夢でささやくピアノ

クラシックピアノとジャズピアノの両立を目指す、ねむいゆめこの迷走記録

雪ごもりで聴く「雪が降る」と「雪の降る町を」

2023年1月28日兵庫県芦屋市

標高492.8mだと兵庫県南部でも雪が降り止まない

今週は25日の水曜日から断続的に雪が降り続いていて、きょうでもう4日目になり、止む気配はない。といっても、私の住んでいるところは北海道でも北陸でも東北でもない。兵庫県南部なので、天気予報ではずっと今週は晴れマークである。この違いはやはり標高の違いによるものではないだろか?最寄りの鉄道駅であるJR芦屋駅付近の標高は18.3mだが、ウチの町は492.8mなのだ。

村上春樹氏のデビュー作「風の歌を聴け」によると、兵庫県芦屋市は「海から山に向かって伸びた惨めなほど細長い街」とある。その細長い街を地図に書けば、ウチはてっぺんのほうに位置するが、おそらく村上春樹氏がお住まいだった頃にはまだ家は一軒もたっていなかった森林地帯である。

雪かきをしないので出かけられない

ところで私はこれまで雪の多いところに住み慣れていないので、雪とのつきあい方がわからない。雪国では外出しなくても、玄関まわりとかの雪かきをされるのだろうか?雪国のかたが聞いたら呆れそうな質問である。ウチのドアから門まで十数段の石段があるが、これはもう雪でビッシリ覆われている。雪かきをしたくないので、散歩にも買い物にも出かけられない。食料はまだ数日もちそうだが、ゴミ出しはどうしよう?夫は「寒いからゴミも臭いがしない」と鷹揚である。一歩間違えればゴミ屋敷になりそうな状況だ。

サルヴァトール・アダモの「雪が降る」

こんな雪の日に雪に関連した歌をふたつ、思い出した。ひとつはサルヴァトール・アダモが1963年に発表した「雪が降る」(原題:Tombe la neige)である。日本でもいろいろなひとがカヴァーしているようだが、越路吹雪さんのが一番有名ではないだろか?

アダモの声で思い出すのが、今はもう亡くなった美人女優、大原麗子さんのことである。大原麗子さんが森進一さんと結婚しているときのインタヴューで、「ウチの主人の声ってアダモに似てるでしょ」とくすっと笑ったのだ。

森進一さんと森昌子さんが結婚する前だから、1970年代の話かもしれない。なんでこんな話を何十年たっても覚えているかというと、実際聞き比べてみて、アダモと森進一の声はひじょうによく似ていることを発見した私は、当時演歌嫌いだったためビックリだったのだ。同じ声質でシャンソンのアダモは許せて、演歌の森進一は許せないのか?これって先入観?ひそかに反省したものだ。

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ダーク・ダックスの「雪の降る町を」

もうひとつは、私が子どもの頃にNHKの「みんなの歌」で放映していた「雪の降る町を」である。これはもう、数えきれないほどのカヴァーがYouTubeにアップされているが、ピアニシモのハーモニーがすばらしいダーク・ダックスのが私好みである。

この曲、サビのところからの長調への転調が特に気に入っている。未来に向けて明るく、希望が持てそうな気がするからだ。転調の威力ってすばらしい。

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ジャズピアノのタッチに悩みながらベンチャーズも聴く

みんなが知っているジャズを弾きたい理由

不思議といえば不思議かもしれないが、自分が弾きたいクラシックピアノの選曲については、100人に聞けば90人までが知っているような曲を選びたいとは思わない。例えていえば、「トルコ行進曲」とか「子犬のワルツ」とか。

なのにジャズに関しては、どちらかと言えば少なくともジャズファンみんなが知っている曲をやりたいと思っていた。例えていえば「枯葉」「酒とバラの日々」とか「バートランドの子守歌」とか。

これはクラシックファンのほうが数の上で、ジャズファンを凌駕しているためだと思われる。特に最近は大人ピアノの流行のおかげで、クラシックに開眼するかたも多い。反してジャズの曲は一般的に知名度が低い。だから私も弾いているときに、「それ、何?」よりも「あ!これ聞いたことある!」と言われるスタンダードをやりたいのだ。

ところがジャズピアノの先生は、私から見るとかなりの玄人好みである。先生は私のレッスン曲を選ぶ際、自分の手書きコードコピーをずらりと並べ、「どれにしようかなぁ」と実に愉しげである。たまには私の好みも聞いてほしいなぁ。

