ミッシェル・ポルナレフをご存じ?
このブログに立ち寄ってくださった訪問者さんのなかで、ミッシェル・ポルナレフをご存じのかたはどれくらいいらっしゃるのだろう?
今から50年前、彼の歌を聴いたことのない中高生はいなかったと断言できるくらい大ヒットを次々と飛ばした「フレンチ・ポップスのスーパースター」なんだけど・・・
今はフレンチ・ポップスで何が流行っているか知ろうと思えば、ネットで検索しなければならない。
けれども50年前はラジオのスィッチを入れるだけでよかった。
カーペンターズやシカゴ、カーリー・サイモンなどのアメリカ勢に並んで、いつでもポルナレフのハイトーンボイスが聞けた。
あの時代のほうが、私にとって海外がずっと身近だったような気がしてならない。
ポルナレフはクラシック音楽の英才教育を受けた
この記事を書くにあたって、ミッシェル・ポルナレフのWikiを調べてみると、お父さんはウクライナ人の音楽家だった書かれている。
これまでロシア人だと紹介されていた、と思うのだけれど。
やっぱり日本人にとってはロシア人もウクライナ人もあまり区別がつかなかったようだ。
ミッシェル・ポルナレフはパリ音楽院でクラシック音楽の英才教育を受けているが、その後ロックに傾倒し、独自の音楽スタイルを築いたようだ。
今、彼の初期の動画をみると、改めてピアノの技術の高さに驚かされる。
特に2:20ぐらいからの手の動きを見てほしい。
私はあんなの弾けないよ。
はて、プマシェリーとは何か?
日本で彼の「シェリーに口づけ」がはやったのは1971年だから、私はフランス語はおろか、英語の聞き取りもよくできない中学生だった。
冒頭の Tout, tout, pour ma chérie は、トゥ トゥ プール マ シェリー なのだが、当時の私の耳にはプー プー プマシェリー に聞こえた。
「はて、プマシェリーとは何か?」
今考えても t とp の音の区別がつかなかったなんて、やはり語学の才能はあまりなかったと思わざるを得ない。
もちろんフランス語ネイティブの夫にはこの話はしていない。
もし話せば、また呆れられるもんね~
サッカーの応援歌に使われた「シェリーに口づけ」
さて、ミッシェル・ポルナレフは音楽の才能は申し分なかったが、何かとお騒がせの人物だったらしく、お尻をだしたポスターを出版して世間のひんしゅくを買ったり、フランスが一時イヤになってアメリカ進出を試みた。
しかしアメリカでは思うほどの成功を収められなかったようだ。
私も一時はポルナレフのことを忘れかけていたが、なんと1998年のサッカーワールドカップフランス大会への進出を目指した日本のサポーターが、応援歌として「アレ、ジャポン!(Allez, Japon!)」というタイトルで「シェリーに口づけ」を採用したのだ。
これは嬉しかったね。
まだこの曲のことを覚えていてくれたひとがいたんだ、と思って。
耳コピで弾いてみた「シェリーに口づけ」
さて、耳コピで弾いてみた「シェリーに口づけ」、原曲はGではじまり、あとからA♭に転調している。
転調するときA♭のスケールを弾いたが、最近スケールを練習していないのでどきどきものだった。
ソ・ソ・レミソファー というフレーズがいかにもキャッチーで楽しい。
また思い出したら、左手のパターンを変えて弾いてみたいと思う。