夢でささやくピアノ

クラシックピアノとジャズピアノの両立を目指す、ねむいゆめこの迷走記録

村上春樹さんは新作でどんな音楽を聴かせてくれるのだろう?

自宅にある村上春樹さんの本

村上春樹さんの長編が4月に刊行

村上春樹さんの長編が約6年ぶりで刊行されるとのニュースを読んだ。「へぇー」と思っていたら某書店からも、「確実に入手できるよう予約を受け付けております」と営業メールが届いていた。

私は「へぇー」と思ったのは、ひょっとして村上春樹さんはもう長編をお書きにならないかもしれない、とひそかに思っていたからである。6年前に出た「騎士団長殺し」は賛否両論だったし、このごろは「村上ラヂオ」でお声を聞くことのほうが多かったから、小説家というよりも最近ではDJ?音楽評論家?に活動の軸を替えられたのか、と思ったりしていた。それはそれでいいんだけどね。しかしご本人はDJをやりながらしっかり小説を書かれていたのだった。すごいってそのエネルギーが!たしか私より7歳年上だったと思うけど。

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村上春樹さんの短編とエッセー、紀行文が好き

ところで私は村上春樹さんのファンなのか?Oui でもあり Non でもある。なぜかというと、彼の短編、エッセー、紀行文は大好きなのだが、長編で好きなのは「ノルウェーの森」だけだからだ。これって告白するのが恥ずかしい!まるでショパンの曲で好きなのは「別れの曲」だけです、と言っているようなものだからだ。

恥をしのんで言うと、彼の長編はメタファーが多すぎて、何をいわんとしているのかさっぱりわからない。ひとつひとつのディテールには面白いものがある。「ねじまき鳥クロニカル」ででてきた「ノモンハン事件」のエピソードとか、かつらメーカーに勤めている女の子の話とか・・・肝心のストーリーは全然覚えていなくてそういうのばかりが印象に残っている。しかしそういうのがからまって、あたかもバッハのフレーズのように現れては消えて、全体としてとなると、結局なんやのん?と思うわけである。彼の長編を理解するには私のアタマは固すぎるのかもしれない。

まず図書館で読んでから本を買う

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それでも短編は好きだ。「東京奇譚集」も「女のいない男たち」も好きだけれど、一番のお気に入りは「バースディーガール」だ。これって今では中学校の教科書にも採用されているそうだ。私の時代の教科書の文章といえば、夏目漱石とか志賀直哉だったと思うけれど、さすがに半世紀も経つと教科書も変わってくるのだ。

尚、私の本の読み方はまず図書館で読んでから、気に入ったら購入に至る、というものである。だから手元にあるハルキ本は上にあげた写真のぶんしかない。当然「海辺のカフカ」も「1Q84」も「騎士団長殺し」も買っていない。こんなふうだから新作が今年の4月にでたとしても、図書館で予約の順番がまわってきて読めるのはあと3年後くらいか。

リストの「ル・マル・デュ・ペイ」は村上春樹さんが教えてくれた

なんだかんだといっても村上春樹さんのように、読んでいて音楽が聞こえてくる作家はそうそういない。春樹さんは必ずや私に新しい音楽を教えてくれるのだ。リストの「ル・マル・デュ・ペイ」もそうである。この曲はピティナの解説にも「この曲が日本人によってほとんど弾かれていない事実には驚かされます。相当マニアックな部類にはいってしまうのかもしれません」と書かれているから、私が「色彩を持たない多崎つくると、巡礼の年」を読むまで知らなかったというのは、それほど恥ずかしくもないだろう。

この小説では主人公の高校時代のクラスメート、シロがよく弾いていた曲、という設定になっている。作中、著者は灰田という青年のせりふとして、「楽譜通りにあっさり弾いてしまうと、面白くも何ともない音楽になります。逆に思い入れが過ぎると安っぽくなります」と言わしめている。そこで著者おすすめのラザール・ベルマンというロシアのピアニストが弾いているのを貼ってみた。どうだろう?

