ハノンの「前書き」には既視感があった
昨日の記事の続き。
ムッシュー先生には「60の練習曲におるヴィルトゥオーゾ・ピアニスト」の表紙のほか、「前書き」(Advertissement)も差し上げた。
差し上げる前に、この「前書き」の内容も知っておかねば、と思い、昔のタイプライターでの印字によくある読みにくいフォントであったものの、無理をして読み始めた。
すると、
「あれ、私、これ知ってる! 読んだことあるもん!」
なんとそれは全音から出版されているハノンに、今も収録されている「はじめに」(平尾妙子訳)の原本だったのだ!
ヤル気がでるハノンの「はじめに」
それは昨年、私が買いなおした全音のハノンにも収録されているが、私が初めて読んだのは小学生のときだから、1960年代から変わらず収録されているようだ。
実は私はハノンのなかで一番好きなのが、この「はじめに」なのだ。
なぜかというと、それは小学生にもわかる平易なことばで書かれていて(使われている漢字も少ない)、きわめてヤル気をださせてくれるものだったからだ。
現代でも、「これさえあれば合格できる!」とか、「基本の単語を500語覚えれば、英語はペラペラに!」といったハウツー本は人気があると思う。
なぜなら、「なにも考える必要はおまへん、XをY回やっただけで、効果ありまっせ!」と具体的に提示されれば、人間だれしも、行く手に光明が射したような気分になるからだ。
ハノンもそれと似たようなものではないだろうか?
これさえやれば、どんな難しい曲でも、ピアノをはじめて1年ぐらいのひとでも、上手になれまっせ~~と言っているのだから。
ハノンってピアノ教育家というより、営業マンなんやない?
ハノンの原文と平尾訳の違い
しかし原文の「前書き」は平尾訳のように、子どもにもわかるようには書かれていず、que 以下の接続詞、ce qui のあとダラダラ続く語句が多い。
まぁ、私の仏文読解力の問題かもしれないけど。
原文と平尾訳の違いは、特に中盤あたりが顕著となる。
例えば平尾訳では
- 指を動きやすくすること
- 指をそれぞれ独立させること
- 指の力をつけること
- つぶをそろえること
・・・とわかりやすいように、箇条書きになっているが、ハノンの語句を学校の仏文和訳調にすると、
「本書には、美しい演奏を実現するために不可欠な、敏捷性、独立性、強さ、指の完全な均等性、そして手首のしなやかさを身につけるために必要な練習曲が収録されている。 さらに、これらの練習曲は、右手と同様に左手も巧みになるように計算されている。」
ぐらいになると思うよ。
だから結局、平尾訳は超訳なのだ。
こんなに大胆な翻訳ができる平尾妙子さんってどんなかたなんだろう?
平尾妙子さんはパリ帰りのピアニストらしい
グーグルさんに聞いてみると、平尾妙子さんの訳は「バイエル」「ツェルニー100番」「子どものブルグミュラー」と多数あるようだ。
でも私はバイエルの訳って覚えていないなぁ。
でもこれだけピアノ教則本を訳しているとなると、音楽家なのだろうね。
その他、めだった記載はないが、偶然、平尾貴四男(1907-1953)という作曲家がいらっしゃったことがわかり、妻の名は平尾妙子(ピアニスト)とあるからひょっとしてこのかた?
1931年に夫妻でパリへ渡航とあるから、ほぼ間違いないんではないだろうか?
もっと多くのことを知りたいと思ったが、残念ながらウィキペディアだけがたよりの浅学者としては知りようもない。
思えば、私の子ども時代。
ハノンは退屈でたまらなかったけれど、平尾訳のハノンのことばを読むたびに、
「そうか~ 毎日これをやったら上手になるのか」
と勇気づけられた。
勇気づけられるだけでやらなかったのだから、効果なしとも言えるだろうが、少なくとも平尾訳のおかげで、私は「やりさえすれば、いつか上手になれる」という夢がみられたのだ。
まさしく今の私があるのも、平尾妙子さんのおかげではないか!