夢でささやくピアノ

クラシックピアノとジャズピアノの両立を目指す、ねむいゆめこの迷走記録

電子オルガンブームはどこへ行った

ピアノはブームなのか?

ネットでいろいろなサイトを見ていると、どうも今はピアノブームらしい。子どもたちはもちろんのこと、今までピアノを習ったことのない大人の人がピアノレッスンをはじめるケースがある。

また昔習っていたが、ある時期からやめてしまい、けれども生活環境の変化やコロナの影響がきっかけとなって、ピアノレッスンを再開する人たちが増えたこともあるそうだ。

ちなみに私の場合は、仕事をやめ、プーになり、年齢からいって「もう別に働かんでもええんちゃう?」となり、ヒマな時間が増えたので、その分自然とピアノに向かうようになり、「そしたらやっぱり、先生に習ったほうがええんちゃう?」となったのだ。

 

昭和は電子オルガンブームだった

ところで、それまで大人が楽器を習うことは少なかったのだろうか?ちゃうちゃう。そんなことはない。どちらかと言えば男性が弾こうとするギターに対して、大人の女性がこぞって習ったのは「電子オルガン」だった。

昭和のあの頃、楽器店ではかならず「電子オルガン=エレクトーン」のデモ演奏があった。美しい若い女性が、足さばきも軽やかに、流行りのポップスを弾く姿に人々は魅せらせた。

結婚式場でも、プロ野球のスタジアムでもあの電子音が鳴り響いていた。またエレクトーン講師、という職業が今よりもっと一般的で、私の知人の中でも数人いた。それがねーー私にしたらそれらがいつのまにか、消えてしまったように思えるのだ。

これに限らず、私は良く言えばおっとり、客観的に言えばぼんやりしているので、世の中の変化に気が付かないことがよくある。いつから、スチュワーデスはCAと呼ぶようになったのか? いつから、「おじいちゃんおばあちゃん」より、「じいじばあば」が主流になったのか?  日々の疑問は尽きない。

 

「テクニトーン講師」を目論んだいきさつ

なんて、他人事のように言っているが、この私だって約1年ぐらい、「電子オルガン講師」だったことがあるのだ!

1970年代当時、電子オルガンと、それに付随したお教室はざっくりで、以下のように分かれていた。

4年制大学を卒業しても、まともな就職先が見つかりそうもなかった私は「電子オルガン講師」になれば、カッコがつくかな~と計算したのだった。

そして、講師になるにはいちばん手っ取り早そうな「テクニトーン」を選んだ。それに経営者は、伝説的な松下幸之助氏だしね。あっというまに、ヤマハを追い抜いて電子オルガン業界でトップになるだろうと予想したのだ。

楽器はどうしたかって?もちろん、両親に買ってもらったのだ!当時で約80-90万円ぐらいしたのでは? リッチー? いや、そうではない。高度経済成長期からバブルにかけての日本だった。消費は美徳だった。仮に、私の子どもというか、孫がいたとして、このご時世で、そんな金額の楽器を買ってくれ、と言われたら蹴っ飛ばしてやるのに!

 

このハナシは長くなりそうなので、次回に続きます