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エクセルの練習記録で上手になっていなくとも下手にはなっていないと感じる

神戸市営地下鉄 三宮・花時計前駅のピアノ

練習時間を測ることにした経緯

前回のクラシックピアノレッスンの出来は散々だった。それなりに練習してから臨んだと思ったのだが、バッハ:シンフォニア3番ではまさかのフレージング間違いで撃沈、すっかり平常心を失ってしまった。ショパン:プレリュード17番では譜読みが完全に終わっていないので、前半だけ、ということで聴いていただいたのだが、「この曲はメロディー8割、伴奏2割の音で弾かねばなりません」と言われ、「ええっ」と思った。どうせメロディーは右手小指で弾くのだから、意識せずとも自然に聞こえるだろう、と思っていたのだ。そんなこんなで思ったのである。

  • いったい譜読みが完了して、曲がりなりにも通しで弾けるようになるまで、私にはどれくらいの時間が必要なのか。
  • そこからまた磨きをかけて先生から合格印をもらうまで、私にはどれくらいの時間が必要なのか。

以上を探るために、時間管理が苦手なこの私が、エクセルで練習記録をつけることにしたのだ。尚、ピアノの練習記録は多くのかたが、スタディプラスを使っていらっしゃると思う。私も数年前、ピアノとはまったく違う資格試験のためにスタディプラスを使ったことがあるのだが、時間管理がどうにも性格にあわないのと、老眼でスマホで見るのが辛いのでやめてしまった。こんどはいくらPCで拡大画面にできるとはいえ、続くのか?

練習時間の記録からわかること

1/23-1/31の練習記録

1/23-1/31の1日平均練習時間2時間44分。無職だからこんなものだろう。もっとできるかもしれないが、手が痛くなりそうなのでやらない。

シンフォニア3番は通算8時間以上かけてやっとノーミスで弾けるようになった。ただし速度は8分音符=120ぐらいで遅い。先生の前では多分5-6か所間違うだろう。

プレリュード17番は全然譜読みが終わらない。それどころか「この音は左手(右手)で弾いたほうがいいかも」と迷いっぱなしで、しょっちゅう指使いを変更している。おまけに右手左手の親指が交差することが多いので、爪を短く切っているにもかかわらず、右手親指の関節のあたりを左手親指の爪で引っ搔いて、傷になってしまった!これ、結構痛い!

練習した曲の内訳からわかること

練習した曲の内訳

 

  • ツェルニー40番は一応一周したのでやめてしまった。
  • パスピエは4月以降にピティナステップで弾くつもりにしているので、暗譜を忘れないように毎日練習が欠かせない。
  • ジャズポップスはレッスン曲とそれ以外のも弾いている。どちらも楽譜を使わない即興なので、自分の技術を上回るようなことは弾けない(あたりまえやん!)。必然的に練習時間は短くなる。

ジャンル集中でクラシックとジャズの弾き分けを目指す

これまでわかったことは、曲にもよるが、譜読みが完了するために、私の場合通算10時間は必要ということになりそう。ちょっと長すぎ?子どものときから譜読みが苦手なのは変わっていないようだ。それともうひとつ、この練習記録で期待できることがある。

それはなんと今まで、私は5分ショパンを弾いたらジャズを弾き、それに飽きたらバッハを7-8分ちょろちょろ、次はポップスを弾き、という気まぐれな練習のやり方だったのだ。ジャズクラシックも一瞬で弾き分けができる小曽根真氏じゃあるまいし、こんなやり方では、いつまでたってもジャズとクラシックを同じように弾いてしまうのではないか?これからはいちいちストップウォッチを押す手間を考えて、ジャンルに集中した練習をすることにしよう(いつまで続く?)

