夢でささやくピアノ

クラシックピアノとジャズピアノの両立を目指す、ねむいゆめこの迷走記録

行けなかった赤松林太郎氏のピアノリサイタル

赤松林太郎氏のピアノリサイタルはキャンセル

きょうは2か月以上前から予約していた赤松林太郎氏のピアノリサイタルの日であった。

まだ熱が続き、30分以上起き上がっているのが苦しい身としてはキャンセルするしかなく、キャンセル料のかからないきのうのうちに、電話でキャンセルしておいた。

電話に出られた「芦屋クラシカ」のかたは、予約を受け付けてくださったかたと同じかただと思うのだが、とてもとても感じのよいかたなのだ。

「ご病気でいらっしゃるのに、わざわざお電話をいただいて、恐縮です。ありがとうございます。どうぞ、ごゆっくりお休みください。またの機会にはぜひ・・・」

といった調子で、どこぞの歯医者の受付嬢とはエラい違いである。

赤松林太郎氏のシンフォニア1番

赤松林太郎氏は、ピティナではおなじみの方であると思うし、バッハに関する演奏動画もたくさんアップしていらっしゃる。

私は一昨年、シンフォニアの1番を弾いた時、そのメリハリの利いた演奏に感動し、何回も聴かせていただいた。

いや、マネをするところまではいかないので、雰囲気を取り入れる、いわばイメージトレーニングである。

www.youtube.com

「芦屋クラシカ」という会員制のクラシックサロン

その赤松氏のリサイタルが「芦屋クラシカ」であるのを知ったのは、ほんの偶然だった。

だいたいそれまで私は「芦屋クラシカ」という会員制のクラシックサロンの存在を知らなかったのだ。

付近にいる芦屋市民にも聞いて見たが、誰一人知らない。

ということは、ちょっと謎めいた存在らしいのだ。

まず、ネットをぐぐっても、「芦屋クラシカ ただいま会員募集中!」といったのも見たことがない。

またネットの、たとえばブログ記事にも、

「ワタクシは、芦屋クラシカという会員制クラシックサロンのメンバーですが・・・」

というのも見たことがない。

わかったことは、江崎グリコの会長氏が私財を投じて設立された、すばらしく雰囲気のよいサロンらしいこと。

そして土日のコンサートには、会員でなくても聴きに行けること、だった。

つまりはローターリークラブのような存在かな?

そしてそこに、平日顔パスで出入りできるのは、ホンマモノの金持ち芦屋市民なのだろう。

ウチとは違うのだ。

お金持ちには縁がない

私が一も二もなく、ここで開かれる赤松氏のリサイタルに予約したのは、正直いうと、赤松氏のピアノが聞きたいと言うよりも、豪勢なサロン、そこに置かれているピアノという楽器に興味があったからである。

氏のピアノ演奏ははっきりいって二の次だったのだ。

だから神様にはその意図を見抜かれ、コロナに罹って行けなくされたのではあるまいか?

だって~~

ホンマもののお金持ちが集まるコンサートって、どんなものか興味があったのだ。

ベルサイユとかトリアノン的な装飾が施されているのか?

もちろん、そこへ行くからには私も一張羅の服と靴を用意したのだけれどね。

残念ながら、お金持ちには縁がない現実を突きつけられたかのようである。

 

演奏動画のコメントにスペイン語で返信するためには?

YouTubeの演奏動画にコメントがきた

このブログをはじめてから約1年ぐらいは、いただいたコメントにもお返事を書いていた。

ところがいつからか、そのお返事の書き方にあーでもない、こーでもない、と悩むようになり、コメント欄を閉じるようになった。

それほどたくさんのコメントをいただいているわけでもないのに、である。

これからするといかに私のキャパ量が低いか、ということがよくわかる。

しかしYouTube演奏動画については、コメント欄を放置していた。

どこをどういじればわからないし、演奏動画にはめったにコメントがこないからだ。

パスピエの演奏動画にきたコメントはスペイン語

ところが2.3日前、グーグルさんが私のメールアドレスに、

パスピエの動画にコメントがはいってまっせ~」

と知らせてくれた。

読むと、コメントをくれた人はスペイン語話者であった。

ところで、なにもスペイン語コメントがきたからといって、何もスペインや南米にお住まいとは限らないだろう。

神戸市東部の食品工場には、南米から出稼ぎにきていらっしゃるかたも多いのである。

そのコメントとは、

「La estoy empezando a practicar y si tiene su grado de dificultad, felicidades a la muchacha」

