気がついて、昨年受けたバッハコンクールのときの採点表メッセージと比べてみた。

心なしか、バッハコンクールのときのほうが、オブラートが薄いというか、包み方もちょっと違う感じがする。これは一応、コンクールだから違うのか?

  • 「~が残念」
  • 「~に注意しましょう」
  • 「~を知ったうえで演奏しましょう」
  • 「~ができるといいです」

しかし私の欠点を挙げたのちに「~が良かったです」と、誉めてもくださっているから気は使ってくださっているのだ。

いずれにしろ、アドバイザーの先生方は、婉曲表現に長けたことばのプロでもあるだろう。だって、客観的事実も、いいかたひとつで受け止め方はずいぶん変わるものだ。

誰だって、「~できていない」と言われるよりも、「~ができるようになると、さらに良くなるでしょう」と言われたほうが気持ちがいいに違いない。

シニアマスター大会があればいいのに

ところでちょっと気になったことがあった。

それは3人のアドバイザーのうち、おふたりまでも、

  • 「ステージにあがることは立派ですね」
  • 「舞台に立ってチャレンジする気迫に拍手を送ります!」

と書かれていたことだ。

なんでやろ? 私、ステージにあがることぐらいなんでもないねんけど?

なんやったらピアノだけでなく、トークもできまっせ~

これは暗に、私くらいの年齢のかた、あるいは長い間ピアノにブランクがあったひとは、人前で演奏したがらない、ということなのか?

今の若い人は「高齢者はピアノが弾けない」と思っているかもしれないが、昭和40年代に小学生だったかたで、ピアノを習ったことのあるかたは、ずいぶんいるはずである。

そういう方々がふと思い出して、またピアノを弾き、シニアマスター大会とかができて、参加資格70歳以上、80歳以上、90歳以上があれば、また励みになるんだけどなぁ。