年明けの発表会はお食事しながらなんだって
年明けの大人のクラシックピアノ発表会の案内が、先生からメールで送られてきた。
「今回は、眺めの良い創作和食レストランでお食事をいただきながら、ゆるゆるの楽しい発表会になればと思います。」と書いてあった。
食事をいただきながら、ということは、かなりゆるい発表会になるのではないか。
だって、どうしても物音がするからね。
ミスをしてもあまり目立たないだろう。
私が弾く予定にしているドビュッシーの「パスピエ」だって、いつも左手のpのスタカート部分が音抜けしそうで心配なのだが、抜けてようが、間違えていようが、食器の音にかき消されて聞こえないかもしれない。
「なーんだ、全然緊張する必要ないわ」と思い、ほっとしたのが8割、しかしあと2割はどう説明してよいかわからないが、なにかこう、拍子抜けのようなものを感じた。
それはやはり、子どもの頃、発表会といえば、一張羅のワンピースにエナメルの靴をはいて、緊張しながら大ホールで弾いた思い出があるからかもしれない。
小学生のときの発表会とイソベ君の思い出
私が小学生のころ、習っていたピアノの先生は神戸の六甲と、お隣の芦屋にそれぞれお教室を持っていて、発表会は合同で行われた。
阪神間にお住まいでないかたには、ちょっとわからない感覚かと思うのだが、当時の子どもでも、芦屋はお金持ちが住むところだと思っていた。
私は六甲教室に通っていたから、庶民派である。
そして芦屋教室に通っていた(お金持ちのこどもの?)イソベ君が一番上手でいつもトリをつとめ、私はいつもイソベ君の前に弾かされた。
イソベ君はバイオリンも習っていて、ピアノの発表会でもバイオリンも披露した(これはあんまりうまくなかった)。
イソベ君は頭も非常によくて、灘中から灘高へ進学したと聞いている。
灘高から東大の進学率は当時から高かったから、イソベ君は東大へ進学した可能性が高い。
まるで角野隼斗さんみたいだね。
そのイソベ君を勉強で抜くことはとうてい無理だったので、ピアノでは抜きたくてがんばったのだが、とうとう私が彼を差し置いて、発表会のトリをつとめることはなかった。
イソベ君、今はどうしてるのだろう?
財務省の官僚にでもなって、週末はピアノとバイオリンでも優雅に弾いているのだろか?
先生には先生がいることを知ったときの驚き
子どものときの私がいかにおバカだった、の話をもうひとつ。
あのとき何年生だったのか覚えていないのだが、ある年の発表会で、先生の先生が演奏を披露されたのだ。
「あのひとは先生の先生なんよ」と母から言われて、舞台上を見上げたが、先生にはその上に先生がいることを知って心底ビックリした。
私にとってはそのとき習っていた先生が唯一の先生で、先生のそのまた先生がこの世に存在するとは信じられなかったのだ!
子どものための発表会は豪勢なのだ
今の先生は、子どものための発表会は別に行っていて、それは先日、さる大ホールで行われた、と聞いている。
40名以上の生徒が参加したそうだから、40人の子どもプラスそのご両親、ご親戚などが集まればさぞかし壮観だっただろう。
先日、私が先生宅にレッスンに伺ったときは、先生は発表会の写真集を封筒に同封する作業に追われていた。
やはり子どもの発表会は、親御さんの期待が集まるから先生も気合が入るのだろう。
そうですね、先生。
大人の発表会はゆるゆるで、のんびり、おいしいものを頂きながら楽しくいきましょうね。