夢でささやくピアノ

クラシックピアノとジャズピアノの両立を目指す、ねむいゆめこの迷走記録

大の苦手の初見を攻略する近道を探して

ジャズスタンダードバイブル

初見の恥はかき捨てでよいか?

もうすぐ3か月に1度の、ジャズピアノアンサンブル練習会がある。

これは普段のレッスンでは、師のベースギターとしかお手合わせをしてもらっていない私たち生徒が、プロのベース氏、ドラム氏、あるいはボーカリストと練習してきた曲をあわせてもらうのだ。

そればかりでなく、「初見演奏」というのもある。

これは私が大の苦手とするもので、過去に途中でどこを弾いているかわからなくなり、ベース氏、ドラム氏、ボーカリストには大変ご迷惑をおかけしたことがある。

ほかの生徒さんみんなは、私の迷走ぶりをハラハラして見ていたらしく、いやぁー恥ずかしかったなぁ。

二度とあんな恥はかきたくないので、以後、なるべく初見の練習を欠かさないようにしている。

でも、恥をかきたくないために、練習するってなんかネガティブやなぁ。

もうこんなトシまできたのだから、恥なんかどうでもいい気もするけど。

今実験中の初見攻略

私の初見攻略の第一条はまず、初見をなくすこと。

逆説的ではあるが、一度やったことのある曲は初見とは言わないものである。

そこで私は「ジャズスタンダードバイブル」通称黒本、227曲のうちから、対象となる歌物(ボーカルのある曲)を数え、一つずつつぶしていくことにした。

つぶすやり方は、対象曲を選び、

  1. 調号とラストのコードからキーを確認する。
  2. なるべく「移動ド」でメロディーを歌ってみる。
  3. 自分のできるイントロとエンディングで、その曲にあうものはないか考えてみる:ただし無理をせず、アイデアがなければイントロは最後の8小節からとる。
  4. アドリブも含め、ピアノで弾いてみる。
  5. ジャーン!答え合わせ!:YouTubeで曲名を検索し、少なくとも2-3のアーティストの演奏を聴く➡全然自分の弾いたものとちがうやん!と腰を抜かす。

移動ドで音をとるのはむずかしい

私はソルフェージュを習ったことがないので、移動ドでメロディーをとるのがとても苦手だ。

なので、固定ドで、なおかつピアノの鍵盤を想像したほうが、近道みたいな気がするのだが、本当はどっちがいいのだろう?

例えば下の楽譜、「My foolish heart」 (愚かなりわが心)を移動ドで読めば、

ソソー ドミソラシラ―  ララー レファラシー

となるが、私はそう読むためには、固定ドで読める音名のひとつ上をあてはめて読んでいるのだ。

もう脳の働きはマックスである。

それよりも、ピアノの鍵盤を想像して、固定ドで

ファファー bシレファソラソー ソソー ドbミソラー

と読んだほうが、速いし、音も正確な気がするんだけど。

火事場の馬鹿力で乗り切る

黒本の歌物は数えたところ、118曲だった。

ところで師は「課題曲は黒本からだします」とは言っていない。

クロウト好みの師のことだから、きっと黒本に掲載されていない曲からだす確率は約40パーセントか?

もうこれは間違いなく実力テストである。

そして師によると、

「いざというときに、自分が今もっている力のすべてを出せる」のがよい演奏家の条件だそうだ。

つまりは、火事場の馬鹿力をだせということか。

それだったらなんとかできるかもしれない。

 

すき焼き奉行をしながら寅さんをみる

1976年の映画「男はつらいよ寅次郎夕焼け小焼け」

ご近所さんから牛肉をいただく

ウチの近所に、その分野では世界的に有名な企業のオーナー氏の邸宅がある。

が、私たちはオーナー氏のお顔さえ拝んだことはない。

かの邸宅では、ガレージが邸宅の1階に組み込まれているため、オーナー氏は近隣の住民と顔をあわさずにご出勤されるからである。

私たちが挨拶するのは、この邸宅に住み込んでいる「執事」氏で、先日彼が庭の水撒きをしているところに偶然出会った。

私たちとしばらく立ち話をしたあと、執事氏は

「ちょっと待って。ええもんあげるわ」

と行った後、邸宅に引っ込み、ほどなくして牛肉のパッケージを手に現れ、

「はい、これ。ウチは年間50個はこういうのもらうから、いっぱいあるねん。お返しはいらんから」

と言うのだ。

私がすき焼き奉行に就任する

家へ帰ってから開けてみると、それは見事な霜降り肉の1kg詰め合わせだった。

え~~!! こんなん貰っちゃっていいのか?

