夢でささやくピアノ

クラシックピアノとジャズピアノの両立を目指す、ねむいゆめこの迷走記録

【自撮動画】ドビュッシーの幻想和音が六甲山に響いたクラシックピアノ発表会

旧東ドイツ製ピアノ ZIMMERMANN(ツィンマーマン)

創作和食レストランでのクラシックピアノ発表会

1月22日(日)、クラシックピアノの発表会が兵庫県芦屋市内の創作和食レストランで行われた。参加者はピアノを弾く大人が十名余に、おちびちゃんのお嬢さん1名が応援参加。先生のお知り合いの関係で、バイオリンやフルート奏者も花を添えてくれた楽しい発表会であった。

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会場のレストランは芦屋川沿いにあるビルの5階にあった。大きく窓をとった設計なので六甲山の緑が圧倒的に目に迫ってくる。私は六甲山の山あいに住んでいるので、山には見慣れている。しかし海方向から山を見上げることはあまりないのでこの角度から見る山々には感動した。夜は夜でまた街の灯りが楽しめるのだろうか。

ZIMMERMANN(ツィンマーマン)というピアノ

会場はよかった! 発表会後の懐石弁当も美味しかった! しかし、ああピアノは!珍しいピアノはもういらんわ、ヤマハとかカワイとか普通のピアノにしてくれへん?

それはZIMMERMANNツィンマーマン)という旧東ドイツのメーカーの製造によるものだった。見た目は美しく手入れされているようだったが、かなりの年数が経っているとのことだった。鍵盤は重いというか、立ち上がりが遅い。ほとんど鳴らない鍵盤もある。ダンパーペダルを踏むと、ギシギシ音がする。高音がかなりはずれている・・・と私ばかりでなく他の参加者からも大不評であった。しかし、中音域はまろやかな美しい音がでるんだけどね。「弘法筆を選ばず」で、先生と、いちばん最後にドビュッシーの花火をひいたプロ顔負けのかたの演奏の音色がすばらしかったのは認めざるをえない。

阪神間ではドビュッシーが人気?

私もピアノを趣味とされるかたのブログを拝見することがある。そのうえで、あくまで印象に過ぎないのだが、ブロガーピアニスト(?)の一番人気はショパンで、次いでバッハではないだろうか? ところがこの発表会では私を含めてドビュッシーを弾いた参加者が3名もあり、連弾やひとりで2曲弾いた方もいるので、まさにドビュッシー祭りだった。ドビュッシー阪神間では人気なのか? ドビュッシーに続いて、ブラームスベートーヴェンショパンギロックモーツァルトが続いた。尚、バッハを弾いた人は去年も今年もいなかった。これはわかる気がする。バッハって難しい割に上手に聞こえないし、華やかではないから発表会では敬遠されるのではないだろうか?

不出来な演奏に最大の賛辞をいただく

さて、自分の演奏の反省会。アカンかった。ピアノのせいにするのは簡単だが、なぜか気が散った。みなさん楽譜を見て弾かれていたので、私も一応譜面台に楽譜をおいたのだが、先生がめくってくださるタイミングが気になって一瞬どこをやっているのかわからなくなった。もちろん先生のせいではない。集中心に欠ける私のせいである。しかし、心を無にして弾くのは簡単ではないなぁ。ただとても嬉しかったのは、「パスピエを初めて聞いたのですけれど、いい曲なんですね」と言ってくれたひとがいたことだ。これは私にとって最大の賛辞である。尚、下に貼ったのは発表会より数日前に撮ったもの。これでもマシなほうなのだ。

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好きな歌手、嫌いな歌手と日仏思い出のメロディー

フランシス・カブレル(Francis Cabrel)

セリーヌ・ディオンはお好き?

きょうは昨日の記事が終わらなかったので、続きである。ピアノの話でもなく、クラシック音楽の話でもなく恐縮なのだが・・・

耳について離れない音楽について、フランス語のムッシュー先生がバッハトッカータとフーガを挙げた。そのあとどういう展開でそうなったのかを覚えていないのだが、好きな歌手、嫌いな歌手という方向に会話が流れてしまった。

驚いたことに先生は、セリーヌ・ディオンが嫌いだそうだ。正確に言えば、フランス語で「Je n'aime pas Celine Dion.」(私はセリーヌ・ディオンが好きではない)になるのだが、その語句を発するときの先生のしかめ面、頭の振り方からみて、好きではない➡嫌い、に近そうだ。日本語では最近、どなたがはやらせたのかしらないが、〇〇が苦手、というオブラートに包んだ表現があるが、それとは別物で日本語字幕を入れるとしたら「キライだ!」になりそうである。