課題は多いが、毎日ピアノに触っているとさすがに上手になっていなくとも、下手にはなっていない・・・と思う。

 

小川典子さん「夢はピアノとともに」でピアノの努力を考える

「夢はピアノとともに」小川典子著 時事通信社

「世界が認めた日本人女性100人」に選ばれたピアニスト

英国と日本で活躍しているピアニスニト、小川典子さんを知ったのは、先日読んだ「ヤクザときどきピアノ」の参考文献として挙げられている彼女の著作「夢はピアノとともに」がきっかけである。

それまで私は彼女が2006年、Newsweek誌によって「世界が認めた日本人女性100人」に選ばれた、とは知らなかった。しかし「世界が認めた」とはどういう意味やねん。それってNewsweekの判断でしょ?世の中には人知れず立派に人生の花を咲かせている市井の人々がいっぱいいるのだ。「そんなん、Newsweekに決めてもらわんでもええわ!」といいたいところだが、それは小川典子さんのせいではないのでひとまず置く。

「夢はピアノとともに」で考えるピアノの努力と練習

小川典子さんの著作、「夢はピアノとともに」であるが、これまで雑誌等に寄稿された記事の寄せ集めの観があり、統一感に欠けるのは否めない。しかし、ピアニストとして世界各地を旅するうちに感じたモノやひとに関する記事はなかなか面白いし、なにより私にとって「イギリス人と日本人の努力に対する考え方」と「絶対効果のある練習方法」が書かれた部分は大いに参考になった。これだけで読んだ甲斐があったというものだ。

「努力」や「根性」は英国では評価されない

おそらく小川典子さんも幼少時からピアノのスパルタ教育を受けてきたのだろう。10代でジュリアード音楽院に留学し、リーズ国際コンクールで3位入賞を果たしてからイギリスと日本の両方で演奏活動をはじめるのだが、日本では努力と根性が讃えられたピアノの練習が、イギリスでは「そんなに練習しなければならないなんて、才能がない」と捉えられがちなことに衝撃を受ける。

それではイギリス流に、ピアノの練習はほどほどに、ということになるのかもしれないが、筆者はそこまでは言っていない。そこで私は以下のように思ったのだが、どうだろう?

  • イギリス人だって相当努力している。ただそれを喧伝するのを潔しとしない。練習しているのに、していないように見えるよう、ええカッコしているのではないか?美しい白鳥が水面下で足をバタバタさせているのと同じように。
  • 日本のほうが底辺のピアノ人口はずっと多いだろう。イギリスではおそらく才能があり、将来に見込みのある人しかピアノを続けないのではないか?

絶対に効果のある練習方法を紹介してくれた

「人口の多いピアニストの群れに、共通の練習方法は、ないのかもしれない」「誰が、どう練習して上達したのか、本当のところはわからない」と前置きされる筆者だが、「絶対に良いことをもたらしてくれる練習方法を紹介したい」と、とっておきの方策を教えてくれた。ジャーーーーン!

ーゆっくりと練習することの効果は、信じすぎるほど信じてよい。ゆっくり始めたら、ゆっくりのテンポで行く。それがコツだ。指は、必ず『行き先』(次の音)」を覚えてくれ、頭と手が強い信頼感で結ばれる。

ーきれいな大きい音を出したいときは、弱くから始めてみよう。手を慣らしながら段階を追って強くしていけば、身体が痛くなったり音が割れたりしない。

学習動画「ドビュッシー アラベスク1」

小川典子さんは、Pianist Magazine というサイトを通じて、ピアノ学習者用にレッスン動画をアップされている。私が去年発表会で弾いたドビュッシーの「アラベスク1番」の動画を拝見したが、なにかこう、本当に正統派の弾き方という印象を受けた。私はこの曲を最初、ブーニンの演奏を参考にしようとして、似ても似つかぬだけでなく、奇怪なアラベスクになってしまったので、最初から小川典子さんのを見るべきだったと深く後悔した。彼女の英語も、日本人には非常にわかりやすくて良い。アラベスク1番は大好きな曲だから、この動画でもう一度復習してみてもよいなぁと思うのだ。

