
フォーレの「パヴァーヌ」の譜読みが終わった?
あしたは本当にクラシックピアノレッスンがあるのかな?(先週は先生が体調不良で休講)とピアノを弾きながら首を傾げつつ、やっとフォーレの「パヴァーヌ」の譜読みが終わった。
たった7ページなのに、なんでこんなに譜読みが遅いんだろう?
そして今でも音をはずすから、これでは譜読みが終わったとは言えないのでは?
なあんて思いながらきょうは「パヴァーヌ」がはいっている全音の「フォーレピアノ小品集」の解説文を読んでみた。
私は楽譜を買ったら、練習する曲のコピーをとって、そのコピーしか使わないので、楽譜の全体をしげしげと見ることはあまりない(だから楽譜はどれも*1さらっぴんのままである)。
だからその楽譜の「序文」というべき箇所を真剣に読むことはめったになかった。
だってたいていは面白くないし。
「フォーレピアノ小品集」の解説文の著者は?
しかしきょう、「フォーレピアノ小品集」の解説文を読んで、ははぁーと思った。
どうして私がフォーレに惹かれるのか、わかったように思ったからである。
たとえば次の文章。
フォーレの音楽は微妙な動きで、内面的感動を表現しています。しかし彼の作品は一見ロマンティックに見えるものでもむしろ古典的であり、多くの要素が純フランス的な調和の精神に支えられ、限定されていて見事な均衡を保っているものです。
そう、私がフォーレで感じるのはロマンティックさではなく、古典的な様式美という感じ。
純フランス的、というのはよくわからないが、フランスのエスプリがつまった音楽という気はする。
そして次の文章。
フォーレは常に理性的な態度で、比類ない誠実さで音に仕え、気品の高い深みのある音楽の世界を作り上げたのです。たとえば彼にあっては、「泣きじゃくり」は作品になる前に終わって、作品に現れるのは「他人への暖かい同情、心からの慰め」になるのです。しかもブラームスのように「衣装作り」ではなく、また重苦しい不器用さもなく、ずっと洗練されています。
私は若いころ、例えて言えば、ショパンの「泣き」っぽいフレーズが好きだったが、今ではもうまったく聴きたくない。
もっと「枯れた」心境が好ましいのだ。
しかしブラームスの「衣装作り」とはなんぞや?
これはぜひもっと説明していただきたいものである。
重苦しいというのは、よくわかるけど。
というように、非常に読んでいて面白い解説文だったので、筆者は誰なんだろう、と探した。
すると「高木東六」とある。
え?よくバラエティー番組かなんかで、「高木先生~!」と呼ばれていたひと?
高木東六の華麗な音楽経歴
ウィキペディアで調べると、高木東六はNHKの「あなたのメロディー」とか、TBSの「家族そろって歌合戦」に審査員としてテレビに出演していた。
だから私はてっきり流行歌だけの作曲家だと思い込んでいたのである。
いうなれば、すぎやまこういちとか、服部良一とかのカテゴリーに属するかたであると。
確かにすぎやまこういちや服部良一は日本の歌謡史に残るかたではあるが、高木東六の華麗な経歴と比べると、申し訳ないがいささか霞んで見える。
高木東六は現在の東京藝術大学を中退後、フランスでピアノと作曲を勉強。
パリのスコラ・カントルムを卒業後、帰国後は作曲家に転向、管弦楽曲やオペラなどのクラシック音楽にとどまらず、シャンソンやポピュラーも作曲した。
享年は102歳。
明治~大正~昭和~平成と音楽一筋に、幸せな人生を過ごされたかたと言えるのではないか。
高木東六作曲の「水色のワルツ」
高木東六自身がピアノ演奏をしている動画がみつかったので、下に貼っておく。
曲名は1950年の大ヒット曲、「水色のワルツ」
ところで作曲家自身の演奏がいちばん素晴らしいか、というとそうでもないと思う。
私はドビュッシーが弾く「月の光」よりキーシンが弾く「月の光」が好きだから。
「水色のワルツ」もそうで、この曲の良さを知りたければ下記の動画のほうがよくわかるのでは?
演奏はピアニストの佐藤卓史氏、楽譜は全音ピアノピースだそうだ。
*1:たぶん関西弁で新品という意味