しかし、セリーヌ・ディオンと言えば、希代の歌姫ではないか?私の意見からすると、バーバラ・ストライサンドと双璧をなす実力派女性歌手である。ひょっとして彼女のケベック訛が気に障るのでは? 「それはもちろん」といいながら、「彼女の声の criante (わめく、耳障りな音)なのがイヤ」とおっしゃる。「タイタニックのテーマも最初のうちはいいが、後のほうになるともう我慢できない」って。そうかなぁ。私には最高の盛り上げ方だと思うのだが。

先生のイチオシはバルバラ

それでは先生のお気に入り歌手は誰だろう? 答え。バルバラだそうだ。私は名前ぐらいしか聞いたことがなかったので、正直にそういうと先生は「L'aigle Noir」(黒い鷲)の動画を見せてくれた。なるほど、いい声というか、いい曲である。フランス語と日本語の字幕がはいっているのを見つけたので、私も歌ってみようと思う。

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尚、日本では岸洋子さんがカヴァーしている。聞いてみたが、私にはバルバラよりステキな声に聞こえた。こういっちゃ語弊があるのかしれないが、さすが東京芸術大学声楽科卒だと思ってしまった。

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私の思い出のメロディー、「プティット・マリー」

忘れられないメロディーというのは、各個人が抱えている想い出によって違う。先生は「Yumekoがフランスにいたときによく聴いて、忘れらない曲は何ですか?」と聞いた。私は即座に、フランシス・カブレル(Francis Cabrel) の「プティット・マリー」( Petite Marie) と答えた。これは1990年代の初め、フランスでは至る所で耳にした曲だが実にいい曲である。先生も「これはフランス人なら誰でも知っていますね」と満足気だった。

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ムッシュー先生の思い出のメロディー、「月を超えろ」

ところで先生が日本に来たのは多分今から20年ほど前だと思う。日本に来てから初めて日本語を習い始めた先生は、「今夜二人で~~」から始まる曲が忘れられないそうだ。ところが題名とか、歌手の名をあろうことか覚えていらっしゃらない。必死でYouTubeを探し回って(あのぉー、フランス語のレッスン中なんですけど)、それがやっと奥田民生の「月を超えろ」であることがわかった。

奥田民生? 月を超えろ? 今夜二人で

悪いけれど私は全然知らなかった。多分私がもの知らずなのだろう。こういうことはよくあるので全然びっくりしないが。先生につきあって聴いてみたが、全然ダメだ。どこがいいのか、さっぱりわからない。彼の声からしてダメだ。もう一度聞きたいとも思わない。やはり想い出のメロディーとは、とても個人的なものなのだ。他人と共有することはむずかしい。

 

あのメロディー、あのリズムが耳について離れない現象とは?

ある曲の、ある部分が耳について離れない

誰しも、ある曲の、ある部分が耳について離れない、という経験はお持ちではないだろうか?それは主に、簡単なメロディーリフレインリズムの繰り返しで、歯を磨いていても、メークをしていても、食事をしていても、アタマのどこかでそれが始終エンドレスで鳴っているというものである。

1月のフランス語レッスンは私がお題を出す番なので、ネット中を探索していたが、やっと面白そうな動画を見つけた。「Pourquoi certaines chansons vous restent dans la tête?」(どうしてある種の歌はあなたの頭に残るのか?)」である。あらかじめ予習をして、これは先生もノってくれそう、と思ったので、レッスン前夜に先生にURLを知らせるメールを送った。すると、「Vous chanterez dans la classe? Bravo! (授業で歌いますか? ブラヴォー!)という返事が返ってきた。

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耳のなかに虫がいるのか?

さて、レッスンはどうだったか? 上の動画によると、耳にこびりついて離れない音楽のことを、フランス語では des vers d'oreille (英語では earworm イヤーワーム) と言うらしい。無理やり日本語に訳せば「耳の虫」になるだろうか?先生に「日本語ではなんというの?」と聞かれたが、私は「日本語にはそれに相当する語句はありません。」と言ってしまった。ホンマは全然知らんねんけど。

とにかく「耳の虫」を引き起こす例として、動画では、ジム・キャリーの「What is love」とレディー・ガガの「Bad Romance」が代表的なものとして挙げられているが、私と先生は中高年(もちろん先生のほうが若い)であるせいか、どちらの曲もあまり知っているとは言えない。そこでここから、「この歌知っている?」「あの歌はどう?」とまるで曲名あてクイズのようなレッスンになってしまった。

耳にこびりつく音楽の特徴

動画によると、耳にこびりつく音楽には以下の特徴があるという。

  • テンポが♩=124より速いもの
  • メロディーが簡単なもの
  • 音と音のあいだに相当のインターバルがあり、音程差が3-4度あるもの
  • その音楽の聴き手の記憶を呼び起こすもの

バッハのトッカータとフーガが耳にこびりついて離れない?

