ピアノも人生も先輩のFさんとの出会い
エリーゼ音楽祭全国大会参加記録もこれで最終回としよう。
ここでは私がこの機会に出会った、すばらしき人たちについて書きたいと思う。
まず、私が参加したポピュラー・ジャズ部門Bコースでのエリーゼ大賞受賞者、Fさん。
つまり、私はこのかたに及ばなかったのである。
Fさんはプログラムにもご自分の年齢を公表されているので、ここで書いてもいいのだろう。
御年、70歳になられるというから、私よりピアノも人生も先輩なのだ。
私はFさんとよほどご縁があるらしく、最初に出会った場所は当日の朝、上野の無人ピアノスタジオであった。
Fさんは私より先に到着していたので、Fさんの暗証番号で私たちは一緒に入室したのである(本当は各人の暗証番号を使わないといけないらしいが、これってマンションのオートロックと同じようなものじゃない?)。
そのとき、Fさんから、
「コンクールか何かですか?」
と聞かれ、「はい」「ひょっとしてエリーゼ?」「そうです」「え!僕も!」
と言い合いはしたが、このときはご挨拶だけで終わった。
ちなみに無人のピアノスタジオはとても清潔、快適だった。
JRの上野駅から遠くないし、銀座線・日比谷線の上野駅からは本当に近い。
Fさんは本当は奥様とご一緒に全国大会に出られる予定だったらしい。
ところが急に奥様が体調を崩され、急遽お一人で出られることになったそうだ(当日にはもう回復されていたらしいが)。
「グランドピアノを買っちゃってねぇ」
というFさんに、私は
「ご夫婦でピアノの取り合いになりませんか?」
と聞いたのだが、
「いやぁ、そこまで練習しないから」
と手を振りながらニコニコ笑う、愛妻家で気さくなお方であった。
Fさんとはその後、レセプションでも親しくなり、「マスター部門は最高レベルのひとがエントリーする部門」だとか、「エリーゼの社長さんは、ほら、あの人だよ」とか、エリーゼについて何も知らないに等しい私にいろいろ教えてくださった。
マスター部門でも飛びぬけていたHさん
次はマスター部門でのエリーゼ大賞受賞者、Hさん。
演奏曲目は、ラフマニノフの前奏曲2曲とドビュッシーのトッカータであった。
こういっちゃなんだが、強者揃いのマスターの参加者のなかでも、Hさんはとび抜けていた。
なんというか、音が全然違うのだ。
感激した私はレセプションのときに、Hさんの姿をみかけてお声をかけて、ピアノがあまりに素晴らしかったことを伝えるついでに、失礼ながら聞いてしまった。
「あのぅ、音大出身ですか?」
「音大は出ています」
とのこと。
しかし先々の生活のことを考えた上、音楽を職業には選ばず、ピアノも売ってしまって、現在は音楽とはまったく違うお仕事をされているとうかがった。
練習も自宅の電子ピアノか、ピアノスタジオでされているらしい。
音楽との関わり合いはひとそれぞれなので、こんなことを言うべきではなかったのかもしれないが、それでも私は言ってしまった。
「もったいなーーーい!」
私の賛辞に喜んでくださったHさんだが、これからはどういう道を歩まれるのだろうか?
ぜひまたあの素晴らしい音色を聴きたいものだ。
『エリーゼ』は誰かさんの愛娘
最後はエリーゼの社長さん。
このかたにはどこかでお会いしたことがある、と思ったら、なんと神戸予選のとき、自動販売機もないホールを愚痴る私にペットボトルのお茶をくださったかただった!(お支払いは拒否されたが、私は無理やり100何円かを置いていった)。
社長とは、直接お話することはできなかったが、レセプションのときのスピーチがすばらしかった。
「・・・子どものいない私が、14年前に『エリーゼ』という女の子を授かりました。
14歳というと、中2ですかね?
私の精神年齢は3歳児なんですけど、どうしましょう?」
会場の雰囲気がさらに和んだのはいうまでもない。
ああ、社長さんは『エリーゼ』を娘のように愛しているんだね。
14歳のエリーゼは、さらに成長して美しくなるのだろうね。
これからもがんばって!