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ピアノコンクールの審査員が見たら凍りつきそうな映画「譜めくりの女」

2006年のフランス映画「譜めくりの女

2006年のフランス映画「譜めくりの女」は怖い映画

2006年のフランス映画「譜めくりの女」(原題:La tourneuse de pages)は得体のしれない怖さに心が凍りつきそうな映画である。もっとも何が怖いか、は人によって千差万別なのでいちがいには言えないかもしれない。しかし私にはハリウッド映画の血がドバッと流れるホラーよりも、「譜めくりの女」のような心理劇のほうが数倍怖いのだ。そしてもし私がピアノのコンクールの審査員をするようなピアニストであれば、この映画を観た後、審査を引き受けるのも、譜めくりを誰かに頼むのも、「困ったぁ」と及び腰になるにちがいない。

映画「譜めくりの女」のあらすじ

それでは映画「譜めくりの女」のあらすじを、最後のネタばれなしで、ざっくりご紹介。

両親の理解と愛情を受けながらピアノの練習に励んだ少女、メラニー(デボラ・フランソワ)は音楽学校入学のためピアノの試験に挑む。試験官は高名なピアニスト、アリアーヌ。ところが演奏中にアリアーヌが、ファンからのサインの求めに応じたことから、メラニーの集中力が切れ、さんざんな結果となり、ピアニストの道を諦めてしまう。

成長してから研修生として、アリアーヌの夫の弁護士事務所に勤務するようになったメラニーは、万聖節の休暇中、彼らの息子の守役をかってでる。それは周到に用意された、アリアーヌに対するメラニーの復讐劇の始まりだった・・・

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メラニーのここが怖い!

まず、このメラニーという若い女性、なんとなく気色悪い。美人だが感情を表に出さずほとんど笑わない。彼女の気色悪さに気づいているのは、アリアーヌと三重奏を組んでいるバイオリニストだけだが、メラニーを専属の譜めくり役に抜擢し、全面的に信用してしまったアリアーヌは忠告に耳を貸さない。メラニーの「悪意」の表れは以下の通り。

  • アリアーヌの息子、トリスタンにわざと手を痛めるような練習をけしかける
  • トリスタンがプールに入っている間、息ができないように頭を押さえつける
  • チェリストの男性にセクハラされたとき、楽器の先端で彼の足を力任せに刺す
  • アリアーヌの同性愛嗜好を目覚めさせるような行動をとる

疑問はあってもなぜか引き込まれてしまう心理劇

非常に冷静で理性的な観客なら以下の疑問をもつかもしれない。

  • いくらピアノの実技試験に失敗したからとはいえ、アリアーヌにそれほど責任があるとは思えない。集中心を乱されたぐらいでなぜメラニーは怨みを持ち続けられるのか?
  • クルマの事故が原因で精神が不安定になったとはいえ、なぜアリアーヌは譜めくり役にそれほど精神的に依存するものなのか?譜めくりってそれほど大事な役なのか?
  • 若く美しく信頼できる女性から思わせぶりなことをされたとはいえ、愛を告白するまでになるとは、アリアーヌにはもとから同性愛の傾向があったのか?

私もよくよく考えれば??になるかもしれないのだが(特に同性愛について)、そこはこの二人の女優の圧倒的な演技力で見ている間はまったく気にならなかった。そして最後はとどめを刺すようなメラニーの復讐!やり遂げたあと、ほくそ笑むかのようにひとり歩くメラニーに、「よくやった!」と言いたくなる私も彼女に毒されてしまったのかもしれない。

YouTubeでみる映画「譜めくりの女

ありがたいことにこの映画、現在YouTubeで全編を無料で観ることができる。言語はフランス語、字幕はフランス語、英語が設定可能で誤りは多いが、タダだから仕方ないか?

