夢でささやくピアノ

クラシックピアノとジャズピアノの両立を目指す、ねむいゆめこの迷走記録

ミャクミャクとフリージュではどっちがましか?

パリオリンピックのマスコット「フリージュ」

大阪万博のミャクミャクは私には可愛くない

このあいだ、ニュースで来年に迫った大阪・関西万博のことをやっていた。

パビリオンの建設の遅れや、参加を辞退する国もあったりのようで、なかなか前途多難なようだが、私はもともとこういう大イベントに興味があるほうではないので、盛り上がりに欠けるからどうしよう?と問われても、「ふーん」という感じで見ていた。

それよりもなによりも、私のまったく個人的な趣味であるが、マスコットキャラクターのミャクミャクが、「何、あれ?」という感じである。

今風に言えば、キモい、ということか。

全然可愛くない。

私には誰かが浮き輪で顔を隠していて、しかもその浮き輪には目のかたちをした空気栓がいっぱいついている、にしか思えない。

ミャクミャク

夫ちゃんも「全然可愛くない」については同意見で、

「これもひどいけど、パリオリンピックのキャラクターもひどいよ。

馬鹿にしている人がいっぱいいるから」

とのことであった。

けれどそのとき、私は

パリオリンピックのキャラクターってどんなん?」

と聞こうともしなかったのだ。

フリージュのぬいぐるみを見せてもらった

ところがきょう、フランス語のレッスンに行ったとき、雑談でパリオリンピックの話になったのだが、私がキャラクターのことをまったく知らないので、ムッシュー先生にビックリされてしまった。

すんません、私にとっては音楽>スポーツなもんで。

それでキャラクターの名を「フリージュ」(phryge)と教えられ、慌ててメモしようとしたとき、F から書き始めてしまい、

「ノン、ノン、フォトと一緒で、Pから始めないと!」

と呆れられてしまった。

ああ、フォネティク(音声学)からやり直さないと・・・

そして別の生徒さんからもらったという、フリージュのぬいぐるみを見せてもらったのだが、想像していたよりも可愛い、というのが私の第一印象だった。

「少なくとも、ミャクミャクよりましなんやない?」

革命時のフリジア帽に由来するフリージュ

ところがフリージュの評判も、本国フランスでは今一つなようである。

しかしムッシュー先生の説明によると、このマスコットのデザインはフランス革命時に革命派がかぶっていたフリジア帽(bonnet phrygien)に由来するものであり、これまでにも多くの切手や硬貨にも使われてきたそうだ。

そのひとつに、ドラクロワ作の名画「民衆を率いる自由の女神」でも、女神はフリジア帽をかぶっているそうである。

そこで家に帰ってから画像をみて初めて、女神が帽子を被っていることに気がついた。

この絵では誰もが女神のおっぱいに目が行くのではないだろうか?

帽子被るぐらいなら、おっぱい隠せ、と言いたくなるのは私だけだろうか?

ミャクミャクが理解できないのは感性が古いから

わかりました。じゃあフリージュはOKということにしよう。

ではミャクミャクはどうか?

相変わらず、可愛いとは思えないが、良さを理解できないということは、それだけ私のアタマが固い、ということであろう。

私のような凡人には、クマならクマ、ウサギならウサギ、ワンちゃんならワンちゃんとはっきりわかる造形しか受け入れられない。

ところがクリエイターの感覚は、凡人よりも千歩も万歩も先に進んでいるのだ。

たとえば1970年の大阪万博のシンボル「太陽の塔」も最初は怖い、気持ち悪いと思ったものだ。

それが見慣れていくうちにそうでもなくなり、今ではあの頃の日本のエネルギーを思い起こし、ノスタルジーさえ感じる。

だからなんだかんだといっても、いつの日か、ミャクミャクをみても違和感はなくなるのだろう。

たぶん。

 

ピアノの姿勢の悪さと肩こりとは関係があるのか


コロナがもたらした唯一のよいこと

4月はじめに罹ったコロナは私に何らよいことをもたらさなかったようだが、よく考えてみると、ひとつだけあったと言えるかもしれない。

それは40代から発症した、慢性的な肩こりから解放されたということだ。

つまり37度を超える熱や、刺すようなのどの痛みから比べると、肩こりはまだかわいいもので、大した苦痛ではないと言える。

それにひたすらベッドに寝ているだけの生活だと、ピアノも弾かないし、パソコンでブログも書かない。

うーん、やっぱりこれが肩こりの原因なのかなぁ。

コロナ前のピアノ練習時間はだいたい2.5時間。

ブログを書く=パソコンで文字をタイプしている時間は前も今も約1時間。

あ、そうか!

