夢でささやくピアノ

クラシックピアノとジャズピアノの両立を目指す、ねむいゆめこの迷走記録

コロナ山を下りながらつらつら思うこと

2023年芦屋川開森橋より

熱は下がったが

やっと平熱の35.9度に到達した。

喉の痛みもほとんど消え、冷たい飲み物ならさらっと飲み下すことができる。

しかし以前として、声は出ない。

夫ちゃんに頼みたいことがあれば、メモ用紙に書いたものを渡している。

彼は時々、

「もう元気になった?」「気分はどう?」

と声を掛けてくれるが、私はそのたびに「わからない」という意味で首を振ったり、クエスチョンマークを描いたりしている。

完治するまでにはあと何日かかるのだろう?

もし働いていたら、熱が下がったら仕事に行かなければならないのだろうな。

いや、大変だな。

すでにリタイア組なのが、不幸中の幸いかもしれない。

街では桜が満開だろうと想像するが、やっぱり無理をして外出する気にもなれない。

もう今年の桜は、諦めたほうがいいだろう。

悔しいので、昨年撮った芦屋川開森橋から見る桜を貼って、慰めとする。

コロナにうつる人とうつらない人

クリニックの看護師さんは、

「やっぱりピアノ教室でうつったんですよね」

と言っていたが、どうにも釈然としない。

だって同じ空間にいたのは1時間だけで、両者の距離は2-3メートル離れている。

それでも私はお土産をもらってきてしまったのか?

一方、家では私はまったく隔離されていない。

夫ちゃんがコロナ陰謀論なので、まったく気にしていないからである。

したがって彼は私がゴホゴホ咳をしている横で平気で(?)寝ている。

一昨日は「イビキがひどくて寝られなかった」と苦情を言われたけれど。

このつまり、私のように1時間コロナに罹った人と同室にいただけで、コロナをもらってしまう人と、夫ちゃんのように24時間、コロナ患者と接触していても、ピンピンしている人がいる、というのはどういうことなのだろう?

歴然として存在する個人差

要するにこれは個人差である。

つまりクラシックピアノにしたって、1年間訓練しただけで流暢に弾ける人と、私のように半世紀弾いていても、目に見えて上達しない人がいる。

しかし私は、自分を慰めるわけではないが、巷に流れている軽い音楽なら、数回聞いただけでアレンジして弾ける。

そのアレンジも変えられる。

これは誰にも習っていない。

子どものときからの遊びのひとつだったからだ。

今の師に習うようになってから、コピー(採譜)するのをやめ、全部自分で即興演奏するようになってから、各段に即興演奏が愉しくなってきた。

やっぱり私には、クラシックピアノより、ジャズピアノ・ポピュラーピアノのほうが向いているのだなぁ、と布団のなかであれこれ思った次第である。

尚、ポピュラーピアニストのなかには、クラシック寄りで即興演奏=アドリブが弾けないひとは多い。

しかしジャズピアニストはジャズでも、ポピュラーでも自在に弾く。

ただし、彼らに#や♭のついた譜面を見せると、

「アタマ痛くなる」

といって逃げ出しそうになる。

リハビリ1日目のピアノは楽しくない

きょうはリハビリの一歩として、ハノンの1-5番を弾いた。

当然、まったく楽しくない。

続いてフランス組曲2番アルマンドも弾いた。

守るべき法律のことばかりが気になり、これもまったく楽しくなかった。

ここで30分経過したので、ピアノは終わり。

ブログも30分経過したので、またあしたにしよう。