夢でささやくピアノ

クラシックピアノとジャズピアノの両立を目指す、ねむいゆめこの迷走記録

20歳年下夫と歌うピアフのデュエットソングがいいね!

エディット・ピアフと2人目の夫テオ・サラポ

私が弾けるピアフの曲

私がリード・シートなしで弾けるピアフの曲は、先日ストピで弾いた「パリの空の下」「愛の讃歌」「バラ色の人生」の3曲だけ。

この3曲は、私にとっては石器時代のような大昔、ラウンジピアニストをしていたとき、絶対弾けないとだめだったから、いわば必要不可欠なため覚えた。

ほかにもピアフの曲で好きなのは、「Je ne regrette rien」「Padam Padam」「ミロール」などがあるが、これらはシャンソン専門の店でもないかぎりリクエストはこない。

だから覚える必要はなし。

なにせキャパが限られているので、必要に迫られないとやらないのだ。

しかし、日本ではリクエストはおろか、熱烈なピアフファンでもない限り、知られていないのに大好きなため、ときどきトライしてみた曲がある。

それはピアフが2人目の夫と歌った「A quoi ça sert l'amour」(恋は何のために)である。

ピアフとテオが歌う「A quoi ça sert l'amour」(恋は何のために)

YouTubeができるまで私はこのデュエットの映像を見たことがなかった。

ところがこの文明の利器のおかげで、若くてハンサムで長身のテオと、彼の3分の2の身長しかないピアフとの掛け合いが見られたのだ!

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歌詞を以下にご紹介すると・・・

恋はなんになるの?
皆いつもよく分からない話をするけど
恋をして何になるのさ?

 

恋は説明できないものよ!
それはこんなもの!
どこからともなくあらわれてひとを突然つかまえるの

 

僕は聞いたことがあるよ
恋は辛くて泣かせるものだって、
恋をして何になるのさ?

 

恋が何になるのかって?
恋は私たちに喜びを与えるし目に涙を浮かべさせるの
それは悲しいしまた素晴らしいのよ

 

でもひとはよく言うよ
恋にはがっかりさせられて
二人のうちどちらかがまったく幸せじゃないことになるって

 

たとえ失った後も恋は蜜の味を残してくれるわ
恋、それは永遠のものよ!

 

それはみなすばらしいことだね、
でもすべて終わったとき恋は大きな悲しみしか残さないでしょ

 

いまは胸を引き裂くように
あなたに思えることも
明日は、あなたにとって
うれしい想い出になるわ!

 

つまりさ、僕が理解したとしたら、
人生に恋がなきゃ、喜びも、悲しみもなく、
無意味に生きたってことかい?


そうなのよ!わたしをみて!
毎回わたしはそれを信じるわ!
そしてずっとそれを信じるでしょう
そのためのものよ、恋は!
けどあなたはね、あなたは最後の人
けどあなたはね、あなたは最初の人
あなたの前には、誰もいなかったし
あなたといるとわたしはごきげんなの
わたしが欲しいのはあなた
わたしに必要なのはあなた
あなたをずっと愛するわ
そのためにあるのよ、恋って

ピアフのために生きたようなテオの人生

最後のほうの歌詞で「あなたは最初で最後のひと」と言う表現があるが、恋多き人生を送ったピアフにとってテオは最初の男性ではない。

これは作詞家が、勢いにまかせて書いてしまったのかな?

それとも、テオと出会ってあまりにも幸せなので、ピアフの記憶から過去の男性がぶっ飛んでしまったのかもしれない。

愛の讃歌」を書くきっかけになったボクサーのマルセル・セルダンも、イブ・モンタンも、アズナブールも。

とにかく46歳のピアフは26歳のテオと結婚し、47歳で亡くなった。

ピアフの死後、テオは彼女の莫大な借金を返済し、そこそこにソロでの歌も売れ、そして・・・

34歳の若さで自動車事故で亡くなっている。

まさにピアフのために生きたような人生ではないか。 

ピアフを歌うのならやっぱりセリーヌ・ディオンだと思う

セリーヌ・ディオンがオリンピックで歌うのか?