いくら「お返しはいらない」と言われても、タダより怖いものはない、というのに!

しかし夫ちゃんは素直に喜んでいる。

そして

「こんな脂の多い肉は西洋料理にはあわない。

そうだ!これはすき焼きにしよう!」

というのだ。

それはいいが、すき焼きには関東風と関西風がある。

すなわち、関東風は前もって調味料の役目を果たす「わりした」を作るのだが、関西風ではそのときどきで、砂糖で肉を炒めた後、醤油、酒を足すという段取りである。

そして私の知る限り、そういうのを取り仕切るのはいつも男性と決まっていた。

過去にはウチの父であったり親戚のおじさんだったのだ。

しかし彼らはもうこの世にいないし、人生ですき焼きをたべたのが2回くらいという夫ちゃんには任せられない。

しゃーない! 私がすき焼き奉行になるのか!

男はつらいよ寅次郎夕焼け小焼け

すき焼き奉行をしながら、観た録画映画は「男はつらいよ寅次郎夕焼け小焼け」。

この映画は寅さんシリーズの17作目にあたるらしい。

私は渥美清さんが亡くなってからこのシリーズの面白さに開眼し、ほぼ3分の2は観たと思うのだが、これはまだ見ていなかった。

マドンナ役は太一喜和子さんである。

私は彼女の生前、その魅力がさっぱりわからなかったのだが、今回この映画をみて「芸者 ぼたん」にふさわしく、大輪の牡丹のように妖艶だと思った。

さすが三國廉太郎さんでなくても、その魅力にずぶずぶはまるわけである。

出演者の多くはみな故人となってしまった

それからこの映画では、宇野重吉さんとご子息にあたる寺尾聡さんが共演しているのもみどころだ。

宇野重吉さんと寺尾聡さんの親子

映画では宇野重吉さんはずいぶんおじいさんにみえるが、調べてみると、この映画が撮られた1976年にはまだ62歳。

そんなにおトシではないのだ。

そして息子さんの寺尾さんは今や、その年齢をはるかに超えた76歳。

去年の紅白に出られたらしいが(私は見逃した)、髪はもう真っ白である(にもかかわらずカッコいいと評判だが)。

その他、ソ連に亡命経験がある岡田嘉子さん、元ジャズピアニストの桜井センリさんも登場しているが、みなもう故人となってしまったのが感慨深い。

渥美清さんに至っては言わずもがな。

せめてさくらさん役の倍賞千恵子さん、夫役の前田吟さん、なにより山田洋次監督(92歳)にはもっと長生きをしてほしいものだ。

 

アンサンブルのお相手はパソコンに決まった

片耳にiPhoneをあてて思い出した鶴田浩二さん

これは昨日の記事のつづきみたいなものである。

世の中には機械のアレコレに強い人がわんさかいらして、もちろん音楽についても造詣が深く、そういう方から見ると、

「このおばさん、何やってんの?」

と言われるレベルの話なのだが、一応顛末を書いておくことにする。

まずiPhoneのボイスメモでは音量が小さすぎて、アンサンブルのお相手にはなりにくく、iPhoneを耳にあてて、空いたほうの手で弾いている、というところまで書いた。

しかしこうやっていると、自分が鶴田浩二さんになった気分である。

ところで鶴田浩二さんをご存じのかたは、まちがいなく還暦以降ではないだろうか?

かく言う私も、彼が二枚目俳優で鳴らしたころは知らないのだが。

私が知っている鶴田浩二さんは任侠映画のスターであり、片耳に手をあてて歌う独特の歌唱スタイルで知られた歌手であった。

パソコンに移してVLCメディアプレーヤーで聴けば?

別に鶴田浩二さんスタイルがいけない、というのではないのだが、あまり効率がよいともいえず、もうちょっとましな方法はないか、と考えたところ、ボイスメモをパソコンに転送したらいいのではないか、と思いついた。

どうしてこれを先に思いつかなかったのだろう。

考えてみれば、ジャズピアノのレッスンでは録音は「マスト」なので、師の演奏ばかりでなく、私の演奏や、くだらないおしゃべりもみな録音している。

そしてその録音の肝心なところを探すのに、ボイスメモはあまり適していないため、わざわざパソコンに移してVLCメディアプレーヤーで聴いていたのだった。

パソコンは一人アンサンブルの優秀なお相手だ

そこでボイスメモの「共有」から「メール」を選び、自分のパソコンメールアドレスに転送する。

これが不思議に時間がかかるのだ。

いつまでも「送信トレイ」にとどまっていることがよくあるのだ。

どうしてだか、いっぺん本腰をいれて調べないといけないね。

でもきょうは時間がないからパス。

さて、メールでパソコンに届いたファイルをVLCメディアプレーヤーで再生してみる。

おー!結構大きい音がでるではないか!

