夢でささやくピアノ

クラシックピアノとジャズピアノの両立を目指す、ねむいゆめこの迷走記録

これまでに出会っていながら気づかなかったバッハのいろいろ

インヴェンションより先にモテットに出会った

私が最初にピアノを習ったのは幼稚園の年少組のとき。

もっとも楽譜と鍵盤の関連性がどうしてもわからなかった幼児には、ちょっとこのお稽古事は早すぎたようで、まともに習い始めたのは、小学校にはいってからだと思う。

この時の先生のおかげで私はピアノに興味をもつようになり、当時の慣習にしたがってバイエル➡ブルグミュラーソナチネソナタショパンワルツ、ノクターンと進むに至ったのだが、どうしてバッハインヴェンションを先生はとりあげてくれなかったのか、今でもちょっと残念に思う。

よってレッスンでバッハのインヴェンション全曲に取り組んだのは、なんと60過ぎの手習い、ということになってしまったのが、それまで私が全然バッハに出会うことがなかったのか、と聞かれるとそうではない。

じつは大学時代、混声合唱のサークルに2年間在籍していた私は、バッハのモテットを歌うため、定期演奏会のステージにたったことがあるのだ。もちろん、そこにいたるまでの、週2-3回の練習にも参加していた。

大学で混声合唱のサークルにはいったわけ

音痴というほどでもないが、歌が上手ではない私が混声合唱のサークルにはいったのは、新入生時、キャンパスを歩いているときに勧誘されたからである。当時は何よりも友人とのコミュニケーションを求めていたので、自分の歌のレベルにはそれほど劣等感は持っていなかった。

入団したサークルは、キリスト教系大学ということで宗教音楽を取り上げることが多かったように思う。100名を超える団員のなかには上手な人もたくさんいたし、某大学の音楽学部から有名な教授を指揮者として招いていたこともあった。先輩のなかには、同じ大学の他の合唱サークルと比べて、歴史や伝統のある当サークルを誇りに思っていた学生も少なくなかった。なのにああ、私は!!

大学の合唱では考えも及ばなかったこと

60を過ぎて、バッハの2声インヴェンション)や3声シンフォニア)を、ピアノレッスンで手ほどきを受けたときに初めて、「あれ、大学での合唱のときには、こんなこと考えなかったなぁ」ということに気づいた。例えば、

  • 2声や3声で驚いていてはいけない。モテット(BWV225)は8声なのだ!バッハの頭の中はどうなっていたのだろう? でも大学時代、ポリフォニー(多声音楽)という用語は聞いたことがなかった。
  • 2声をピアノで、例えば左手が主題のときは、右手は抑え気味に弾く。しかし大学時代の合唱では私の属するパート、ソプラノは「いつも私がメロディー」とばかりに高らかに歌い上げていたように思う。あれでよかったのか?
  • ピアノで「切る、つなげる」などのアーティキュレーションをこんこんと説教されるぐらいだから、合唱でもアーティキュレーションは大事なはずだよね?なのに当時、少なくとも私はドイツ語をカタカナ発音することだけで満足していた。

こういったことを何も考えず、ひたすら交友関係に集中していた私はよほどのアホなんだろうが、言い訳もある。当時はネットがなかったから、調べものがあれば図書館に行くか、有名な先生にすり寄ってお話を聞くしかない。疑問に思ってもそれを解決すること自体、今よりずっと大変だったのだ。

バッハのモテットは絢爛豪華なポリフォニー

60過ぎの手習いで、バッハのポリフォニーにふれるようになって初めて、YouTubeでバッハのモテットを検索して聴いて見た。

わぁーーーすごい! 

こんな絢爛豪華な音楽だったんだ、迫力と繊細さが縦糸と横糸で織り込まれ、全体としては万華鏡で図柄を見ているような気がする。この音楽をやるために若かりしあの頃、「あの日に帰りたい」とも思うのだ。

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