夢でささやくピアノ

クラシックピアノとジャズピアノの両立を目指す、ねむいゆめこの迷走記録

ココはどうやってシャネルになったか?映画「ココ・アヴァン・シャネル」

2009年のフランス映画「ココ・アヴァン・シャネル

映画「ココ・アヴァン・シャネル」をお勧めできる人とは

シャネルといえば、すごく昔のひとのように感じる。

だって日本風にいえば、明治18年生まれだから、私の祖母よりもう1世代上なのだ。

しかし、彼女は私が中学生の頃まで存命だった(私が昔の人ということか)。

これは彼女が1970年代では珍しい、87歳で大往生を迎えたためであろう。

あれだけタバコをスパスパ吸っててさ。

強い人は心も身体も強いらしい。

とはいっても私は、シャネルのことを深く知っているわけではないので、映画「ココ・アヴァン・シャネル」を視聴したのだが・・・

この映画、フランス19-20世紀の歴史に興味があるひと、モードに興味があるひと、主役のオドレイ・トトゥが見られればそれで満足というひとには面白いだろう。

しかしそうでなければ、ちょっと長く感じるだろう。

私はといえば、モードに興味はないが、歴史物が大好きなので面白かった。

しかし、苦言を呈したいところもある。

それは最後で。

?な「ココ・アヴァン・シャネル」予告編

下の動画が予告編だが、シャネルの恋人、カペルがピアノを弾くシーンから、ショパンの「別れの曲」が使われている。

映画ではまったく使われていない曲なのに。

なんかこういうのって、好きじゃない。www.youtube.com

いかにして芸能からモードへ大転換したか

この映画によれば、ココことシャネルは、孤児院で育った後、キャバレーで歌や踊りを披露し、この世界で成功することを夢見ていた。

しかし歌の才能はなかったらしく、キャバレーでの客、バルサンを追いかけて押しかけ居候から愛人になったあと、ひまつぶしに作っていた帽子がバルサンの取り巻き女性たちの評判となる。

同時に英国人実業家、カペラとの出会いで、彼の資金提供のもと、パリで帽子店を開業することになる。

バルサンとは違ってシャネルはカペラに本気だったが、彼は資産家の英国人女性と結婚する道を選ぶ。

以後、彼女は、

「誰とも結婚するつもりはない」(J'ai aucune intention de m'épouser à qui que ce soit)と開き直ったみたいである。

シャネルは史上最強の女性

ココにとって、裁縫や帽子づくりは最初、趣味というかひまつぶしだったというのが面白い。

しかし芸能の才能がないことに気づいた後、おカネを稼ぐために、帽子づくり➡シンプルなモード➡コルセットからの女性解放➡ジャージィのような着て快適な素材を使ったモード、と発展させていったようだ。

男性たちに支えられ、あるいは男性たちとの関係を利用して、頭角を現した女性はシャネルだけではないだろう。

なんといっても19世紀なのだから。

しかしどんな環境下でも、自分の栄養分を吸収していくエネルギーをもったひとはそうそういないのではないか?

まさしく史上最強の女性だと思う。

映画はここで終わっているが、実際のシャネルの人生は、ナチスに協力したという嫌疑もあったり、15年の空白のあと、70歳を過ぎてからモード界に復帰したりして、もっと複雑だったようだ。

だから私としては、「シャネル・アプレ・ココ」で、ココを卒業してからのシャネルの映画か、ドキュメンタリーを見てみたいものだ。

こんなところでゲイシャを使うな!

最後に苦言。

バルサンに囲われているとき、ココの寝室にバルサンが忍んでくる。

カフスボタンを外してくれ、というバルサンの頼みをココは拒否するが、

「日本って知ってるか」

「もちろん(évidemment)」

と答えるココ。

「日本にはな、ゲイシというのがいてな、男のために何でもするんだ。

身体を洗って、服を着せ」

というバルサンに、

「奴隷でしょ!」

と返すココに

「だからゲイシャのように、カフスボタンを外せ!」

とわめくバルサン。

あのね、こういう場所でゲイシャを使ってほしくなかったよ。

だって日本にはそういう女性=ゲイシャがいる、と信じているフランス人はまだまだいると思うよ。

まだその数を増やそうというのかい、まったく。

この映画の監督は女性らしいが、過去のクレッソン首相みたいな考え方を持っているんはないかな、と想像している。