セリーヌ・ディオンがパリの街にあらわれたことから、「ひょっとしてオリンピック開会式で歌うのでは?」という憶測が乱れ飛んでいるそうだ。

アヤ・ナカムラはちょっと脇へ置いて、セリーヌ・ディオンなら開会式で歌声を披露する歌手として文句を言う人はいないだろうと思われる。

その抜きんでた実力はもちろん、英仏語で歌って世界中にその名を知られているからである。

若い人でもこのフランス語圏カナダ人大スターを知らないひとはいないと思うが。

でも難病といわれるスティッフパーソン症候群を患っていることが公表されてからすでに2年ぐらいにはなるから、流れの速いエンタメ界のこと、「そんな人知らん」という若者がいるかもしれない。

なので彼女がもし開会式で「愛の讃歌」を歌ったらこんな感じ?ということで↓の動画を貼ってみた。

セリーヌ・ディオンが歌う「愛の讃歌

観客のなかには泣いているひともいる。

それに今まで気がつかなかったが、最後の歌詞で

Dieu réunit ceux qui s'aiment 

(神は愛する者たちを結びつける)

というのがある。

私はこれまで「愛の讃歌」を単なるセンチメンタルな恋の歌と思っていたが解釈のしようによっては、世界のお祭りにふさわしい歌になるのではないか。

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アラン・ドロンとの「甘い囁き」に惚れ惚れ

愛の讃歌」もすばらしいが、私が最初にセリーヌ・ディオンの歌唱力・表現力に舌を巻いたのはアラン・ドロンとの「甘い囁き」である。

下の動画は1996年とあるから、アラン・ドロンは61歳(もっとおじいさんに見えるけど)、セリーヌ・ディオンは28歳のときかな?

もともとはダリダとアラン・ドロンの歌だが、セリーヌ・ディオンは完全にオリジナルを超えていて、

「もう口先ばっかりのあんたなんか、あっちへ行ってよ!」

という雰囲気がよく伝わってきて、こりゃもう感動モノである。

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セリーヌ・ディオンのアクセントを笑うな!

セリーヌ・ディオンといえば歌の次に話題になるのがフランス語の発音。

私はこれまで、ケベックというか、彼女が生まれ育った地域でのローカルな発音を「好きだ」とか「魅力的だ」というパリジャン、パリジェンヌには出会ったことはない。

もちろん歌う時にはその訛というかアクセントは消失しているが、インタビューになるともろにあらわれる。

なにか法則性でもあるのか、と思って下の動画の発音を改めて聞いて見たが・・・

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ちょっと失礼じゃないか、と思うのだが、インタビュアー氏が

「今まで4分ほど話しましたよね、アクセント(訛)のある話し方で。でも歌う時はアクセントがありません。どうしてですか?」(2:38)

このキツい質問にセリーヌ・ディオンはちょっとうろたえた感じで

「どうしてかわかりません」(2:52)

と答えている。

確かに、彼女の発音による「15年」は最初、ケージャンにしか聞こえず、スパイスの名前かと思った。

ま、大きいのはそれぐらい。

私には標準語と関西弁の違いぐらいにしか感じない。

しかし私は関西弁やからゆうて、東京のひとから笑われたことはあらへんよ。

東京のひとがやさしいのか、パリジャン・パリジェンヌが意地悪なのか。

私は絶対に後者だと思うのだ。

 

「ピアノの練習音など聞けたものではない」は誰が言ったのか

「ピアノの練習音など聞けたものではない」は先生の言

きょうの記事のタイトル「ピアノの練習音など聞けたものではない」を言った人は誰か?

私ではない。

先生が言ったのだ。

私は「えーーーーー! 先生でも!」

と仰天したので、忘れずに書いておくことにする。

ことの起こりは今日のレッスン、ナザレーの「オデオン」の連打部分である。

前回は↓の楽譜部分の「シシシ」において脱力が充分でない、ということで何回も繰り返し練習をさせられた。

 

