熱は下がったが
やっと平熱の35.9度に到達した。
喉の痛みもほとんど消え、冷たい飲み物ならさらっと飲み下すことができる。
しかし以前として、声は出ない。
夫ちゃんに頼みたいことがあれば、メモ用紙に書いたものを渡している。
彼は時々、
「もう元気になった?」「気分はどう?」
と声を掛けてくれるが、私はそのたびに「わからない」という意味で首を振ったり、クエスチョンマークを描いたりしている。
完治するまでにはあと何日かかるのだろう?
もし働いていたら、熱が下がったら仕事に行かなければならないのだろうな。
いや、大変だな。
すでにリタイア組なのが、不幸中の幸いかもしれない。
街では桜が満開だろうと想像するが、やっぱり無理をして外出する気にもなれない。
もう今年の桜は、諦めたほうがいいだろう。
悔しいので、昨年撮った芦屋川開森橋から見る桜を貼って、慰めとする。
コロナにうつる人とうつらない人
クリニックの看護師さんは、
「やっぱりピアノ教室でうつったんですよね」
と言っていたが、どうにも釈然としない。
だって同じ空間にいたのは1時間だけで、両者の距離は2-3メートル離れている。
それでも私はお土産をもらってきてしまったのか?
一方、家では私はまったく隔離されていない。
夫ちゃんがコロナ陰謀論者なので、まったく気にしていないからである。
したがって彼は私がゴホゴホ咳をしている横で平気で(?)寝ている。
一昨日は「イビキがひどくて寝られなかった」と苦情を言われたけれど。
このつまり、私のように1時間コロナに罹った人と同室にいただけで、コロナをもらってしまう人と、夫ちゃんのように24時間、コロナ患者と接触していても、ピンピンしている人がいる、というのはどういうことなのだろう?
歴然として存在する個人差
要するにこれは個人差である。
つまりクラシックピアノにしたって、1年間訓練しただけで流暢に弾ける人と、私のように半世紀弾いていても、目に見えて上達しない人がいる。
しかし私は、自分を慰めるわけではないが、巷に流れている軽い音楽なら、数回聞いただけでアレンジして弾ける。
そのアレンジも変えられる。
これは誰にも習っていない。
子どものときからの遊びのひとつだったからだ。
今の師に習うようになってから、コピー(採譜)するのをやめ、全部自分で即興演奏するようになってから、各段に即興演奏が愉しくなってきた。
やっぱり私には、クラシックピアノより、ジャズピアノ・ポピュラーピアノのほうが向いているのだなぁ、と布団のなかであれこれ思った次第である。
尚、ポピュラーピアニストのなかには、クラシック寄りで即興演奏=アドリブが弾けないひとは多い。
しかしジャズピアニストはジャズでも、ポピュラーでも自在に弾く。
ただし、彼らに#や♭のついた譜面を見せると、
「アタマ痛くなる」
といって逃げ出しそうになる。
リハビリ1日目のピアノは楽しくない
きょうはリハビリの一歩として、ハノンの1-5番を弾いた。
当然、まったく楽しくない。
守るべき法律のことばかりが気になり、これもまったく楽しくなかった。
ここで30分経過したので、ピアノは終わり。
ブログも30分経過したので、またあしたにしよう。