これからはピアノは1時間くらいにして、ブログは隔日更新でやってみようかなぁ。

初めてのカイロプラクティック

コロナに罹る前、あんまり肩こりが酷いので、カイロプラクティックに行ってみた。

そこの先生は私に

「右手を上げて、左手を上げて」

などと指示をしたあと、

「こりゃ、固いなぁ」

と言っただけで、マッサージもなく最終的に6000円も請求された。

私は心地よいマッサージを期待していたのに・・・

そして去年、50肩になったことを告げると(私はすでに50を超えて久しいが)、

「きっとそれがまだ治っていないんでしょう」

と言われた。

そして次回からの施術では、30分ほどで6600円かかると言われた。

うーん、効果があるかないかもわからないのに、そんなに払うの?

というわけでそれ以来、そこへは行っていない。

ジャズピアノの師は姿勢にうるさい

ピアノを弾くにしても、パソコン作業をするにしても、私の姿勢は前かがみであるため、これが肩こりの主な原因ではないか、と思うのだ。

もっともそれをレッスンのたびごとに指摘するのは、クラシックピアノの先生ではなく、ジャズピアノの師なのだ。

彼が言うには、見た目はとにかく脇へおいておいて、前かがみ=猫背で弾いていると音が前に飛ばない、という信念からである。

そして、

「もっと背をおこして。

鍵盤なんか見ないでいいから!

胸郭を開くというか、胸を開いて、豊かな胸を!」

といったところで、

「今のセクハラにならへんよね?」

と心配顔で私に聞くので、二人で大笑いになったりする。

自分の弾く姿の写真をみてショック!

私は本当に猫背なのか?

自分ではそれほど意識していなかったのだが、2年前の発表会のときの写真をみて愕然とした。

猫背というよりも、首を前に突き出して弾いているのだ!

あー、格好悪い!

ストレッチと筋トレをやるしかないのか

もし本当に姿勢を改善して、音がでる、見た目の格好がよくなるのなら、なんだってやります、といいたいところだが・・・

それにはストレッチと筋トレが欠かせないらしい。

けれどどちらも私は苦手。

あんな面白くないもの、とてもじゃないがやってられない。

あれをやるくらいなら、毎日ハノンとツェルニーを1時間は練習できそうだ。

でも、夫ちゃんには

「シルバーカーを押しながら、地面だけをみて歩いているお年寄りにはならないでほしい」

とことあるごとに言われているのだ。

私もそうなりたくないから、もう腹をくくってやるしかないか。

まずは一番楽そうなストレッチポールを使った運動から。

 

大好きな曲なのに弾けない「What are you doing the rest of your life」

たぶんミシェル・ルグランが一番好きな作曲家

シェルブールの雨傘」「おもいでの夏」「ロシュフォールの恋人たち」などで音楽を担当したミシェル・ルグランは、たぶんジャンルを問わず、私の一番好きな作曲家のひとりである。

その理由はなんといっても「おしゃれ」だからだ。

そのメロディー、和音の使い方が甘すぎず、ダサすぎず、土着すぎず、お育ちがよく趣味の良いマダムの着こなしみたいに感じる。

その彼のヒット曲のなかでも、「What are you doing the rest of your life」は特に秀逸なバラードであるが、メロディーはともかく、歌詞がいい、泣ける!

でも英語だから当然、作詞はルグランじゃないよね。

調べてみたら、バーグマン夫妻といって、これも数々のヒットを飛ばしているお方たちらしい。

この素晴らしい歌詞を詩心のない私が訳せる自信はまったくないけれど、最初のところだけ、直訳で挑戦してみた。

What are you doing the rest of your life 和訳挑戦

What are you doing the rest of your life?
これからの残りの人生を、あなたはどう過ごすのかしら?


