夢でささやくピアノ

クラシックピアノとジャズピアノの両立を目指す、ねむいゆめこの迷走記録

脳内で合体する「哀愁のヨーロッパ」「悲しい色やね」「大阪で生まれた女」

脳内で合体する「哀愁のヨーロッパ」「悲しい色やね」「大阪で生まれた女」

タモリさんが教えてくれた「悲しい色やね」とサンタナの共通点

先日、ブラタモリの「大阪・梅田~カオスな梅田はどう生まれた?~」を録画しておいてゆっくり見た。

この番組は毎回見ているわけではないが、さすがに馴染があってないような大阪の「梅田」がお題とあっては、ちょっと見ても損はないかなぁ~と思ったのである。

そしたら番組のすでに冒頭で、タモリさんが大阪を代表する上田正樹氏の曲「悲しい色やね」に言及して、「あれを聞くと、脳内でサンタナになってしまう」という意味の発言をされた。

するとすぐ、サンタナの「哀愁のヨーロッパ」で切ないギターのメロディーが流れ・・・どっちも知っている曲だったにもかかわらず、私はこのときはじめて、上田正樹氏の「悲しい色やね」とサンタナの「哀愁のヨーロッパ」の冒頭部分がほぼ同じであることに気がついたのである!

「悲しい色やね」と「哀愁のヨーロッパ」の冒頭はほぼ同じ

まず「悲しい色やね」の冒頭部分はこちら。

オリジナルのキーはDmで、これに「大阪の海は 悲しい色やね」の歌詞がつく。

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対して、「哀愁のヨーロッパ」はこちら。

オリジナルキーはCmで、むせび泣いているようなギターがカッコいい。

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歌詞で「悲しい色やね」と「大阪で生まれた女」がごっちゃになる

不思議にこれまで「悲しい色やね」を聞いても、タモリさんのようにサンタナが思い浮かぶわけではなく、いつもアタマのなかでごっちゃになるのはBOROの「大阪で生まれた女」であった。

メロディーが似ているというのではないが、二つの曲の醸し出す「浪速臭さ」「尽くし型で世話女房の浪花女」という共通した色あいが、私の脳内でごっちゃになるのだ。

でもひょっとして、「大阪で生まれた女」は全国区でないかもしれないので、以下に歌詞の一部を貼っておく。

踊り疲れた ディスコの帰り
これで青春も終わりかなとつぶやいて
あなたの肩をながめながら
やせたなと思ったら泣けてきた
大阪で生まれた女やさかい
大阪の街 よう捨てん
大阪で生まれた女やさかい
東京へはようついていかん

歌のなかに織り込まれる大阪のイメージ

この歌詞のなかで繰り返される「~やさかい」というのが非常に大阪だと感じる。

基本的に大阪、京都、神戸という関西三都市のことばは似ているが、それでも私が生まれて育った阪神間では「~やさかい」を耳にすることはない。

「~やさかい」と言われると、非常にディープな大阪、「浪花恋しぐれ」にでてくる桂春団治の元妻が「あんたが日本一の咄家になるためやったら、うちはどんな苦労にも耐えて見せまっさかい」と言いそうな気がする。

それに「東京へはようついていかん」という「ついていく」というのも気になる。

せめて「一緒には行かれへん」にはならないものか。

また大阪 vs 東京という構図もいかがなものか。

一旗あげるには東京でないといかんのか?

ニューヨークやったら喜んで「ついていく」のか?

といちいちツッコミを入れたくなるのは、私の性格が悪いのか、それとも世間に蔓延するステレオタイプ(関西=大阪ってこんなところ)にモノ申したいだけなのか?

あ、でも「大阪で生まれた女」も「悲しい色やね」も歌としては大好きである。

そしてどっちの歌も上田正樹氏やBOROの、ハスキーというか、しわがれた声が大阪というカオスに満ちた街にはぴったりで、間違ってもイズラエル・カマカヴィヴォオレの澄んだ美声は合わないなぁと思うのだ。