神戸元町の別館牡丹園でランチした
先日、関東に住む姉が一年ぶりに神戸に来た時に、「布引ハーブ園」に行ったことを記事にした。
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実は、「布引ハーブ園」に行く前に元町の別館牡丹園で中華料理のランチをしたのだ。
夫はあまり中華料理を好まない。
だからもし、私が中華料理を食べたいから、と言って夫を誘っても夫は多分却下すると思う。
だから、私は
「お姉ちゃんがここのワンタンメンが好きやから」
という理由を持ち出してOKをもらった。
本当は自分がここの春巻を食べたかったのである。
もう長いこと食べてないし。
スーパーや、他店のとはまったく違う、サクサク、ホロホロの皮がおいしいのだ。
中華料理店でオムライスを食べていたこどもの頃の姉
元町の「別館牡丹園」は、観光客が多い中華街にあるのではなく、もっと便利なJR元町駅数分のところにある。
亡くなった両親と私たち姉妹の4人家族は、これまでもう数えきれないくらいここに通った。
創業は1952年とあるので、1953年生まれの姉より1年先輩ということになる。
私が覚えている姉はここでいつもワンタンメンを食べていたが、私の記憶にない、あるいは私がまだ生まれていない頃、両親は姉のために、ここのメニューに載っていないオムライスを注文していたそうだ。
ところが1960年代、ここに限らずデパートの食堂でもどこでも、外食できるところはみな、料理が出来上がるのが遅かった。
30分くらい待つのは珍しくないことだったと思う。
なぜ? 電子レンジがなかったから?
理由はさっぱりわからない。
むしろ今のように、注文したら10分以内で運ばれてくるほうが不思議なのかもしれない。
とにかくそんな状況で、メニューにないオムライスを注文するものだから、調理はついつい後回しにされ、出来上がりはいつも遅かったようだ。
そして、当時はまだ若かった父があまりの遅さに腹を立て、席を立って「もう帰る!」と言ったこともあったそうだ。
後年の父の、決して怒らない好々爺ぶりを知っているデイサービスのみなさんには、そんなエピソードはとても信じられないだろう。
しかし、メニューに載せていないものを作ってくれた別館牡丹園さんも太っ腹だ。
メニューに載っていないものを子どものために頼む若夫婦も強心臓だ。
まぁ、そういう時代だったのかもしれない。
豚まんの「老祥記」の昔と今
別館牡丹園ともう一軒、父が特別ひいきにしていたのが、豚まんの「老祥記」だった。
こちらは今、観光客で賑わう中華街にある。
中華街はいつの頃からか、昔の姿を知る私から見れば、信じられないほど綺麗になっている。
もっとも、中華街といっても横浜の中華街の規模の大きさから比べるとまことにこじんまりとしたものだが。
だから中華街というより、中華通りと言ったほうが当たっているかもしれない。
この中華街、元町通りをすぐ左に折れたところにあるのだが、これが子どもの私には妖しげな光景だった。
何と言っていいか、まだ戦争直後というか、爆撃を受けた直後みたいに乱雑で、建具が壊れかけ、暗くて、豚まんの列に並んでいる父を呼びに「老祥記」に行くのも怖くていやだった。
それが今はきれいに整備されて、女の子たちのグループもカップルも「老祥記」の前に並んでいる。
近いうちに豚まんをイートインする
私は姉に、
「お姉ちゃん、せっかくやから豚まんこうていったらええのに」
と言ったが、姉は、
「新幹線のなかで匂いするからいやや」
と言った。
さもありなん。
私も帰りのJRや阪急バスのなかで、豚まんの匂いをぷんぷんさせるのはちょっと恰好悪い。
今度からは老祥記の店内で豚まんを食べよう。
おっと、今風に言えばイートインだ。
若い時は一人店内でラーメンや豚まんを食べるのに勇気がいった気がする。
ところがこのトシになると、特別それが勇気を要する行為とは思えない。
なんでやろ?
何かをときのどこかに忘れてきたのかな?