夢でささやくピアノ

クラシックピアノとジャズピアノの両立を目指す、ねむいゆめこの迷走記録

半音階を弾くときの左手中指が丸まらない(泣)

バーナムピアノテクニック2-8

左手の半音階がうまくいかない

2月から通うようになった新しいクラシックピアノの先生のところでは、60分レッスンのうち、20分はバーナム2を見てもらっている。

本当に細かい細かいところまでご注意を受け、このご指導法で子どものときにレッスンを受けていたら、私はどれだけ上手になっていただろうか・・・なぁーんて想像するのは楽しいけれど、子どものときだと、ご指導のありがたみが全然わからなかっただろうね。

人生はそういうものなのだ。

さて、きょうも再度ご注意を受けたのが8番の「そっくりかえろう」。

いわゆる左手の半音階の練習である。

人間の指は丸まっているほうが自然

先生によると、私の右手半音階下降はなんら問題がないそうである。

要するに、指全体が自然に丸まりながら、指くぐりも問題なく下降できる。

それはやはり右利きだからだそうだ。

ところでなぜ指全体が丸まっているほうがいいかというと、人間はそもそも力を抜いて立っているときの指は↓の写真のように、ぴんとではなく、丸くなっているから、とのこと。

しかし残念なことに、私の左手は半音階では上行下降とも、中指がぴんとしている。

なぜか折曲がらずにしゃきっとしているのだ。

でも最初、おおざっぱな私は

「これでもミスなしで弾けてるからええやん」

と思っていた。

でも、綿密な世界ではダメなんだよね。

余分なチカラが中指にはいっているから、つまり脱力できていないから、曲がらないのだ。

左中指ピンの驚愕動画

そこでわかりやすいように、先生が

「じゃあ、動画に撮ってみましょう!」

と言ってくださった。

先生のほうから動画に撮ろう、という提案をされたことがなかったので、ちょっとびっくりはしたが・・・

そして撮られたものを見せていただいて、

ガーン!!

こんなに中指、3の指がピンピンしているとは思ってなかったよ、最悪。

先生からのアドバイスは、

「とにかくゆっくり練習しましょう」

ということだった。

やるしかないね。

もう一度子供になって文明の利器を利用したレッスンを受けたい

ピアノレッスンは60分の予定だが、いつも20分ぐらいは超過している。

しかしあとに生徒さんがくる気配は今のところない。

帰り際に次回の予約をとって帰るのだが、2週間後の同じ曜日、同じ時間で先生のご都合をお聞きしたところ、

「この日の同じ時間は空いているんですけどね、前に生徒さんがいて連続になると、私も疲れるので、別の曜日にしていただけますか?」

と言われた。

そう言われると、納得する。

だいたいあれほど中身の濃いレッスンをすると、先生も疲れるだろう。

ベルトコンベアー式に「はい!次の人!」とはならないだろう。

いや、延べレッスン数で生活のかかっている人なら、そうせざるを得ないだろうが。

とにかく、私もレッスン後は心身ともにヘトヘトになって、やっとお腹が空いたのを思い出し、駅前の蕎麦屋に駆け込んだ。

この頃のパターンである。

一息ついたところ、ラインが鳴るので、「誰だろう?」と思って開けてみたら先生だった。

さっきの中指ピンの動画を送ってくださったのである。

「レッスンお疲れ様でした!半音階の左手、改善しましょう」とある。

私としてはもう充分欠点はわかったし、そんなものは見たくもないわ、と言いたいところだが、ありがたく頂戴するしかない。

「ありがとうございました! しっかり復習します!」

と返信しておいたよ。

復習が最初、復讐となっていたので、ちゃんとメガネをかけて入力してよかった。

しかし、最近のレッスンでは文明の利器を駆使すれば、どんどん効果があがるはず、なんだね。

やっぱり戻れるものならもう一度、子ども時代に戻って、やり直したいと思うのだ。

 

私の知らなかったバッハ~ザ・プロファイラーをみて

NHK「ザ・プロファイラー バッハの壮絶人生」より

NHK「ザ・プロファイラー ”音楽の父” バッハの壮絶人生」

私はこれまでNHKの「ザ・プロファイラー」という番組を見たことがなかった。

したがってこの番組でバッハを取り扱っているのを知ったのは、たまたま偶然である。

やっぱり神様っているんだよね!?