連打部分の脱力不十分で特別練習

今回はなぜか「シシシ」に関してはお咎めなしで、オクターブに近い間隔で手を拡げて連打するところが脱力不十分ということで特別練習になったのだ。

特別練習とは、まず先生が連打部分を弾く。

先生の指が離鍵するやいなや、私が先生の手首を下から上にはねのける。

もし先生の脱力が不十分だったら、はねのける役の私は抵抗を感じるはずである。

ところが先生は充分脱力できているので、私はただ先生の手首をふわりと持ち上げているだけなのだ。

「力が必要なのは打鍵するときだけで、あとはふにゃふにゃの手でいいんです」

ピアノの鍵盤を力強いタッチで弾く手とふにゃふにゃの手。

なんか私には矛盾するように感じるんだけどなぁ。

ベートーヴェンバイオリンソナタ4番

もしテンポがゆっくりであれば、離鍵して手が上にあがったとき、手を若干すぼめるようにしたら脱力できるらしい。

しかしテンポが速くなれば、手をすぼめるヒマはないので、そこをどうするかということになる。

しかしピアニストというのは高速テンポで弾いた時も、離鍵の0.何秒、または0.0何秒か後には脱力できていないといけないそうだ。

先生はその例として、今アンサンブルの稽古をされているベートーヴェンバイオリンソナタ4番の連打部分を弾いてくださった。

見ている私は、

「ひぇー! これは一生かかってもできへんわ」

と思っただけで脱力のヒントは得られなかったけど。

ところでこの曲バイオリンソナタ4番は「クロイツェルソナタ」とテイストが似ていて、「クロイツェルソナタの下書きみたい」と先生は笑っていた。

よし、じっくり聴いて見よう。

私はなぜか今やベートーヴェンピアノ曲で弾いてみたいと思う曲はゼロなのに、バイオリンソナタの「」とか「クロイツェルソナタ」は寝る前に聴きたくなるほど好きなのだ。

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忍耐心と克己心のピアノ練習

そうこうしていると突然、先生が、

「いつもピアノの音が聞こえてくるおうちっていいですねぇ、とか言われない?」

私は首をかしげて、ちょっと怪訝そうに

「ええ」

と言うと、

「あれ、絶対何も知らないひとがいうことだよね!

ピアノの練習音なんか聞けたものじゃないから。

そりゃ最初からCDみたいにダーッと弾ければいいわよ。

でもそうじゃないもん。

おんなじ音を繰り返し繰り返し、もうノイローゼになるよね」

これを私が言うのなら何も不思議はないが、先生が言うのだから恐れ入った。

ああ、やっぱりそういうものなのか。

練習というか、修行というものは。

ピアノというか楽器というか、音楽をやっているひとはみな、すごい忍耐心と克己心にあふれたひとたちと思わざるをえない。

 

藤竜也さんの英語とか愛のコリーダとか

藤竜也さん1984年発表のLP

あのカッコよかった藤竜也さん82歳

今朝、何気なくYouTubeを開いてみたら、「藤竜也さん英語がペラペラ」という文言が眼に飛び込んできたので、思わずその動画を見てしまった。
別にいまさら、英語が話せるからと言ってその人がインテリとは思わないが、表現を生業とする人、つまりアーティストとか俳優とか作家とかが(ピアニストも!)、簡単な英語のインタビューにも答えられないというのは、なんでやねん(?)と不思議であり、残念な気がする。

だから

「え?藤竜也さん、英語ペラペラなん?」

と嬉しくなってしまったのだ。

だって私はNHK銀河ドラマ「冬の虹」(1979年)以来の藤竜也さんのファンなのだ。

その藤竜也さんももう82歳?

そしてグーグル画像で藤竜也さんを検索すると、よっぽど探さない限り、お若いときの画像はでてこない。

あんなにカッコ良かったのに(今もステキだけれど)。

というわけできょうのサムネイルには、お若いときに発売されたLPレコードのジャケット写真を貼ってみた。

藤竜也さんの英語による授賞式スピーチ

さて藤竜也さんが流暢な英語を披露された、アメリカ・ジャパンカップでの特別生涯功労賞授賞式(7/18日)は以下の動画の通り。

ひとことで言えば「英語ペラペラ」ということになるのだろうが、原稿も持たず、普通にいつもしゃべっているような感じで観客に向けて話しているのがとてもよかった。

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藤さんがニューヨークを訪れたのは2回目。

初回はなんと50年前で、「愛のコリーダ」上映のためにリンカーンセンターに行かれたらしいのが、検閲を通らなかったため、上映されなかったそうだ。

それが50年たってこの授賞式の翌日、ニューヨークのあるシアターで「愛のコリーダ」が上映されることになった、と藤さんはとても喜んでいた。

締めくくりは

「Movie is wonderful,  Life is wonderful, thank you !」

観客みんなに藤さんの気持ちが伝わるいいスピーチだったと思う。

パリで上映されていた「愛のコリーダ

ところで「愛のコリーダ」だが、私はこれをフランス留学時代に観ている。

よく調べたらこれは日仏合作映画なんだ。

それは知らなかった。

たしか90年代の初頭だから、日本ではまだこの映画の無修正版は見られなかったように記憶している。

私は大学に通うかたわら、単発で通訳のアルバイトもしていたので、フランスに商談できていた日本のモーレツビジネスマン氏たちに、「愛のコリーダ」の上映館とか上映時間を教えてあげた。

