「われらが痛みの鏡」をなんとか読み終えたが
フランスの人気作家、ピエール・ルメートルの3部作の最後を飾る「われらが痛みの鏡」の原書を購入したのは今年の3月だったらしい。
そのときのブログ記事が残っているから。
kuromitsu-kinakochan.hatenablog.com
これには後日談がある。
最初は重要なところはメモをとりながら読み進む、精読スタイルで読んでいた。
ところがいつのまにか、それが面倒くさくなり、わずか10日ぐらいで挫折してしまった。
そして何を思ったのか、8月ごろから続きを読み始めた。
今度はわからないところがあってもどんどんすっ飛ばして先へ進む多読スタイルである。
そうすると約1か月で530ページの小説を読み終えた。
そして次の段階。
翻訳の文庫本を図書館で借りてきて、自分の理解があっているかどうか確かめたのである。
そしたらびっくり、がっかり・・・というのがきょうのお話。
よくわかった話とまったくわからなかった話
ムッシュー先生にこのハナシをしたとき、先生は面白そうに私に聞いた。
「で、最初フランス語で読んだときは何パーセントぐらいわかったの?」
「60%くらいかな、と思います」
「え!すごいじゃない!」
「あ、そしたら50%にしておきましょうか。
なにしろ軍隊の話はさっぱりわからなかったもので・・・」
「我らが痛みの鏡」は第二次世界大戦の前夜、ドイツ軍の侵攻におびえるパリ市民とフランス軍参謀本部の無能さを描いた歴史大河小説である。
しかし軍隊の話はさっぱりわからなかったものの、完璧に理解できた話もあった。
それは主人公のひとりであるルイーズの母親が、かつて小間使いをしていた折、そこの主人と愛人関係に陥ってしまい、すったもんだする話である。
なんでこんな話ならすぐ理解できるんだろうね、まったく。
それは結局悲恋に終わったのだが、気になったのはルイーズの母親は小説好きで「ジェーン・エア」とか「アンナ・カレーニナ」を愛読していたらしいのだ。
作者は登場人物のひとりに、「ああいうのばかりを読んでいると、アタマがおかしくなってしまう」と言わせている。
ひょっとして女中奉公が盛んだった前時代には、ジェーン・エアみたいに主人と結ばれると思い込んだ女中さんもいたのではないか、とそればかり気になってしまった。
が、そういうことはムッシュー先生には話していない。
希代の詐欺師、デジレ
もうひとつ、私がまったく理解できていなかったことは詐欺師の話だ。
この小説中、デジレという人物が再三登場し、最初は弁護士、次は政府の情報部、最後は神父として活躍する。
この人物のことを最初原書を読んだとき、職業によって異なるまるっきり別の人物だと思い込んでいた。
しかし実際は同人物で、デジレはたぶん実際にモデルが存在した、希代の詐欺師だったのだ!
そして彼はある人物からの告解で大金の隠し場所を知り、その金を持ち逃げしてしまうのである。
この話はおおいにムッシュー先生の好奇心を刺激した。
「ええ!神父が!!」
と驚いていたが、なに、カトリックの神父は最近とみに、かつてのジャニーなんとかのような問題を起こしているではないか。
だから大金の持ち逃げぐらいで私はびっくりしないけどね。
先生の驚き具合からすると、先生はひょっとして敬虔なカトリックなのかもしれない。
多読スタイルの良い点、悪い点
久しぶりに多読スタイルで原書を読んで思うこと。
読み進めるにしたがって文章の構造をつかむのは早くなる。
しかし語彙力の増強には役立つのか?
これはいちいち丁寧に調べないと正確な語彙力はつかないと思う。
しかし私のような人間は、今さら軍隊や兵器に関する語彙を増やしたいとも思わない。
そんなことのために時間を使いたくないし、眼に悪いこともしたくない。
ウーーン、やっぱり読書も読むべきものをよく吟味しないといけないなぁ。