私はポップス、ジャズ、クラシックとジャンルを問わない音楽好きであるが、耳にこびりつく現象を引き起こす音楽は、ディスコっぽいものが多く、クラシックではほとんどそれが起きない。ところが、先生の「耳の虫音楽」はバッハトッカータとフーガだそうだ! 先生がクラシックファンだとは知らなかった。そう言えば、以前、ピアノを独習してバイエルを終わらせてから、ドビュッシーの「月の光」に挑戦したが挫折した、という話は聞いたことがあったけど・・・

トッカータとフーガが先生の耳について離れないわけは、子どものときの記憶によるものだそうだ。子どものとき、フランスの歴史をアニメで紹介する番組があったそうだ。そこではテーマ曲として、トッカータとフーガが使われ、人間が歴史上、戦争など愚かな所業を繰り返すうちに地球が滅亡してしまう、というメッセージがあったらしい。子どもの先生はそれを見るたびに怖い、怖いけれど好き、という不思議な感情を抱いたそうだ。ありがたいことに、この「Il était une fois」(その昔)というシリーズはYouTubeで見ることができる。アニメだから声優の発音もハッキリしているし、字幕もほぼ大丈夫そうだ。たくさんあるから、楽しみに見ようっと!フランス語の勉強にモティベーションが上がってきた!(でもピアノに影響するかもしれない)。

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バニーガールたちと過ごしたバブル期のヒット曲を聴いてみる

うさぎ年でバニーガールを思い出した

よくよく気がつけば今年はウサギ年。ウサギ、つまりバニーちゃんなんだな。今回は私が大勢のバニーちゃんと毎日を過ごした4年間ー日本のバブル期を思い出して書いてみた。

バニーガールとは、うさぎの耳のかたちをしたカチューシャを頭につけ、肩を出したボディースーツに網タイツをはいた女性たちである。私がピアノを弾いていたクラブはアメリカのプレイボーイクラブを真似て全国展開した会員制のクラブレストランで、ウェイトレスは全員このコスチュームだった(私はロングドレスを着ていたけれど)。

わたしがアホだからかもしれないが、当時は今がバブル期なんだという意識はなかった。ただ景気はいいんだな、とは感じていた。そしてこれは日本人のたぐいまれなる勤勉さからきているもので、未来永劫続くものだと思っていた。

ところで飲食店はどこもそうだったと思うが、連日満席の盛況ぶりだった。今から思うに、バブルで接待費が思う存分使えたからなのだろう。売上は右肩上がりだったから、職場の雰囲気は良かった。私は皆から「ピアノさん」と呼ばれ、スタッフの人たちから大事にしてもらえた。バニーガールちゃんたちはみな、地元神戸か西宮の大学生アルバイトだったので、私と2-3歳ぐらいしか年齢が変わらず、休憩時間はおしゃべりに花が咲く楽しい時間だった。

私はステージで何を弾いたか

私は7時、8時、9時、10時と4回のステージで各20分ずつ、ピアノを弾き、弾き語りもし(歌はピアノよりさらにヘタだったのに?)、短いトークもいれた。それで月~土までレギュラー出演したものだから、長年いろいろな仕事をしたなかでも、この仕事がいちばんよい収入をもたらしてくれた。

この仕事で一番頭が痛いのは技術の未熟さはともかく、すべてのリクエスに応えねばならないことと、レパートリーを増やすことだった。ところでこの頃、よく弾いていた曲は今、スーパー、商店街、カフェ、歯医者さんなどでほとんど耳にすることがない。私がそういう場所に行かないからなのかよくわからないけれど。

当時のスタンダード曲を今では耳にすることがない

当時のスタンダード曲とは、「追憶」「いそしぎ」「モア」「慕情」「想い出のサンフランシスコ」「フライ・ミー・ツー・ザ・ムーン」「ムーン・リヴァー」「メモリー」「マイ・ウェイ」「サヴァの女王」「アドロ」「雪が降る」「サントワマミー」「ろくでなし」などなど。

それから客層は50代以上の男性だったから、私の知らない終戦直後に流行したような曲も知っておかねばならなかった。アンチェインドメロディ」「日曜はダメよ」「バリハイ」「ビギン・ザ・ビギン」・・・