私がバッハ大先生が好きだ!と言っていながら、その人となりはほとんど何にも知らずにきたものだから、神様が「これならわかりやすいから、ちと勉強せい!」と言ってくれたに違いない。

それほど私はバッハの人生について何も知らなかった。

この番組を見るまで知っていたことと言えば、音楽的功績は別として、

大変な子だくさんだったこと。

愛妻家だったこと。

ドイツから出たことがなかったこと。

ぐらいか? だからあまりドラマチックな人生ではないと思い込んでいたみたいなのだ。

だからNHKのこの番組のタイトルは「バッハの壮絶人生」となっているから、びっくりした。

順風満帆で幸福な人生を送ったに違いないバッハの、どこが壮絶やねん!

www.nhk.jp

山あり谷ありのバッハの人生

誰の人生も苦労多きものだが、バッハも例外ではなく、山あり谷ありだった。

以下のことはWikiにも書いてあるから、普通に知られた事実なのだろうが、私はまったく知らなかった。

  • 9-10歳で早くも孤児となり、兄に引き取られて育った。
  • 兄が所蔵している楽譜を黙って拝借し、月明りの下で写譜した。
  • 大学を出ていなかったため、ライプチヒでの昇進で不利となった。
  • 教会や宮廷でさまざまな妬みにあうなど迫害された。
  • 晩年は白内障に悩み、手術を受けるが結果は思わしくなく、口述で作曲を続ける

などなど苦労話は相当多く、さしもの「音楽界の父」も、人間関係には相当神経をすり減らしたようである。

にもかかわらず、生涯で1000曲以上もの楽曲を残したということは、逆境を撥ね退けてこそ燃えるタイプなのかもしれないね。

だから壮絶人生、ということか。

誰でも私のように努力をしたら、私のようになれますよ

バッハは作曲家としてより、オルガン等の鍵盤奏者として名を馳せたそうで、彼の卓越した演奏能力に感激した人に、

「誰でも私のように努力をしたら、私のようになれますよ」

と言っていたそうである。

そこでこの番組のゲスト、古坂大魔王

「これって大谷翔平イチローもそう言いますよね!」

と言っていた。そうなの? 知らなかった。

たぶん、バッハも大谷翔平イチローも謙遜のつもりで言っているのかもしれないが、私はちょっとどうかな~と思わざるをえない。

だって音楽やスポーツに卓越した才能を発揮する遺伝子を、彼らは祖先様から受け継いでいるのだろうからね。

私としては、

「祖先様のおかげです」

と十字を切るか、手をあわせてほしかった。

でないと努力しても努力しても結果が出ず、落ち込んでしまうメンタルの弱い人が可哀そうだから。

当時としては長生きしたバッハ

バッハは多くの子どもを残し、65歳で病のため死去した。

31歳、35歳、39歳で亡くなった、それぞれシューベルトモーツァルトショパンと比べると約2倍の長さの人生である。

生きた時代が17-18世紀だったことを考えると、それだけ頑健な体にも恵まれていたとは言えないか。

やっぱり健康で、長生きしたものが最後に笑うのだ(現代は長生きが当たり前になって、ちょっと事情は異なるが)

やっぱり私には、バッハの人生は悲壮感が漂う「壮絶人生」というよりも「円満人生」が似合っている気がする。

 

ミステリー小説が楽しめなくなったのはなぜかを考えた

「死のドレスを花婿に」(原題:La robe de marié)

ミステリーにあまり興味が持てなくなった

今から20年ぐらい前、つまりコンピューターの2000年問題が取りざたされ、20世紀が終わり21世紀に突入したところ、私のピアノ熱は最低レベルだった。

レッスンは、ジャズもクラシックもとっていなかったので、週末に30分ぐらい、そのときどきに思いついたものを弾くくらい。

ではピアノを弾く代わりに何に熱中していたかというと、ミステリー小説である。

いやぁ~ あの頃は読んだ、読んだ。

作家は誰がお気に入りだったかと言うと、宮部みゆき東野圭吾高村薫、海外ではアガサ・クリスティはもちろんパトリシア・コーンウェルスティーブン・キング・・・

ところがここ5-6年ぐらい前からミステリーにあまり興味が持てなくなった。

どうしてなんだろう?