パソコンの音量を70くらいまであげると、これはもうリッパに誰かほかの人が、ピアノを弾いているレベルである。

私のはノートパソコンだから音質もしれているが、デスクトップ型のパソコンをもっていたら、もっといい音もするのではないか?

子どものときの一人遊びと変わらない

これで楽しくアンサンブル!といきたいところだが、ふだん両手で弾いているのに慣れてしまうと、意外に片手だけというのはミスがでてしまうなぁと感じた。

とくに右手だけで弾いていて、左手に対応した休符があるとき、左手を弾かないとその休符の長さがあいまいになってしまう。

だから、そのあいまい休符に満ち満ちた右手録音に左手をあわせようとすると、

「あれ? なんかあわへん。おかしいなぁ。なんでやろ?」

ということになる。

思えばこういう練習って、もっと早い段階、せめて譜読みのときにバッチリやっておくべきだったんだね。

こんどからはもっと早くはじめよう、一人アンサンブル。

この練習方法が、理にかなっているかどうかはわからないが、いろいろやってみるのが結構楽しかった。

そう、私にとってこういうことは、子どものときの一人遊びの延長なのだ。

あの頃は風船を手に持って、ちゃぶ台から何回も飛び降りる実験もした。

いつか風船の力で、からだが浮くかもしれない、と思ったのだ。

まぁ、それと変わらないレベルなのだ。

 

iPhoneにアンサンブルしてもらうための試行錯誤

バッハ フランス組曲2番アルマンドで足踏み

バッハ フランス組曲2番アルマンドはこれまで計4回レッスンしてもらっているが、いまだに合格していない。

自分でいうのもなんだが、これはすでに1回目のレッスンで、「もうできあがっているな」と感じていたのである。

それが次から次へとダメ出しが続き、その理由は

  • 右手が2声であるべきなのに、1声にしか聞こえない
  • フレーズごとのブレス(息継ぎ)が充分でない
  • 左手のバスの裏拍を小指でひくと、ドスンと音が強すぎる

とまぁ、実にいろいろなのだ。

自分でもアタマではわかっているのだが、なかなか改善できない。

ところが、先日は先生に右手部分、あるいは左手部分、私はその反対というふうにいっしょに合わせてもらうと、難点は克服できた。

つまり聖徳太子は7人の声を聴くことができた(8-10人説あり)というが、私は1人の声しか聴こえないのだ。

さあ、困った。これをどう改善すべきか?

アンサンブルのお相手はiPhone

そこでまた再びトライしてみたのが、iPhoneに助けてもらう、という方法だ。

つまり自分の右手(左手)をiPhoneのボイスメモなり、ビデオで録画しておき、あとでそれにあわせて左手(右手)を練習するというもの。

ところでiPhoneボイスメモとビデオとではどちらの音がマシなのか?

ググってみると、どちらも音質は変わらないそうである。

私はこれまでなんとなく、ではあるがビデオのほうがマシだと思っていた。

これはやっぱり、自分が一生懸命指を動かしている映像に騙されるのだな。

「なんか必死でやっている」のをみて、自己陶酔に近い評価をしてしまうのだと思う。

ところがボイスメモで「音」だけを聴くと、

「わぁ~ 下手クソ! もう聴いてられへん!」

となるのだ。

ボイスメモの音質を向上させる方法

自分の音だけを改善するのに、なにも毎回ビデオ撮りをする必要はなく、ここはボイスメモで充分だろう。

ところでそのボイスメモの音質を向上させる方法があることを、下記のサイトに教えていただいた。

これは全然知らなかった。

何でも調べてみるものだね。

trivisionstudio.com

その方法とは

  • ロスレス圧縮に変更する:「設定」➡「ボイスメモ」から「オーディオ品質」で変更可能。
  • マイクの位置を確認し、マイクを音源の方向に向けること
  • なるべく大きな音で録音すること。
  • ノイズ除去をすること

iPhoneのポータブルアンプ1万円は安いのか?

これらの方法をやるとさすがに音質は前より良くなった。

気のせいか、自分の演奏も少しは聞きやすくなったような気さえする。

しかしいかんせん、音量を最大にしてもアンサンブルのお相手にしては音が小さい。

物足りない。

イライラする。

私がいろいろやっているのをみた夫ちゃんが、

「それはアンプがないとダメだよ」

と言う。

アンプ? 暗譜じゃないよね?