というわけで、発表会後に先生が選んでくれた曲のひとつが、「Lullaby of the Leaves木の葉の子守歌)」というオリジナルが1932年に発表された曲。私が知らなかっただけで、ビリー・ホリディエラ・フィツジェラルドも歌っている。ジャズは奥深いのだ。自分の知らないことを謙虚に習わないといけないのだ。

ベンチャーズもカヴァーした「木の葉の子守歌」

Lullaby of the Leaves(木の葉の子守歌)」は最初、ジェリー・マリガンというサックス奏者によってジャズのスタンダードになったので、まず入門編としてはこちらから。

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ところがこれをあのベンチャーズがカヴァーして1965年にヒットさせたのだ。ベンチャーズと言えば特に私の世代には「テケテケテケテケ」というエレキサウンドでおなじみである。

日本では歌謡曲にも進出して渚ゆう子さんの「京都の恋」もヒットさせた。ずいぶんと間口の広いグループなのだ。

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ジャズピアノのタッチとはスタカート?ノンレガート?

さてここからが本題。要するに先生は私のピアノについて、「ひとつひとつの音をバラバラにしたうえで、ひとつのフレーズにまとめる」弾き方を習得せねばならないとおっしゃる。「でないとジャズやない」おっしゃる通りです。

ではジャズの弾き方とは何か?これは先生も言葉でなかなかいい表せられない。スラー、テヌートで弾くのではなく、研ぎ澄まされたタッチって何?

そこで先生と私の「Lullaby of the leaves」の最初の部分を比較してみた。こんな数秒の録音のためにYouTubeを使いたくなかったので、音声だけを下に貼ってみた。

先生と私のタッチ比べ

以下、先生が弾いたテーマ最初の例(左端をクリックすると音声がでます)

以下、私が弾いたテーマ最初の例(左端をクリックすると音声がでます)

 

両者の違いが一目瞭然、ではなく一聞瞭然である。先生のが研ぎ澄まされたキレキレッのナイフのような音なのに、私のはモッチャリしてて、ドスンドスンと重たい。いったいどういう弾き方をすれば先生のに近づくのか。試行錯誤しているが道は果てしなく遠い。

バッハシンフォニア3番のフレージング間違いはソフィア・ローレンのCMのせい?

わが家にて

シンフォニア3番は充分準備してレッスンに臨んだ

発表会が終わったら、次の曲は何にしようかーこれは比較的早い段階からアタマのなかにあった課題であった。そして普段から何事にも準備のよい(?)私は、バッハについてはシンフォニア3番をやろうと心に決めていた。今の先生になってからシンフォニアは1,2番と進んだし、3番をチラっと弾いてみたら、なかなか明るくて親しみやすいメロディーだと思ったのだ。そして合格までのレッスン回数を3回、つまり3回目のレッスンで合格することを目標に、YouTubeの分析講座もしっかり見て万全の態勢でレッスンに臨んだはずだった。

先日のレッスンでのシンフォニア3番

さて、先生宅のヤマハグランドピアノの前に座って、できるだけ丁寧に弾こうと試みた私は思いもかけないところ、つまりしょっぱなのテーマで完全なダメだしを食らうことになってしまった。フレージングがまったく違っていたのだ。先生が言うのには、タララッタラ タララッタラ タララッタラ。ところが私が弾いたのは、タララッタ ターララタッタ ターララタッタ。これじゃ何のことかさっぱりわからないよね!下記の画像でお判りいただけるだろうか?

左:正                   右:誤

こういうフレージングというか、アーティキュレーションの誤りはインヴェンションをやっているときから多発した。正しいものを習うたびに、「へぇ~~ バッハ先生はそうくるのか!」と目からうろこだった。シンフォニアにはいってからあまりそういうことはなくなったかなぁ、と自分の進歩に目を細めていたのだけれど、なんや全然直ってへん。ひょっとして私の考えるリズムがバッハ先生のと根本的に違うのだろか?それにしても分析講座を2つも聴き、準備万端だったはずである。私の耳は何を聴いていたのだろう?ひょっとして私の脳にはタララッタかラッタタか知らないが、何かもう埋め込まれたリズム、フレーズがあるのではないだろうか?

私の脳には「ラッタッター」が埋め込まれているのでは?

