92歳で天に召されたフジ子・ヘミングさん
魂のピアニスト、フジ子・ヘミングさんが亡くなったのを知ったのは、今朝、姉からのLINEによってであった。
享年92歳とのこと。
たしか昨年秋ぐらいまで、週1-2回のペースでコンサートをこなされていたのではなかったのか?
90歳を超えてもそのペースで演奏活動を続けられていたなんて、私にはちょっと信じがたかったのだが。
自分の親の老化ぶりを間近で見ていた私には、だいたい人は80-85歳になるとこうなって、90-95歳になるとどうなって、というのがよくわかっているつもりだ。
普通の人は90歳を過ぎるとだいたい、背中をまっすぐにして椅子に座っているだけでも大変なのだ。
それが満席の聴衆を前にしてピアノを弾くコンサート?
こりゃ超人、化け物?と思っていたのだが、やはりフジ子さんもひとの子、大好きで大嫌いなお母さん、仲の良い弟さんがいる天国へ旅立ってしまったのだなぁ。
フジ子さんの数奇な運命に魅了される
私がはじめてフジ子・ヘミングさんを知ったのは、1999年放映のNHKのドキュメンタリーがきっかけであった。
そういえばフジ子さんが、メジャーなピアニストになったのがいつかを計算してみると、68歳のときだから、今の私のトシと変わらない。
「だから私もフジ子さんみたいになれるかも?」と思ったということではないのだ。
フジ子さんは幼少時からピアノのエリート教育を受けているし、東京藝術大学卒業後、ドイツにも留学し、バーンスタインにも認められている。
ただ運命のいたずらか、68歳になるまで悲運が続き、「成功」には恵まれていなかった。
それがテレビのドキュメンタリーをきっかけにして、あれよあれよというまにブームになり、ピアノだけでなく、著作は本屋さんで平積みにされるわ、画家だったお父さんの血をうけついで画も売れるわ、こんな人生ってあるだろうか?
私はフジ子さんのピアノをどう思っていたか
フジ子さんはよく「魂のピアニスト」といわれ、彼女のピアノを聞くまでクラシックに縁がなかった人をも虜にした例は多い。
海苔の漁師さんが彼女の「ラ・カンパネラ」を聴いて感激し、ピアノを一から始めて独学の末、「ラ・カンパネラ」が弾けるようになった話は、ピアノ学習者であれば誰もが聞いたことのある逸話であろう。
反して、彼女のピアノを評価しない人も多かったようだ。
特に耳の肥えた、いわゆるクラシック通の人たち。
では、私はどちらの派だったのか?
実際、私はそのどちらでもなかった。
私にとってフジ子・ヘミングさんは卓越したピアニストだったし、でも魂がゆさぶられる、というのでもなかった。
「きっとこれはナマの演奏を聴いたことがないせいだろう」
と思い、一度コンサートチケットを買ったことがあったのだが、あいにくコロナ禍で中止になってしまった。
それ以来、機会に恵まれず、そしてその機会はもう、二度とやってこないのだ。
フジ子・ヘミングさんのことばに影響された
しかし私は、インタビューなどで発せられた彼女のことばに大きな影響をうけてきたのは事実だ。
たとえば、
- 音に色をつけるように弾いている
- 私ほど音のきれいなピアニストはいない
- 壊れそうな鐘だっていいじゃない(自分の弾く『ラ・カンパネラ』に言及して)
また彼女の絵も好きだった。
「夏休み絵日記」に描かれた絵はどれも大好きで、これは私の愛読書にもなっているため、ブログの記事にもさせていただいた。
kuromitsu-kinakochan.hatenablog.com
さあ、それでは最後にやっぱりフジ子さんの「ラ・カンパネラ」を聴いて終わりとしようか。
あ、やっぱりこりゃ凄いワ。