であった。

批判コメではないらしいことはわかった

スペイン語とフランス語はよく似ている、と言われる。

フランス語ネイティブの夫ちゃんも、

「1か月勉強すれば、ふつうに話せるようになる」

と豪語している。

しかし、このコメントのなかで私が想像できるのは、practicar dificultad felicidadesぐらいである。

でもfelicidadesがあったので、批判コメでないことは想像がつく。

よかった~

全体としては何をいっているかわからないので、自動翻訳機にかけてみると、

「私は練習を始めているが、もし難易度が高いのであれば、おめでとうと言いたい。」

と訳してくれた。

あ、そうなのか? そうなんでしょうね?

このかたもピアノ学習者らしいのだ。

すべて抹殺したい過去のクラシック演奏動画

ところで私は過去の演奏動画については、ジャズ・ポピュラーについては聞き返すこともあるが、クラシックにいたってはゼロである。

というのはやっとここで私の耳が育ってきたのか、私のクラシック演奏動画は聞くに堪えない、ということがわかってきたのである。

もちろん、アップしたときは、

「よしよし、ようがんばった」

ぐらいの気持ちだったんだけどね。

いまは明治時代の廃仏毀釈運動の気持ちもよくわかり、暗黒過去はすべて抹殺したい気持ちである。

だが、過去の自分とむきあう勇気ももたねばならない。

せっかくスペイン語のコメントをくださったピアノ学習者さんにも、お礼のひとことぐらいは書きたい。

それもこれも、コロナに完治してからにしようっと!

 

 

コロナ山を下りながらつらつら思うこと

2023年芦屋川開森橋より

熱は下がったが

やっと平熱の35.9度に到達した。

喉の痛みもほとんど消え、冷たい飲み物ならさらっと飲み下すことができる。

しかし以前として、声は出ない。

夫ちゃんに頼みたいことがあれば、メモ用紙に書いたものを渡している。

彼は時々、

「もう元気になった?」「気分はどう?」

と声を掛けてくれるが、私はそのたびに「わからない」という意味で首を振ったり、クエスチョンマークを描いたりしている。

完治するまでにはあと何日かかるのだろう?

もし働いていたら、熱が下がったら仕事に行かなければならないのだろうな。

いや、大変だな。

すでにリタイア組なのが、不幸中の幸いかもしれない。

街では桜が満開だろうと想像するが、やっぱり無理をして外出する気にもなれない。

もう今年の桜は、諦めたほうがいいだろう。

悔しいので、昨年撮った芦屋川開森橋から見る桜を貼って、慰めとする。

コロナにうつる人とうつらない人

クリニックの看護師さんは、

「やっぱりピアノ教室でうつったんですよね」

と言っていたが、どうにも釈然としない。

だって同じ空間にいたのは1時間だけで、両者の距離は2-3メートル離れている。

それでも私はお土産をもらってきてしまったのか?

一方、家では私はまったく隔離されていない。

夫ちゃんがコロナ陰謀論なので、まったく気にしていないからである。

したがって彼は私がゴホゴホ咳をしている横で平気で(?)寝ている。

一昨日は「イビキがひどくて寝られなかった」と苦情を言われたけれど。

このつまり、私のように1時間コロナに罹った人と同室にいただけで、コロナをもらってしまう人と、夫ちゃんのように24時間、コロナ患者と接触していても、ピンピンしている人がいる、というのはどういうことなのだろう?