つらつら考えると、原因は昔よく見たテレビのCMにあるのではないか、と思い至った。そのCMの対象商品は「ロードパル」であり、Wikiによると、「本田技研工業が1976年から1983年にかけて製造販売していた排気量50ccの原動機付自転車のブランド名である」。

そのCMには国際的に知名度が高いイタリアの女優、ソフィア・ローレンが起用され、彼女がCMのなかで、「ラッタッター」と言いながらバイクに乗る姿は、当時誰もが見るテレビで繰り返し放映されたため、私たちの脳に完全に定着したと思う。私はそのバイクがロードパルという正式名称を持つとは知らなかった。その商品は「ラッタッター」という名前であると思い込み、友だち同士の会話でも、「あれラッタッターちゃうん?」「ほなら、ラッタッターに乗ったらええやん」と言い合ったものである。

ソフィア・ローレンには明るいイタリアのマンマが似合っている

ところで、運転免許はとったものの、クルマを持つことなく、自転車にも乗らず(神戸は坂だらけだから自転車には向かない、という言い訳がある)、それではラッタッターを買えばよかったかもしれないが、なぜか私の購買意欲は乗り物には向かなかった。よって私の脳には「ラッタッター」というリズム、フレーズだけが残ったのである。

YouTubeソフィア・ローレンのCMを見つけたので、ご存じなかったかたはぜひご覧いただきたい。このなかではソフィア・ローレンはいかにも料理好きなイタリアのマンマを演じ、悲恋の反戦映画、「ひまわり」の主人公とはまた違った顔を見せている。いや、どちらかと言えば、この女優さんには底抜けに明るいマンマのほうがお似合いだと思うのだが。しかし、私の脳に埋め込まれた「ラッタッター」、これ、何とかならんか?

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「老後とピアノ」はシニアピアニスト必読の書になるか?

「老後とピアノ」稲垣えみ子  ポプラ社発行 定価¥1,500

「老後とピアノ」は図書館で3か月待ちだった

元朝日新聞社記者で、アフロヘアが印象的な稲垣えみ子さんの、「老後とピアノ」をやっと読むことができた。やっと、と言うのは、この本はかなり人気なようで、図書館で予約してから約3か月は順番待ちをしたからである。

「大人のピアノ」をテーマにしていることから、この本とさきに記事にした、「ヤクザときどきピアノ」はジャンルが似ていると言えば似ているのかもしれない。ただ、「ヤクザときどきピアノ」の鈴木さんはこれまでまったくピアノに触ったことのない52歳、そして稲垣さんは、いわゆる「ピアノ再開組」の53歳である(執筆段階のご年齢)。そして大きく違うのは、稲垣さんのほうは「老後」をテーマにしていらっしゃることである。

kuromitsu-kinakochan.hatenablog.com

「こう弾きたい」がない演奏はつまらない

小学校以来40年ぶりにピアノを再開した稲垣さんは、あれよあれよというまにピアノに夢中になり、先生のすばらしいご指導の甲斐もあり、あっというまに1年で憧れの「月の光」を弾いてしまう。もちろん、そこにいたるまでは紆余曲折があり、あるときは「歌う」ってどういうこと?と質問を先生にぶつけたりする。すると先生からは、「自分がどう弾きたいということ。いくらテクニックがあっても、その曲を『こう弾きたい!』という思いがないと何もつたわってこない」という教えを受け、目の前に扉が開かれたような思いをされる。

なるほどね。私などは「こう弾きたい」と思うよりさきに、プロのピアニストさん、あるいは上手なかたの演奏を聴いて、「こう弾かなあかん」と思い込む。しかし当たり前ではあるが、そうは弾けないし、だいたい自分がどう弾きたいか、なんてクラシックでは許されないと思い込んでいたふしがあるのだ。

どう弾きたいはどうやったら見つかるのか?「まずは、できるだけいろいろな人の演奏を聴くことです」。ここで稲垣さんが、ナマの演奏会をはしごしたり、オーディオマニアになるのであれば、別人種のかただった、ということになるのだが、幸いなことに彼女もネットの定額音楽配信サービスに走るのである。良かった、おんなじ行動パターンで!

練習魔に試練が訪れる

脇目も振らずにピアノの練習に励んだ稲垣さんだが、とうとう練習のしすぎがたたったのか、手を痛めてしまう。そして「度を越した努力に老体はあえなく故障し、努力そのものを中断せざるを得なくなった」のである。ここで、稲垣さんは「老化」と向き合うことになるのだが・・・えーーーっ まだ53歳でしょ、私より10は若いやん。これって絶対、練習のしすぎだと思う。何かで読んで、ご存じの方も多いと思うのだが、ショパンが「ピアノは3時間以上練習してはいけない」という言を残している。ここでこんなん自慢にならへんわ、と思うのだが、私はいまだかつて手を痛めたことがない。それだけ練習が足らないということか、ガックリ。

老後のピアノとの向き合い方を見出す

しかし不幸中の幸い、と言うべきか、手を痛めたおかげで、稲垣さんは、からだの自由がきかなくなった老後のピアノとのつきあい方について、ある解答を編み出すのだ。

つまり野望を持たず、「1時間かけて1小節を美しく弾けるようにする。そうだよそれを練習っていうんじゃないだろうか?