映画のなかで聴ける音楽は以下の通り。

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ツェルニー40番とはしばしの別れ?永遠の別れ?

庭の雪に埋もれるツェルニー40番

1月1日からツェルニー40番をはじめた

今年、1月5日に「いつまで続くか毎日一曲ずつツェルニー40番」という記事を書いた。書いたきっかけは、いつも途中で挫折しているツェルニー40番も、せめて毎日1曲ずつ弾いていけば、最後までさらえるのではないか、という思いつきからだった。

記事の日付は1月5日だったが、実際に始めたのは1月1日だった。いつもなら1番から始めるのだが、これまで必ず20番ぐらいで挫折してしまったので、逆手にとって今回は21-40,1-20の順番でさらった。割り当て時間を約20分としたら、さすがに1-10ぐらいまでなら譜読みが簡単なので、1日1曲どころか3曲ずつさらえてしまう。そして今回はなぜかあっけなく1月26日をもって終わってしまった。

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つまらないのは承知のうえだった

ツェルニー40番がつまらないのは承知の上だった。かろうじて美しい、魅力的、と思えるのは7・10・26番。そのほかは我慢大会だった。また30番以降は難度も各段にあがり、ページ数も増える。4-6ページ数もある曲のときは、坂道を自転車で漕ぐ気分だった。なんとか今度はやりおおせたのは、私の先生が、大人の生徒には決して強要しないけれど、実はかなりの練習曲信奉者(ツェルニーに限らず)らしいので、ひそやかに自分の意見を持つのであれば、とりあえず40番を終えてからにしようと思ったからである。

田所政人氏によるツェルニー40番評価

もう亡くなられたが多くのピアニストに支持されているサイト、「あるピアニストの一生」の田所政人氏はツェルニー40番を練習曲集として最高ランクのAに位置付けている。

http://mathemarimo.bird.cx/public/e_e496.html

チェルニーを使うのならば、この40番は外せないというところであろうか。30番を外すのは私はありだと思う。中級の初めくらいの段階ならば練習曲集をするよりは、曲を一曲多くする方がいいという考え方は当然成り立つ」という氏の言があるが、私はこの言の後半部分、つまり「これするより、曲やったほうがええんとちゃう?」に反応してしまったのだ。だって子どもや若いひとならいざ知らず、私には「こういう練習曲を地道にやっていったらいつかバリバリ弾けるようになる」という考え方は通じにくい。いつかっていつやのん?

ゆめこのオリジナル発想(オリジナルでもないかもしれないが)

世の中のクラシックピアノは大きく分けて、8分音符、16分音符で音階を使ったタカタカ系と、アルペジオを多用したタララタララ系に分かれると思う。何のことかわからん、と思われるかもしれないが、タカタカはモーツァルトアレグロ、タララタララはドビュッシーの月の光のアルペジオと思い起こしてほしい。これらのむずかしい部分を部分練習でやれば、別にツェルニーをやる必要ないのではないか?そうしたら美しい曲を堪能できるわ、部分練習でむずかしいところはバッチリできるようになるわ、一挙両得とはこのことでは?要するにテクニックがかたよらないよう、どちらも均等に毎日やればいいのでは?

ハイ、以上が今の段階での結論です。この結論をもってして、ツェルニー40番とは、しばしの別れになるのか、永遠の別れになるのか?

ツェルニーとの別れからドイツ民謡、そしてプレスリー

ところで私が中高生の頃、「さらば、さらば、わが友。しばしの別れぞ今は」という合唱曲をよく歌わされた。調べてみればこれはドイツ民謡「別れの歌 ムシデン」なのだが、なんとあのエルヴィス・プレスリーが「Wooden Heart」というタイトルでカヴァーしていたのだ!これがわかったことが、今回のツェルニーおさらい騒動での最大の収穫かもしれない。

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