私がパリ万博について知っていたこと
先日のフランス語レッスンでは、エッフェル塔の建設に反対する人々の抗議文、およびそれに対する設計・建設者のエッフェルの反論記事を読んだ。
ところでそれまで私は、パリ万博がそんなに何回もあるとは知らなかった。
ムッシュー先生に、パリ万博について知っていることを聞かれたとき、私が知っていたのは、
- 江戸幕府が出展したこと(1867年:第2回)
- 川上音二郎とその妻の貞奴の芝居がパリで大うけしたこと(1900年:第5回)
- ドビュッシーがインドネシアの音楽に触れる機会となったこと(1889年:第4回)
- ハノンの練習曲集が銀賞を受賞したこと(1878年:第3回)
だけだったのだ。
エッフェル塔よりハノンの銀賞
「え、それじゃエッフェル塔が抜けていますよ!
エッフェル塔の建設は、フランス革命100周年を記念した1889年のパリ万博の記念に作られたものですよ!」
「え?そうなんですか? 知りませんでした」
「エッフェル塔、知ってますよね?」
「はい、1回登ったことがありますけど・・・」
でも詳しいことまで覚えていない。
どうも私の知識・関心事の範囲は非常に狭く、ムッシュー先生と建築論を戦わせられるレベルには至っていない。
そこで私は自分の土俵に持ち込むことに決め、
「パリ万博で私がいちばん印象に残っているのは、ピアノの練習曲集で知られるハノンが銀賞を受賞したことなんです。
でもそれが、エッフェル塔がお披露目された1889年より前なのか、後なのかは知りません。
だから今度調べておきますね!」
ピアノ独学者で初心者のムッシュー先生も、これには興味をひかれた様子だった。
「へぇー、あのハノン(先生の発音はアノン)はそんな昔からあるの?
知らなかったなぁ~
だいたい、フランスにいるときは全然、ハノンって聞いたこともなくってね。
日本に来てから知ったんだけど。 あれ、いいよね、指の練習になるよね!」
ところでムッシュー先生とウチの夫ちゃんだけをフランス人の総体とするのは、きわめて乱暴だと思うのだが、どうもハノン先生の知名度は、生まれ故郷のフランスより、日本でのほうが高いように思うのだが、気のせいだろうか?
1878年のハノン表紙に書かれていること
家に帰った私は自分の持っている資料のなかから、ハノンの1878年当時の表紙と、前書きにあたるものをコピーしておいた。
ひょっとしたら、ムッシュー先生の興味をひいて次回レッスン時の世間話のネタになるかもしれない、と思ったのだ。
まず以下の表紙。
表題は「Le Pianiste virtuoise en 60 exercies」(60の練習曲におるヴィルトゥオーゾ・ピアニスト」。
そしてまんなかあたりに
- l'Agilité (敏捷性)
- l'Indépendance(独立)
- la Force(力)
とある。
どうやらこの3つはハノンが掲げる3大目標みたいなものであるらしい。
l'Indépendance(独立)と la Force(力)を日本語で理解する
私はただ世間話のネタに、と思っていただけだったのだが、予想に反して先生には大変興味をもっていただいたようで、
「これ、僕にくれるの?」
と言った。
「ええ。もし良ければ」
すると先生はメルシを連発し、大事そうに自分のクリアファイルにしまった。
よかった!
でもつくづく思うのは、日本語とフランス語の違いである。
フランス語では l'Indépendanceといっただけで、すぐ各指がその他の指につられないで独自に動けること、と想像できるのか?
私なんか 直訳の「独立」だけでは、国や親からの独立しか思い浮かばないけど。
それに la Force(力)も誤解を生まないか?
これも説明がないと、思い切りピアノをぶったたくのがよし、と思われそうである。
ああ、やっぱりことばってむずかしい・・・