これに比べると稲垣さんより10は年を食っている私は、まだまだ野望に未練がいっぱいである。何もコンクールで賞を取りたい、とかXXさんより上手くなりたい、というのではない。私には苦手なことが多すぎ(スポーツ全般、車の運転、裁縫、DIY全部)、それらに比べるとピアノのほうがましなため、その分野でちょっとでも進歩することが、いってみればささやかな人生の喜びなのだ。それを「野望を捨てて、小さいことで喜びなさい」と言われてもなぁ。往生際が悪いシニアはどないしたらええねん。

 

 

クラシックピアノ発表会反省とどうする今後?

阪神芦屋付近から六甲山を望む

発表会の翌日、先生は体調が良くなさそうだった

今月は発表会の翌日がレッスン日という、珍しいめぐり合わせになった。先生宅に到着後、まず「きのうはお疲れさまでした。いろいろとありがとうございました。」とご挨拶をしたが、先生は見るからに体調があまり良くなさそうだった。「抗原検査はしたけど大丈夫だったから安心して」とおっしゃっていたが。どうやらお元気がない理由のある程度は、きのうの発表会のピアノが不評だったことにあるのかもしれない。

発表会の会場選定はむずかしい

私が慰めるつもりで、「でもお食事はおいしかったですよ!」というと、「食事もおいしくてピアノもいいところってなかなかないわよね」とため息をつかれる。先生は食事とピアノをドッキングさせる発表会が理想なのだろうか?私は去年のように、発表会は小さめホールで、打ち上げは別会場でも良かったと思うのだが、それだと打ち上げに参加しないひともでてくる。打ち上げの参加は自由だし、私も本来飲み会は苦手なのだが、ピアノの生徒さんたちには年1回しかお会いしないので、打ち上げは情報交換の場として悪くはないのでは、と思うのだ。

30分のレッスン時間は短かすぎるからどうしよう

きのう、ドビュシーの「版画 塔」を弾かれたかたも素晴らしくお上手だった。彼女も私と同じく月2回のレッスン(1回30分)なのだが、30分が短すぎて、「あまりにもみてもらえない」ので、1時間に変更しようかと思う、と言っていた。ところがお仕事をされているため、あまり練習が進んでいない時もあるからどうしよう、とのこと。同感である。もっとも私が30分レッスンにしている理由は、時間が倍になれば謝礼も倍になるので、「年金生活者の食費よりもおけいこごと代が高いというのは、いかがなものか」と思うからである。

それでは40分とか45分とかレッスンはないのだろうか?「難しいでしょうね」と彼女と言い合った。私たちの先生のスケジュールはつめつめなのだ。弾いているあいだに必ず次のレッスンのかたがやってくる。先生がトイレに行かれるとかお茶休憩をされているのを見たことがない。私なら生徒さんが弾いている間にお茶を飲んでしまうかも?いつか言ってみようかしらん、「先生、休憩を取るのも大事ですよ」。

来年の発表会はあと出しジャンケンで行こう

一方、発表会の曲目についてだが、なぜドビュッシーにばかり集中したのだろう?先生はバッハモーツァルトをとても尊敬していらっしゃるようだが、ドビュッシー好きとはあまり思えない。だからこれはみな、私を含めた生徒さんの好みだろう。先生としても、「○○さんや△△さんもドビュッシーを弾くから、ほかのにしたら?」とは言えないだろうし。

でも聴く側としては、いろいろ変化があるほうが面白いと思うのだが?同じような(すまんな、ドビュッシー)が5曲も6曲も続くより、趣向が変わったほうが飽きなくてよいと思うのだ。

ということで、来年はあまり早くから曲を決めずに、他の参加者の曲目を先生に聞いてからにしよう。つまりは「あと出しじゃんけん」だ。何より今回のように半年同じ曲をやるのは元来飽きやすい性格のため、後半気合が失速した。発表会はゴールではなく、あくまで通過点なのだから、3-4ヶ月で仕上がったものでいいのではないか?

70台後半の参加者の男性が「1か月しか練習していません」と胸を張っていたのを思い出した。高齢者は怖いもの知らずだ。「もっと気楽に、もっとイージー」。これが今回の私の反省点ということにしておこう。