パリによくある、マイナーな映画ばかりを上映している小さな映画館だったと思う。

そしてビジネスマン氏たちにはえらく喜ばれた。

たぶん通訳の仕事よりもずっと。

クインシー・ジョーンズの「愛のコリーダ

きょうの音楽は私の恥ずかしい勘違い記憶から1曲。

1981年にヒットしたクインシー・ジョーンズの「愛のコリーダ」。

最初タイトル名を聞いた時、あの映画「愛のコリーダ」のテーマ曲なのか?と勘違いしてしまったよ。

真相は、映画「愛のコリーダ」(Ai no Corrida)という発音から拝借したタイトルであって、映画とは何の関係もないことが後日わかって非常に恥ずかしい思いをした。

それにしてもいい曲だなぁ。

今聴いても全然古くない。

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ハリスさんはトランプさんに勝てるのか?

バイデン大統領選挙戦から撤退声明

バイデン大統領が選挙戦から撤退するんだって?

ああ、やっぱり。

実は先週の金曜日、フランス語のムッシュー先生とこの話に熱がはいったばかりなのだ。

先生の意見では、

「あんな老人にアメリカ大統領はもうつとまらない。

さっさと次の候補者にバトンを渡すべき」

というものだった。

でも私はバイデンさん支持でもないのだが、不思議に思うことがある。

彼がお年を召しているのは前からわかっているし、言い間違いは若い人にも起こるという記事も書いたばかりであるので。

kuromitsu-kinakochan.hatenablog.com

「どうしてアメリカの大統領は身体的にすぐれていないといけないんでしょうか?

私は必ずしもその必要性はないと思うんですが。

太古の昔から村には長老というのがいて、その人は自ら武器を取って走ったりしないものです。

例えばクロサワの『七人の侍』で、『野武士から村を守るためには侍を雇うしかない』という英断を下したのは、いつも座っている長老だったはずです」

しかし知識と経験だけではアメリカ大統領にはなれないものらしい。

とにかく身体能力にも秀でた強いリーダーでなくては!

トランプに勝てる候補は誰?

ムッシュー先生によると、

「とにかくトランプ再選を阻止しなければならない、彼に勝つためには誰がいいのか?」

ということになるのだが、

ミッシェル・オバマがいいと思うんだがな。

On dit qu'elle est très intelligente (彼女はすごくアタマがいいらしいよ)」

「でも選挙にでる気はないってずっと言われてますよ」

「ならハリスでもいいな。

とにかく今の副大統領だから、実務経験は充分あるってことだし」

「でもあんまり人気はないらしいですよ」

La popuralité, ce n'est pas le tout!(人気がすべてではない)」

どうも私はムッシュー先生に逆らうことばかり言っているみたいだ。

あげくに

「このままだと99%はトランプが次期大統領になると思います」

と言って先生をがっかりさせた。

トランプが大統領になったら日仏に起こること

トランプが大統領になると、日仏両国に悪いことしか起こらないと先生は言う。

そうなんだろうか?

私には「日本は防衛費をもっと負担せよ!」と言われることぐらいしか思いつかない。

それも困ったことには違いないけれど。

ウクライナはどうなる! このまま見捨てるのか!」

ああそうだな。

そう言えば共和党の誰かさんが、

ウクライナがどうなろうと知ったことではない」

と言っているのをネット記事で読んだ。

私たちは今ひょっとして歴史の転換地点にいるのかもしれない。

そうとはわからないだけで。

未来に大変なことが起こるかもしれないのに、私は呑気にピアノを弾いているわけだ。

でも逆に言えば、何が起こるかは誰にもわからないから、とりあえず今やっていて面白いことをやるしかない、それのどこが悪いん?と開き直っている。

それにアメリカ大統領が誰だの、フランスの極右はどうだの、と適当なことを言える語学レッスンのいいところだろう。

こういう話題はだいたいデリケートだし、友だちにふっても引かれるだけだろう。

SNSで発信すれば炎上するかもしれないし。

でもこれからはチャットGPTのせいで語学学校に通う人はだんだん減るのかもしれない。

何にしても先が読めない世の中になった。