映画「メリー・ポピンズ」の年齢レーティング引き上げ
きのう突然、ウチの夫ちゃんが
「メリー・ポピンズはもうダメだよ! 禁止だよ!」
と笑いながらいうので、最初は何のことかわからなかった。
(私は幼少の頃、子供向けの本でまず「メリー・ポピンズ」の熱烈なファンとなったのだ!)
これはどうやら、1964年のディズニー映画「メリー・ポピンズ」で、"差別的な表現 "があるとして、イギリスの映画検閲当局によって年齢レーティングが引き上げられたことを指しているらしい。
「そんなんNHKニュースでもMSNニュースにものってなかったよ!」
と思いつつ、ネットをググッてみたら、はてなブログで記事にしていらっしゃるのをちらほら見かけた。
みなさんさすが情報通である。
しかし日本語のメディアでこれといったものがなかったので、BBCの記事を貼っておく。
映画「メリー・ポピンズ」の"差別的な表現 "
問題の箇所は↓の動画にあるとおり、メリー・ポピンズと子どもたちのジェーンとマイケル、そして煙突掃除人バートの一味が煙突の煤にまみれて踊りまくっているのを、隣人のブーム提督がみつけ、
「ホッテントットに攻撃されとる!」
と叫ぶシーンがあるが、この「ホッテントット=黒人」が好ましからぬらしい。
ところでもし、「メリー・ポピンズ検定」でもあれば、私は間違いなく1級に違いないから言いたいのだが、こんな場面は原作の小説にはない。
だいたい原作と映画は、相違点が山ほどありすぎる。
代表的なものとしては
- 原作のメリー(メアリー)・ポピンズはジュリー・アンドリュースが演じるメリーのように優しくなく、いつも子供たちにたいしてつっけんどんで、鼻をならしたりしている。
- 原作のバンクス夫人は女性参政権運動なんかやっていない:だからヒマなのにどうして子どもたちの世話をする人が必要なのだろう?と不思議だったものだ。
- 原作のバンクス氏は子どもに対しても、使用人に対しても厳格ではない。
- 原作ではバンクス家の子どもは5人(最初は4人)だが、映画では2人になっている。
原作者のPLトラヴァースに差別意識なし?
それでは差別用語を使用したのは製作陣のディズニー側で、原作者のP.L.トラヴァースにはまったく現代でいう差別意識はなかったのか?というと、私はちょっと微妙だと思う。
だから私は
「お願いだから、ここは突っ込まないでね、世間のみなさま」
とひそかに願うところがある。
それはメリー・ポピンズの磁石で世界の東西南北をめぐる、「わるい火曜日」という章。登場するのは:
- クジラのあぶらのスープをすすめるエスキモー(北)
- 体中、まっくろでほとんど何も着ていない黒人(南)
- 紙でつくったような家に住む、口ひげが腰まである中国の大官(東)
- トナカイのフライ料理を食べるインディアン(西)
ちょっと現代ではこんな書き方はできないだろう。
憧れたジュリー・アンドリュースの美声
それでも私のメリー・ポピンズ愛は変わらない。
ことに映画の主演ジュリー・アンドリュースの美声は他の追随を許さないからだ。
下の「スプーン一杯の砂糖」で、鏡のなかのジュリーが歌う、
ドーレドシドミー ファミ#レミ ソーラソ#ファソ bシー
というソプラノの美声には圧倒されたものだ。
ツン読の原書を読む決意
小さいころ、つまり昭和の子どもだった私には「メリー・ポピンズ」にでてくる木イチゴのケーキ、ジンジャーブレッド、プディングなどが、すばらしくおいしいご馳走に思えたものだった。
だからメリー・ポピンズの魔法の魅力はどちらかといえば二の次だったような気もするが、「笑いガスで体が浮く」「人間はことばが話せるようになる前は動物と会話できた」「動物と入れ替わりに人間が動物園にはいる」など、奇想天外な発想がいっぱいある。
そうだ、今度こそは読み通そう。
ツン読になっているメリー・ポピンズの原書を!