歴然として存在する個人差

要するにこれは個人差である。

つまりクラシックピアノにしたって、1年間訓練しただけで流暢に弾ける人と、私のように半世紀弾いていても、目に見えて上達しない人がいる。

しかし私は、自分を慰めるわけではないが、巷に流れている軽い音楽なら、数回聞いただけでアレンジして弾ける。

そのアレンジも変えられる。

これは誰にも習っていない。

子どものときからの遊びのひとつだったからだ。

今の師に習うようになってから、コピー(採譜)するのをやめ、全部自分で即興演奏するようになってから、各段に即興演奏が愉しくなってきた。

やっぱり私には、クラシックピアノより、ジャズピアノ・ポピュラーピアノのほうが向いているのだなぁ、と布団のなかであれこれ思った次第である。

尚、ポピュラーピアニストのなかには、クラシック寄りで即興演奏=アドリブが弾けないひとは多い。

しかしジャズピアニストはジャズでも、ポピュラーでも自在に弾く。

ただし、彼らに#や♭のついた譜面を見せると、

「アタマ痛くなる」

といって逃げ出しそうになる。

リハビリ1日目のピアノは楽しくない

きょうはリハビリの一歩として、ハノンの1-5番を弾いた。

当然、まったく楽しくない。

続いてフランス組曲2番アルマンドも弾いた。

守るべき法律のことばかりが気になり、これもまったく楽しくなかった。

ここで30分経過したので、ピアノは終わり。

ブログも30分経過したので、またあしたにしよう。

 

 

右手の指が間違えたら左手で右手を叩け?

指使いの大改造をはじめた

いくらバロックには適用しないと言われても、「黒鍵を短い指で弾いてはいけない」というキホンのキを知った私としては、これまでの自分の指使いが非常に気になってきた。

そこで、バッハ フランス組曲2番アルマンドのコピー譜に書き込んでいる、自分の指使いをみると、黒鍵のところを1や5と書いてある箇所がうじゃうじゃある。

これって大丈夫なん?

試しに他の指で弾いてみると、多くは他の指で弾けないこともない。

なのにどうしてわざわざ5や1にしていたのだろう?

当時の自分の思考がどうしても理解できない。

これは「指使い大改造だ!!」と思い、また消したり書いたりを始めた。

消すための文房具放浪歴

以前、消せるボールペン、フリクションを使っていたこともあった。

しかしフリクション用の消しゴムでこするとこすった箇所が黒くなることがあり、これを何回か繰り返すと、紙が破れることもあり、どうにも気に入らなかった。

付箋紙を貼る、という手もあるかもしれないが、簡単にはがれたり、どこの箇所のことを指しているのか自分でわからなくなったこともあったので、これも使っていない。

また、修正ペンは乾くまでに時間がかかるし、修正テープは細かい場所には向いていない。

結局、小学生のように鉛筆かシャープペンシルで書き、その指使いが気に入らないといってまた、消しゴムで消したりを繰り返しているのだ。

当然、消しゴムだからカスがでる。

そのカスを掃除するのは誰? 私しかいない。

あー、メンドくさい!

カスのでない消しゴムを求めて

私が小中学生の頃? カスのでない消しゴムが一時流行したことがあった。

でも結局、一時的なものだったと思う。

しかし時は令和の時代、インターネットがあるくらいだから、カスのでない消しゴムぐらい売っているだろう、と思って調べたらあった!

ダイソーで「コロけし」というものらしい。

問題は私が住んでいる町にはダイソーが一軒しかないことだ。

それもダイソーの位置づけによれば「小型店」でしかない。

品揃えはきわめて限られているし、人手不足のせいなのかもしれないが、商品の棚がガラガラのこともある。

私は何度もダイソーをのぞいたが、「コロけし」は置いていないようで、類似品ならあるかもしれない、とキャンドゥものぞいてみたが、見つからなかった。

やれやれ、たかが消しゴムを買うために、電車賃を払って他市まで出かけないといけないのか?

右手の指が間違えたら左手で右手をピシ!

