
アメリカ映画らしくない結末の映画
アメリカ映画というかハリウッド映画の特徴はというと、ヨーロッパ映画に比べて楽天的で、勧善懲悪ぽく、ラストはめでたし、めでたしで終わることがふつうだと思う。
だから安心して見ておられるし、ストーリー展開が読めることから、つまらんなぁ、もうひとひねりしてほしいなぁと思うことも多々ある。
しかし今回みた「ペイ・フォワード 可能の王国」は違った。
最初に「ネタバレあり」と断っているので書いてもいいと思うのだが、いじめられている同級生を助けにはいった主人公の少年が、ナイフで刺されて死んでしまうのだ。
こんな結末ってあるだろうか?
しかもこの少年は、自分が受けた親切や善意を、別の誰かに先送りすることで、善意の輪を広げていく考え方を実践している、きわめてよい子なのだ。
こういう結末にしたということは製作者は何を狙っているのだろう?
善意の輪を広げようとしてもそれは簡単ではない、といいたいのか?
善意の輪を広げようとした少年の崇高な魂は、後世にまで語り継がれるだろうといいたいのか?
どうもよくわからん。
どうも結末が唐突すぎて、あっといわせることだけを狙っただけなような気もする、私には。
大方の批評を見ても、この結末には賛否両論あるようだ。
「ペイ・フォワード 可能の王国」のあらすじと予告編
あらすじも書かずにいきなり結末の感想になってしまったが、ざっくりとあらすじを紹介すると・・・
アル中の母と二人暮らしの男子中学生のトレバーは、顔に火傷の跡がある社会科教師のことばに感銘を受ける。教師は「この世界を変えるにはどうすればいいか」と生徒たちに問うたのだ。
トレバーが考えたのは「ペイ・フォワード」というアイデア。これは、誰かから受けた親切を、直接その人にお返しするのではなく、別の3人に渡すというものだった。
この3人のうち彼が最初に選んだのはヤク中でホームレスの男性。2人目は社会科教師で少年は彼と自分の母親の縁結びを実践するが・・・
よかった場面やセリフもあった
ところどころいいな、と思う場面やセリフもあったわ。
たとえば毎日の自分の習慣に固執するあまり、愛してはいるものの、トレバーの母との関係に深く踏み込めない社会科教師。
そこを映画は少年の眼を通して「愛に怖れはいらない」とばかりに、二人の背中を後押しする。
でも私からみると、この二人は生活リズムが全然違いすぎて、結局うまくいかないと思うよ。
結構よかったのが、トレバーに親切にされたヤク中の青年が、飛び降り自殺をしようとする女性を救うところ。
「僕と一緒にコーヒーを飲んでくれませんか。僕を助けると思って・・・」
とかなんとか言って女性の自殺願望を食い止めるのだ。
フランス映画「アメリ」との比較
全然タイプのちがった映画だが、フランス映画で「アメリ」という映画があった。
kuromitsu-kinakochan.hatenablog.com
この映画では、内気な主人公がある日、まわりの人々を小さないたずらでハッピーにすることに喜びを感じるようになる、というものだった。
彼女はべつにこの世界を変えよう、と大上段に構えたのではない。
ただ、周りの人々を幸せにすると自分もいい気持ちになることから思いついて、こまごまとしたことを実践するようになっただけである。
どうも私にはこっちのほうがいいなぁ。
それに世の中には、職場や外の世界では他人にきわめて親切なのに、家へ帰れば横柄な口をきく夫(妻)がいるみたいだし、なにも全然知らない人を助けようとするよりも、自分の身のまわりの人に親切にするほうがええんちゃうの、結局?
とまあ、あれやこれやと考えるきっかけを与えてくれたのだから、この映画もそんなに悪くなかったのかなぁ。