グロテスクで残酷なものには耐えられない

理由のそのひとつには、最近のミステリーにはグロテスクで残酷なもの、性的表現が露骨なものが多すぎるように思う。

例えばピエール・ルメートルの「その女アレックス」。

私は彼の歴史物は大好きだが、「その女アレックス」の残酷性には辟易した。

でもこのミステリーは、ルメートルを一躍一流人気作家に押し上げた大ヒット作で、アマゾンの読者レビューも非常に高得点である。

でも気が弱くて怖がりの私にはみごとに不向きな本であった。

もっと心理的にサイコなのがいいなぁと思って、凝りもせずに選んだのがまた、ルメートルの「死のドレスを花婿に」。

だってアマゾンの読者レビューでは4点を超えているし、残酷ではない、って書いてあったし。

忘れたり、失くしたりするのはサイコ野郎の仕業

この小説は若く美しい女主人公、ソフィーがサイコな奴の標的になり、心理的に追い詰められるところから始まる。

メモ帳がいつまのまにかなくなっていた・・・

夫の誕生日プレゼントを買って隠しておいたのがない。

仕事の大事なファイルがPC上から消えている・・・

こんなに物忘れが激しくなるなんて、若年性認知症にかかってしまったか?

うん、この恐怖はわかる。

私なんかしょっちゅうモノは忘れるし、掃除機を放り出したまま、ピアノを弾いていて夫ちゃんに「片付けが終わっていないよ! もう認知症になったの!」と叱られるし・・

でも女主人公のソフィーはバリバリのキャリアウーマンだから、その疑いはないのだ。

それにこれがサイコ野郎の仕業だということは、イングリッド・バーグマンの主演映画「ガス灯」を観た人なら大体見当はつく。

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確かに、有能な脚本家としてキャリアをスタートさせた、ルメートルの語りにはさすがに練れたものがあって、読者をあっといわせるとことはにあった!

私も「してやられた!」と唸った箇所があったのは認める。

しかし数々の疑問が残る。

ソフィーはハンドバックを盗られた時点で、なぜすぐにアパルトマンのドアノブを取り換えなかったのか?

前半は忘れ物をする度にめそめそ泣いていたソフィーなのに、なんで終盤から急に、用意周到で注意深い女性に変身するのか?

サイコ野郎が目的を遂げるための動機として、この動機ではちょっと弱すぎるのでないか(同じ疑問を抱いたレビュアーもいらっしゃるようだ)。

こういうことはすべて作者に騙されたフリをして、素直にハラハラドキドキを楽しめばよいのだろうか?

ミステリーを読みすぎると先が読める

つまり、「継続は力なり」がミステリー読書では発揮されて、数多く読んだ結果、驚きが薄れ、筋書きや犯人がだいたいわかるようになったためだ。

これがミステリーが楽しめなくなった最大の理由ではないだろうか。

そしてちょっと悲しくなるのが、これだけ読んでおいて、細かい筋やタイトルはまったく覚えていない。

どうやらミステリーとはお別れのときがきたようだ。

やっぱりピアノを弾くのが一番の娯楽なのだ、今は。

映画「8月の家族たち」は特級の激辛ホームコメディ

2013年のアメリカ映画「8月の家族」(原題:August : Osage County)

橋田寿賀子の辛口ホームドラマをもっと激辛にしたら

2013年のアメリカ映画「8月の家族たち」をネットで調べると、ブラック・コメディ映画だと紹介されている。

コメディがつくからには、いかにブラックがついていようと、多少のひねりはあるものの、ワハハハと笑える映画だと解釈する人がいるかもしれない。

しかしこの映画は確かに見ごたえがあるものの、ワハハハとはあまり笑えない。

笑えるとしたら、まだ大人になりきれていない、子どものように純粋な心をもったひとか。

これは語弊を恐れずに言えば、橋田寿賀子の辛口ホームドラマをもっと激辛にしたものだと言えば、おのずとこういうのに興味がある人、ない人がわかると思う。

だいたい男の人は総じてあまり好まない。

彼らが好むのはアクションかバイオレンスだから。

明快なハッピーエンドを好む人にも受けはよくないのでないか?

反対に、老いた親から遠く離れたところに住んでいる人、家族間になんらかのわだかまりがある人、人間の心理の微妙な綾に興味のあるひとには、大いなる共感を呼ぶことと思う。

現在はYouTubeアマゾンプライムでも観られるみたいなので、家族の問題に興味のあるかた、メリル・ストリープジュリア・ロバーツのファンにはぜひ一度、鑑賞をおすすめしたい。

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メリル・ストリープジュリア・ロバーツの演技が圧巻

この映画を橋田寿賀子の辛口ホームドラマ以上のものにしているのは、なんといっても俳優陣のすばらしさであると思う。

喉頭がんで痛みを忘れるため薬中毒に陥りながらも、家族に毒のあることばを吐き続ける母親にメリル・ストリープ、圧巻である。

母親と丁々発止の対話を繰り広げるのが長女役のジュリア・ロバーツ

せりふだけで膨大な量だと思う。

これだけのせりふを覚えられるなんて、やはり俳優さんも、暗譜が必須のコンサートピアニストを同じくらい大変なのではないだろうか?