North and South and East and West of your life
あなたの人生の北、南、東、そして西で

I have only one request of your life

私にはね、あなたにお願いしたいことが一つだけあるの

That you spend it all with me
それはね、残りの人生を私と一緒に過ごしてくれないかしらということ


All the seasons and the times of your days
あなたが過ごす すべての季節、そして時間

All the nickels and the dimes of your days
ささやかな日常のすべて

Let the reasons and the rhymes of your days
あなたの日々の理や韻律の

all begin and end with me
すべてを私と始め、私と終えてほしいの

I want to see your face in every kind of light
いろんな光の中で輝くあなたの顔を見たいわ

In fields of gold and forests of the night
黄金の草原や星が舞う森の中で

And when you stand before the candles on a cake
そして蝋燭を立てたケーキの前で

Oh let me be the one to hear the silent wish you make
あなたが声もなくかける願い事を聞く唯一の者が私でありたいの

「What are you doing the rest of your life」聞き比べ

さすが名曲だけあって、さまざまなアーティストがレコーディングしているが、私の好みではバーブラ・ストライサンドを超えるのはない。

ジャズではないけれどね。

www.youtube.com

本家本元であるミシェル・ルグランもライヴなどで弾いているが、どうしてこのひとは歌いたがるんだろうね?

悪いが彼の歌はまったくいいと思わない。

ピアノだけ弾いてればいいのに。

また彼が伴奏をして、スティングが歌っているものあった。

これも私にとってはしっくりこない(ルグランのピアノのアルペジオ多すぎ)のだが、珍しいから貼っておこう。

www.youtube.com

私が弾けば演歌になってしまう不思議

ちなみにこの曲は私のジャズピアノレッスンの課題曲である。

4月はコロナでまるまる休んでしまったので、5月からは再スタートで奮起するつもりなのだ。

なのに好きな曲にもかかわらず、全然イメージするように弾けない。

短調の曲のせいか、私が弾くと演歌っぽくなってしまうのだ。

やはり昭和のあの時代、歌謡番組が多すぎて、好むと好まずとにかかわらず、自然と演歌がアタマにインプットされてしまったのか・・・

どうしよう??

 

ドビュッシーの「夢」は「夢想」のほうがよくないか?

クロード・ドビュッシー(1862-1918)

ドビュッシーの「夢」を発表会で弾くかも?

発表会の曲選びで、ウェーバーの「舞踏への勧誘」を目論んでいたところ、弾きにくい箇所があるので放り投げたことは、数日前記事にした。

kuromitsu-kinakochan.hatenablog.com

で、これをやめたら何を弾くのか、という話になるのだが、現在のところ、白羽の矢をたてたのは、ドビュッシーの「」(原題:rêverie)である。

これは数年前、「けっこうやさしんじゃない?」と思い、自主練していた。

しかし結局、レッスンにもっていかなかったのは、当時の先生から「ドビュッシーにばかり偏るのはよくない」と言われたことと、ゆっくりめのテンポでどこを盛り上げていいかわからない曲想のため、聞いてくださる人を退屈させない自信がなかったためである。

「夢」と「夢想」の2通りの邦訳

実は前からこの曲で気になっていたのは、まず邦訳である。

」と「夢想」の2通りがみられ、場合によっては「夢」(夢想)と表記されている場合もある。

ところで、「夢」のフランス語の直訳は「le rêve 」である。

しかし原題の「rêverie」と、「夢」の直訳である「rêve 」に関連性があることは、特にフランス語を習ったことのない方でも、ちょっと見ただけで察しはつくだろう。

でも実際、「rêverie」(レヴリー)と「rêve 」(レーヴ)はどう違うのだろう?

ここはやっぱり手っ取り早く、仏語ネイティブの夫ちゃんに聞いたほうが早い。

「rêverie」と「rêve 」の違い

「ねえ、『rêverie』と『rêve 』は意味としてどう違うの?」

すると彼は即答せず、数秒してから言った。

「『rêve 』は寝ながらみる夢のこと。

『rêverie』は、ぼやーーっとしているときに、なんかいいことないかなぁ~と思っているみたいなんだけど、寝てはいない」

それからいいことを思いついた、というように、

「例えば、数学の時間、先生のいうことがまったくわからないで、ボヤーっとほかのことを考えている生徒がいるでしょ。

これはまちがいなく『rêverie』」

これは私にあてこすっているのだ。

私が中学生の因数分解で落ちこぼれたのとは違い、彼の大学での専攻は数学なのだから!

「あ、そう。よくわかったわ、ありがとう」

その違いはよぉくわかったが、けれども「rêverie」と「rêve 」は、どちらも私のおはこ、十八番、得意技ではないか!

