大阪音大ジャズ科講師はさすがの演奏
師のライブを聴きに行ってから始めてのレッスンにて。
師が
「こないだは来てくれてありがとう!」
というので、こちらも
「熱気で盛り上がったライブを見せていただいて、どうもありがとうございました」
そしてサックスの河村英樹さん(大阪音大ジャズ科講師)との初めての協演だったので、
「サックスのかた、どうでしたか?」
と水を向けてみた。
「やっぱりすごいわ! ボクもいろいろ勉強になった!」
と師はベタ誉めだった。
「すごいって、どこがそんなにすごいんですか?」
私はまた、音がデカいとか、フレーズがすごいとか、そういう音楽のテクニック的なことかな?と思ったのだが、意外に師の答えは、
「どんなときでも絶対に慌てへんねん!」
であった。
へぇ~ 素人の集まりではなくて、プロが3人集まっても、やはり「うわぁ、どないしょう!?」と冷や汗がでる場面があるのか?
「普通は慌てて、必死になって、汗かいて、そんで『まぁ、がんばってんからええやないか!』ゆうもんやけどな。」
結果よりも頑張ることに意義がある日本人
ここで私は夫ちゃんがいつも、
「日本人は結果が悪くても、がんばったらそれでいいと思っている」
と辛らつに批判することを思い出した。
確かにそれは一理あると思う。
だいたい私をも含めて普通の日本人は、「出来具合」や「結果」を賞賛するよりも、「がんばったからよかった」と汗水垂らした苦闘を賞賛する傾向があるのではないか?
ピアノを例にとると、ピアノを習い始めて2-3カ月の大人が発表会で、ショパンの「子犬のワルツ」を汗をかきかき、つっかえつっかえ、弾いたとするよね。
よっぽど才能のある人でないかぎり、この曲を子犬にふさわしいテンポで弾くには2-3カ月ではムリで、亀のテンポになるだろう。
しかし聴衆は、その人がこの曲に費やした時間と労力に対して、大きな拍手を贈ると思う。
「子犬のワルツなんかやめといて、初心者なんやからアラベスクにしといたらよかったのに」
となぁんて、口が裂けても言えないものだ。
確かにその「努力」については敬意に値すると思うけどね。
けどあまりに「出来」について不問だと、ちょっと違うかなぁ~という気もする。
曲のレベルを下げてよりよい演奏にしたら?とはどうして思わないのかなって。
そして何より、夫ちゃんにそんなことをいわれると、
「じゃあ、日本人と違ってあんたらフランス人は何かい?
すべて結果あるのみなんかい?」
とひがんで、反論したくなるのだ。
慌てる乞食は貰いは少ない
反して「慌てる」ことについては身につまされる。
昔から「慌てる乞食は貰いは少ない」というように、慌てても何もよいことはないのに、私はいつも慌てている。
ピアノで言えば、しょっぱなからミスをするともう慌てる。
よく最初ばかりを練習すると、最後が手薄になるから、と言う人がいるが、私にとって最初はことのほか大事である。
最初が崩れると、もう総崩れ。
クラシックではちょっとでも暗譜が怪しくなると慌て、ジャズではどこを弾いているかわからなくなるときがあり、また慌てる。
ベースさんやドラムさんとあわなくなり、さらに慌てる。
さて慌てないためにはどうしたらいいのか?
師いわく、「頑張るしかないなぁ」
頑張るのは当たり前。
頑張る=備える=練習する。それも考えながら。
そして慌てない。
ここで「趣味やねんから頑張らんでよろし」と言われたら、元も子もないけどね。