「畏れ慄いて」とは
「畏れ慄いて」(原題:Stupeur et Tremblements ) は、人気女優シルヴィ・テステュー主演の映画で、フランスで大ヒットしたにもかからわず、日本ではいまだに一般公開されていないようだ。
またアメリー・ノートン (Amélie Nothomb) 原作の小説は、1999年にアカデミー・フランセーズ賞を受賞したベストセラーであるのに、その日本語訳はあまり売れているような印象を受けない。
日本に対する侮辱論争
その理由は、この小説・映画があまりにも日本の社会・会社を侮辱しているものだとする説が有力だ。
あらすじをざっくりいうと、
駐日ベルギー大使の娘として神戸で生まれたアメリーさんは、日本での子ども時代にノスタルジーを抱いていたゆえ、その日本語に磨きをかけ、「ユミモト商事」という大手商社に一年契約で雇用されることになった。
期待に胸をふくらませるアメリーさんだが、実際にまかされた仕事はお茶くみとコピーとり、おまけに女性上司から激しいパワハラを受け、ついにはトイレ掃除係に格下げされてしまう・・・
一言でいうと、青い眼が語る「日本の会社におけるパワハラ体験記」ということになるかもしれない。
たまたまこの小説、または映画を観た日本人のなかには、「アメリー・ノートンは、日本の会社での体験を面白おかしくでっち上げ、笑いものにした、けしからん!」と怒るひともいれば、「おっしゃるとおり、日本の会社では人間が人間として扱いを受けない、非人間的な社会なのだ」と、うなだれるひとがいるのも確かだ。
でも私は、ここでその是非を書くつもりは毛頭ない。私にとって、この映画はバッハのゴルトベルク変奏曲のすばらしさを教えてくれた映画であるし、大好きな女優、シルヴィ・テステューの演技が観られるうってつけの映画なのだ。
アメリーさんの日常をバッハが語る
英文の手紙を書いては、やり直しを命じられたり、気が遠くなるほどのコピー、仕事がなくてオフィスのカレンダーめくりや、郵便配達をかって出るなど、アメリーさんのオフィスでの毎日は、長くOLというものを経験した私にも「あるある」の日常だ。
映画はコミカルに、しかし淡々とアメリーさんの失敗、空想を描いていくがそのバックに流れる音楽として、ゴルトベルク変奏曲が、まるでこの映画にあわせてつくられたように感じるほどだ。
(これがベートーベンだったら、アメリーさんの毎日は悲劇的になり、ショパンだったら感傷的になりそう。モーツァルトはまだいいかもしれない。)
たとえば映画の予告編で0:15あたりから流れるのは、変奏曲3番。
また、アメリーさんが、日本での辛いOL生活を終え、ベルギーに戻ってから作家活動をはじめ、かつてパワハラを受けた女性上司からの手紙を読む場面ではアリアが使われている。
アメリー・ノートンさんは今や、ゴンクール賞の常連候補になるほどの実力作家に成長した。
日本の会社も1990年代とは変わってきたと思うので、もうそろそろこの映画を上映してもいいのではないかと思うのだが。