夢見るゆめこは母に笑われた

前にこのブログにも書いたかもしれないが、私は昔から10時間くらいはノンストップで眠れるロングスリーパーである。

そして毎夜毎夜、数えきれないぐらいの断片的な夢を見るのだ。

なおかつ、小さい頃からぼんやりと空想にふけるのが大好きだった。

あるとき、母がぼんやりしている私をみて、

「何してるの?」

と聞いた。

私は

「夢みてんねん」

と言ったのだが、信じられないことにこの答が大うけし、母は抱腹絶倒したのだ。

つまり私は「ぼんやりと考え事をしている」と言いたかったのに、子どもの語彙では説明できず、母は文字通り、私が眼を開けて(起きているのに)、夢をみているのだ、と誤解したのだ。

ああ、子どもはずっと深いところまで考えているのに、それを理解できない大人のなんと多いことか!

つまりね。

「rêverie」と「rêve 」の区別もつけず、いきあたりばったりに邦訳をつけるのは、よろしくないんじゃないか、ということをいいたかったのだ。

 

ロンドンへ行ってマーマレードが食べたくなる映画「パディントン」

2014年の英仏合作映画「パディントン」(原題:Paddington

「プーさん」と「パディントン」の違い

恥ずかしながら、私はどうやら「くまのプーさん」と「くまのパディントン」を混同していたようだ。

どうしてこんなことが起こったのだろう?

くまのプーさん」が石井桃子さんの翻訳で、岩波書店から出版されたのはいつだろう?と調べてみたが、どうもはっきりしない。

でもうちには「くまのプーさん」「プー横丁にたった家」もあったから、おそらく1960年代にはすでに日本でよく知られていたのだと思う。

それで子どもの私が、このプーさんを特に好んだかというと、そうでもない。

いま読めばまた違った感想をもつかもしれないが、その頃の私には、田舎で繰り広げられるプーさんの生活は単調で魅力にとぼしかった。

覚えているのは、プーさんがハチミツ好きということくらいか?

大人も楽しめるファミリー映画「パディントン

きょうは何か映画を観たいなぁ、と思ったけれどもシリアスにモノを考えるようなドラマは遠慮したかったので、前から録画してとっておいた「パディントン」(原題:Paddington)を観ることにした。

これは大正解だった!

この実写映画は、子供向けのファミリー映画ということになっているが、大人でも充分楽しめる。

ロンドンというか、イギリス好きなひとには特に喜ばれるだろう。

雨に関する表現が100以上もあるイギリス。

生活のなかでお茶=ティーが欠かせないイギリス。

会話はまず、あたりさわりのないお天気の話から、というイギリス。

(このへんも日本と似ていないか? 「お元気ですか」よりも「きょうはいい天気ですね」のほうが、ぴったりくると思う。

イギリス出身の俳優さんがイギリスらしさを倍増

この映画はほとんどすべてイギリス出身の俳優さんで固められているせいか(ニコール・キッドマンは違うが)、ハリウッド映画と違い、イギリスらしさに溢れていて、私にはとても好感が持てる。

そしてこの映画の重要人物、お父さん役のブラウン氏はヒュー・ボネヴィルが演じているのだ!

そう、「ダウントン・アビー」でグランサム伯爵を演じた俳優さんである。

2014年といえば「ダウントン・アビー」の撮影で多忙だったと思うのだが、この映画にも出演して女装場面もあり、コメディアンとしてまた違った顔を見せてくれている。

ロンドンでマーマレードのサンドウィッチが食べたい

ペルーから船に乗り、ロンドンで自分の家が持ちたいとパディントンに降り立ったクマのパディントン

人間でも新しい場所で、自分の居場所を見つけるのは容易ではないが、ましてやクマにとってそれは至難の業である。

ブラウン一家に一時、身を寄せることができたものの、いつまで居候できるかはわからない。

おまけにすったもんだの事件のあげく、命さえあやぶまれる場面に追い込まれるパディントンだが、そこはハッピーエンド。

晴れてブラウン一家の一員となり、ブラウン一家の家が彼の「ホーム」となるのだ。

そしてブラウン氏が締めるきわめつけの発言。

「ロンドンはどんな民族や種族でも、人間でもクマでも受け入れてくれる寛大な社会なんだ!」

おっと、そこまで大見得を切っていいのか?

そこまでロンドン讃歌を謳いあげていいのか?

まぁ、現実の難しいことはいわず、パディントンの可愛らしさに免じていいとしよう。

それにしてもロンドンへ行って、マーマレードのサンドウィッチが食べたくなってきたなぁ。

この映画をみると。

www.youtube.com