ところでこの家族の罵りあいは、息が詰まるほど見ごたえがあるのだが、これがもし日本が舞台だったらどうなるのだろう、と思った。

日本人だったらこれほどどす黒い感情を露わにして、皿も割ったりするだろうか?

もっと感情を内面に押し殺した演技になると思うのだが、そんな映画があるのなら見たいものだ。

メリル・ストリープが46年連れ添った夫と別居中

この映画でメリル・ストリープを見てから、村上春樹さんが昨年末にメリル・ストリープについて書いた記事(正確に言えば、DJ中のことば)を思い出した。

メリル・ストリープが46年連れ添った夫と別居中であることを知った、というものである。

いったい、大女優が実生活で「別居しましょう」と夫に言う時、どんな顔、表情、言葉を発するのだろう。

発しながら、自分がこれまでに演じた役柄と二重写しになることなんかないのかな、と思ったりした。

いやはや余計なお世話ではあるが・・・ 

アタマが揺れないよう鍵盤を見ずに弾く練習は効果あるやなしや

弾きながらやっぱりアタマが揺れている

アップテンポの4ビートに比べると、バラードは結構得意なほう。

これはたぶん、若い時にラウンジやクラブで弾いていたとき、やかましい曲は弾けないので、シャンぺンミュージックのカクテルピアニストに徹していたなごりかもしれない。

私のバラード、「You go to my head」を聞いた師は、

「これはうまいなぁ。

そやけどやっぱりときどき、アタマが揺れるなぁ。

これは残念やなぁ」

と言った。

弾きながらカラダのどこかが動くのは賛否両論

私のようにピアノを弾きながらアタマや首、また人によっては口元や顔面が動く弾き方は賛否両論いろいろあるようだ。

賛否両論といっては極端だが、

「本人がそれが弾きやすくて弾いてるのやから、別にかめへんのとちゃう?」

という派と、

「これは絶対矯正しないといけない」

という派である。

クラシックで言えば、マリア・J・ピレシュを思い出す。

この大ピアニストはNHKの「スーパーピアノレッスン」で、生徒のユッセン(彼も後年著名なピアニストになった)の口元が演奏中に始終動いているのが、お気に召さないようであった。

kuromitsu-kinakochan.hatenablog.com

そしてわが師は、クラシックではないが(しかし子どものときからクラシックを習っていた)カラダやアタマが上下に動くのを嫌う。

演奏中は音を前に出すことに集中すべきで、首ふり人形みたいな動きは無駄だ、と言い切るのだ。

確かにアタマや首を、カクンカクンさせていると、弾くフレーズもカクンカクンというよけいなリズムがはいるかもしれないね。

鍵盤や手元を見ないで弾け、と言われた

この私のアタマが揺れるクセを矯正するために、師は私に、

「鍵盤や手元を見ないで、いっぺん弾いて見て」

と言った。

私は「えーーー!?」と言いながらもやってみたが、別段音をはずすわけでもなく弾けるのだ。

しかし視線はどこにやればよいのか?

弾けなくもないが、やっぱり鍵盤をみたほうが安心感が違う。

そういう私に師は、

「目の不自由なひとがどうやって弾いてるか考えて。

スティービー・ワンダーがええ例や」

スティービー・ワンダー辻井伸行さんはどう弾いているか

そして見た動画が下のもの。

なるほど、彼は歌うからね。

確かに首やアタマを上下に動かしていたのでは、声は前にでないだろう。

手元はいっさず見ず(見ても仕方ない?)パワフルな歌声を聴かせるスティービー・ワンダーはしかし、体は左右に揺れている。

では左右に動くのはいいのか?

ジャズやポピュラーなどの軽音楽ならいいのかも?

だってスィングする=揺れる、は振り子のような左右の動きだものねえ。

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ここまで考えたところ、同じく目が不自由な辻井伸行さんは、よく首を左右に動かすことを思い出した。

これはスティービー・ワンダーにはない動きである。

この動きは彼の演奏には欠かせないものなのか?

ごちゃごちゃ考え出すとわからなくなってきた・・・

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しかしとりあえず、手元や鍵盤を見ずに弾く練習はしばらく続けてみようかと思う。

なぜかというと、アタマを下げずに正面を向いた姿勢であると、肩にも首にも負担がかからないような気がするのだ。

あくまで気がするだけか?

要!観察!