そしてたまに日本のフォークソング(あの頃はそう呼んだ)を混ぜると、お客さんは喜んでくれた。翼をください」「22歳の別れ」「なごり雪」「いちご白書をもう一度」などである。

理由はたぶん、営業成績が良かったからだと思うのだが、店側は私に「下手クソ!」とか「〇〇みたいな曲はやめて△△のような曲をやりなさい」ということは一切なかった。そしてお客さんの機嫌をとるようにとか、お客さんの席を廻るようにとか、そういう要望もまったくなかった。当時はわからなかったのだが、今から思うとすばらしい職場であった。やはり儲かっているということは、ひとを寛大にするのだろう。今だったら絶対言われるだろう。「もうちょっと練習してから来てくれへん?」とか、「お客さんに愛想よくしたら?」と。

1980年代の大ヒット曲2つ

それでは1980年代を代表する曲として、ワム!の「ケアレス・ウィスパー」と寺尾聡の「ルビーの指輪」とお聞きください!

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だんだん好きになるショパンのプレリュード17番

マルティン・ガルシア・ガルシアの手

ショパンプレリュードの17番が好きになってきた

ショパンプレリュードのなかから、どれをレッスン曲に選ぼうかと徘徊しているうちに、この頃では17番がいちばん好きになってきた。最初のお気に入りは8番で、17番は大して印象に残らなかったのに。こういうのをことわざで(私はよくことわざを間違えて覚えていることがあるので確認してみた)、「だんだん良くなる法華の太鼓」と言うらしい。すなわち、日蓮宗の太鼓も最初は耳になじまないが、だんだん耳慣れしてくる、と物事が良い方向へ向かうことを掛けたらしい。17番を繰り返し練習するうちに、私のピアノも良いほうに向かってくれればいいのだけれど。

マルティン・ガルシア・ガルシアの演奏がお気に入り

プレリュード17番もいろいろなピアニストが弾いている動画がYouTubeで見ることができるのだが、私が今のところ、気に入っているのは先のショパンコンクールで3位にはいったスペインのマルティン・ガルシア・ガルシアさんである。どこが気に入ったかというと、65小節目から続くベース音(というかラの音)がほかのピアニストさんよりはっきり入っていて、これが今の私の好みなのだ。

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ドから次のソまで届くガルシアさんの手

ピアノのフィツオリは素晴らしい音色だね。しかしガルシアさんの左手のブレスレットって鍵盤にあたったりしないのだろうか?どうも私はたまに見かけるのだが、指輪とかブレスレットをして弾いているピアニストを見ると「邪魔にならないのかなぁ」とすごく気になる。それにしてもガルシアさんの手は大きい。以下のインタビュー記事から写真をお借りして、私の手と比べてみた。こんなにドから次のソまで届く手だと、何を弾くのでもラクラクだろうなぁ。

(左)ガルシアさんの手(右)私の手

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ショパンはなぜ弾きにくい楽譜を書いたのか?

実際に弾いてみてわかったのだが、プレリュード17番は左右の手が交差して弾きにくい。ときによって左手の親指が右手の親指の上になり、また逆もしかりで、間違えても弾けるときがあったりするが、あとで指がからまり収拾がつかなくなる恐れがある。ショパンはなぜ、こんな楽譜を書いたのだろう? 弾きやすいように楽譜を書くこともできただろうに。

もちろん右手小指のメロディーラインは変えられないことは想像できる。でもその他は右手であろうと、左手であろうと同じ音ならいいではないか?きっとこれ、素人の考えなんだろうね。プロはきっと私の感想を「わかっていないんだなぁ」とお嗤いだろう。私が考える弾きやすい書き方とは次の写真の右側である。

3小節目(左)楽譜の記載(右)私の改造
39小節目(左)楽譜の記載(右)私の改造

楽譜の書き直しは面倒くさい

最初はこの右手左手交差にビックリし、慣れるために「右手上」とか「左手上」とかを鉛筆で書きこんでいた。しかしじょじょに「やっぱり右手が下のほうがいい」とか、「左手上ってどういうこと?」とかで、自分で書きこんだことの意味も分からなくなってきた。第一、字が汚いのも見苦しくてイヤだ。

次に弾きやすいよう、MuseScoreという楽譜作成ソフトで自分のために楽譜を書きなおすことも考えた。上の写真にある「私の改造」というヤツである。しかし、私はいまだMuseScoreの使い方をマスターしていない。ダウンロードしてから半年以上になるというのに!それで最近では楽譜に書いてある通り、右手親指と左手親指が組んずほぐれつを繰り返すことにしている。そのうち、私の手が覚えてくれるだろうことを願って!