アンプとは昔から聞きなれたオーディオ用語であるが、詳しくは何を指すのか私にはさっぱりわかっていない。

わかっていないが、とりあえず「iPhone」と「アンプ」で検索してみると、「スマホに挿したらすぐハイレゾ」と謳っているポータブルアンプとやらが1万円以下!とある。

ほう、世の中の人の1万円は、まるで私の1000円ぐらいのようである。

興味はそそられたが、本当に私が想定する音量にまでなるのかどうか、確信が持てないのに1万円を払う気にはなれない。

それでどうしたかって?

今のところ、録音したiPhoneを片耳にあてながら、それにあわせて片手ずつ弾いているよ!

 

メモをとりながら読む「われらが痛みの鏡」は完読できるのか

ピエール・ルメートルの「Miroir des nos peines」
(邦題:われらが痛みの鏡)

「われらが痛みの鏡」をフランス語で読む決意

先日、ピエール・ルメートルの「死のドレスを花婿に」をPCキンドルで読んでいたら、フランス語ネイティブの夫ちゃんに、

「なんで日本語で読んでいるの? フランス語はもう諦めたの?!」

となかば叱責された。

諦めたわけじゃないけど、日本語で読んだほうが速いし、よくわかるし、面白いやん!

しかしなんとなく自責の念に駆られたこともあり、今度は一念発起してフランス語の小説を原語で読むことにした。

もう長いこと、そんな無謀な試みはやっていない。

しかし20世紀の2つの大戦に翻弄されたフランスの人々を描いた、ピエール・ルメートルの3部作には前から興味があった。

ことに「天国でまた会おう」は映画化もされ、いい映画だった。

kuromitsu-kinakochan.hatenablog.com

ならばこの完結編にあたる「われらが痛みの鏡」は、フランス語で読んでみようではないか、と壮大な目標を掲げ、アマゾンマーケットプレイスで注文することにしたのだった。

フランスから届いた「Miroir de nos peines」

注文したときの値段は1835円だった。

ところがそのときの画像で、本の表紙はどうだったのか覚えていない。

とにかく届いた本は何のイラストもなく、フランスでよくあるオフホワイト単色だったので、少々がっかりした(私はイラストが大好きなのだ)。

しかし定価は22.9ユーロとなっており、今のレートでいうと3700円はするから、私はキレイな中古品をおトクに買ったことになる。

総ページ数530ページ!

本の厚み3.8センチ!

こんなの完読できるとは到底思えない!

下は着いたときの梱包。

結構しっかりしていた。

日本語用メモ帳を自作する

私はノートを作ったり、切ったり貼ったりの工作が好きである。

そこで手製の日本語用メモ帳をつくり、そこに絶対はずせない表現、単語、語句を書くことにした。

手順は以下のとおり。

  • 写真用印刷紙で好みのイラストを印刷し、表紙とする(今回はこの本の別の版に使用されているイラストを使った)

  • A4コピー用紙を10枚と(ホッキチスで止められるくらい)この表紙をまとめて、縦にも止められるホッチキスで3か所留める。

  • 100均で買ったブックカバーをかける。

ナニ、手順というほどのこともないな。

読むことよりノートをつくるほうが愉しい?

国語学習者はこういう本を読むとき、そのまま本に訳語を書き込むかたが多いのではないかと思う。
私もそうやっていた時期があるが、今はあまり好きではない。

あとで売るときに困るから(フランス語なんて売れないよ!)というのではなく、自分の字をあとでみるとウンザリするからだ。

それに「このときは、こんな単語も知らんかったのか」と自分に呆れることもあるし。

単語について言えば、昔はわからない単語は逐一辞書を引いていた。

しかし今やもう、自分の記憶力の限界を知り、19-20世紀初頭のフランスの日用雑貨名を覚えても無用と悟ったので、細かくは調べない。

ただ小説の道標となりそうな文章、ここを押さえておかなくては、あとで五里霧中にいるかのように、筋がみえてこなくなる、というのだけをメモすることにした。

しかしつくったメモ帳は40ページしかない。

530ページの小説にはせめて130ページのメモ帳が必要になる。

そこで私は考える。

今度はどんなイラストの表紙にしようかな~って。

これが結構楽しいのだ。

おいおい、まだ最初の数ページしか読んでいないんだよ!

完読することがまず大事なんでは?