そもそも一回決めた指使いをコロコロ変える、という癖もよくないのかもしれない。

これは先日先生から教わったのだが、

「あ、指使いを間違った!」

と気がついたとき、すぐそこを弾きなおして続ける、というのがよくないそうである。

「あ、間違った!」

と思ったら、すぐにそこで立ち止まるべき。

そしてどうして間違ったのかを考える・・・

(それは指に聞いてくれ!といいたかったが、黙っていた)

「原因を考え、間違った指が右手指だったら、左手で右手を「ピシ!」と叩きなさい。」

これを言った時の先生はかすかに微笑んでいたが、私はもうその真剣さにある意味、衝撃を受けた。

 「右の頬をぶたれたら、左の頬を差し出しなさい。」

と言ったのは、誰だっけ?キリストだったよね?

そうではなく、いうことのきかない自分の体の一部を、自分で成敗せよ、ということか。

なんかマゾっぽいが、昔は生徒が間違えると、定規で生徒の手をたたく先生もいたらしいから、それよりはましかも?

それでもやっぱり私には、自分をピシ!は向きそうにない。

私は甘いものが大好きで、自分にとっても甘いのだ。

 

黒鍵を親指で弾いてはいけないとは知らなかった

黒鍵を親指で押さえているダメな例

「ジャンプしよう」を移調したときにダメ出しされた理由

先日のクラシックピアノでのバーナムピアノテクニック2の7番、「ジャンプしよう」

という課題。

普通に弾けばむずかしいものではない。

だがこれは移調が要求されているので、私はどの調を指定されてもいいように、一応自宅では12調全調で練習している。

まじめやなぁ~ ホンマ自分でもまじめやと思うよ。

にもかかわらず、I➡Ⅴの和音に飛ぶとき間違うことがあるんだよね。

それで私としては、音をはずさないことだけが注意点なわけで、指使いなんて考えてみたことはなかった。

それで先生の今日の指定調はホ長調

Ⅴの和音はシ・レ#・ファ# なので、これが正しく押さえられた時は、

「やったぜ!」

と思った。

しかし先生からは、

「黒鍵を親指で押さえないでください」

とダメ出しがはいってしまった。

黒鍵を親指で弾かないのは合理的

ネットをぐぐると、「黒鍵を親指で弾いてはいけない」というのは常識らしい。

でも私はそんなの聞いたことなかったよ。

いったい今まで何を習ってきたんだろうね。

その理由としては、ちょっと考えてみたら合理的なことがわかった。

例として、ホ長調 I の和音はミ・ソ#・シ、Ⅴの和音はシ・レ#・ファ#だが、これを531の指使いのまま、移動させると、手首を数センチ奥に移動させることになる。

ミ・ソ#・シの531の指使いのまま、シ・レ#・ファ#を弾くと
手首を移動させなければならない。

それに対して、Iの和音はミ・ソ#・シは531で弾くとして、シ・レ#・ファ#を532にすると、手首の位置はさほど変わらない。

写真でちょっとわかりにくいのは、ご愛敬ということで😂

ミ・ソ#・シを531で、シ・レ#・ファ#を532で弾くと手首の位置はほとんど変わらない

テンポの速い曲のときに気がつけばよかった

別にゆっくりした曲を弾く分には、手首の位置がジグザグしても大差ないだろうが、テンポの速い曲を少しでも正確に、となるとこういう工夫はとても有効なのではないか、と思うのだが、どうだろうか?

私はふだんから、

「速い曲を弾くには、打鍵を浅くして、離鍵を早くして・・・?」

とか考えていたのだが、そんなことより、『黒鍵を親指で弾いてはいけない』をもっと前からやっていればよかった、と残念な気持ちなのだ。

バロックは例外らしい

尚、この常識をさらに正確に言うと、

黒鍵を短い指(親指と小指)で弾くのは望ましくない

らしい。

先生によると、この常識というか、鉄則を広めたのはショパンらしい。

「でもショパンもその時代から言われていたことを、ひろめたのかもしれませんけど」

と言っていたが。

しかし、何事にも例外あり、でバロックにはこの常識は通用しないそうだ。

そうだろうね、バッハなんかいつももう1本指があったらいいのに、と思うほどだから、親指小指には黒鍵を免除さしあげる余裕なんてないのだ。

やっぱり、バロックというか、バッハは指使いがむずかしいよ。