ソナタ「悲愴」でペダルのすばらしさに開眼
私がダンパーペダルのすばらしさに開眼したのは、たぶん小学生高学年になってからだと思う。
それまで習っていたブルグミュラーとかソナチネではペダルを使う機会がまったくなかったと思うのだが、小学校高学年にはいってから、ベートーヴェンのソナタ「悲愴」を習ったころだろうか。
第一楽章のしょっぱなからいかにも悲劇的でドラマティックな「ダーン ダダーダ ダーンダーン!!」というフレーズがある。
このときに初めてペダルを踏むお許しを当時の先生からいただいたのかどうか、細かいことはすっかり忘れたが、ペダルをここで力いっぱい踏むと、「ダーン ダダーダ ダーンダーン!!」が六甲山中にこだまし、いかにも悲劇の幕開けという感じで、小学生の私はこのサウンドの虜になった。
それからは、ペダルを踏むと、多少というか、かなり粒の揃わないパッセージでも誤魔化せることがわかった。
以降、私はペダル愛好家となったのだが、大人になって多少理屈がわかるようになると、「こんな濁った音ではいかんなぁ」と思うようになった。
しかしいかんせん、ペダルの正しい踏み方、というか踏み替え方は習っていないし、自信がない。
ショパンプレリュード4番でのペダルの踏み替え
ショパンプレリュード4番のレッスンはもうこれで3回目となる。
「だいぶ良くなりましたね」
と言われたが、ペダルの踏み替え方がよくないため、今回はペダルの特訓レッスンとなった。
私はこれまで左手和音の音が変わるとき、左手を弾くと同時にペダルを踏みかえていたのだが、これだと音が切れてしまう。
踏みかえるのは、左手を弾いたあと、つまり
- 左手弾く
- 右足踏む
- 右足上げる
のタイミングでないといけない。
楽譜上でいうと下のようになると思う。
熱血漢の先生は、私がペダルをいいタイミングで踏めているかどうかをチェックするために、ご自分の足を、私が弾いているピアノのペダルの上に乗せ、
「さぁ、踏んでみて!」
とおっしゃるのだが、なにかこれは「踏み絵」みたいなもので、恐れ多すぎて困った。
クルマの運転好きはペダルの名手
先生の生徒さんのなかで、62歳になって初めてピアノを始めた、というかたがいらっしゃるそうだが、このかたはのちに「ペダル使い」の名手になったという。
その秘訣は、そのかたはクルマの運転が非常にお好きで、また上手でもあり、横浜から神戸までノンストップで運転することを苦にされず、「アクセルは自分のからだの一部みたい」に感じておられるそうだ。
一度、先生がペダルの濁りを指摘し、クルマを運転するようにペダルを踏んだら、というアドヴァイスをしてから、みるみるうちに上手になり、発表会では聴衆が感嘆するベートーヴェンの「月光」を披露されたらしい。
そのお話に感心したものの、私はといえば、20歳で運転免許をとったものの、以降まったくハンドルを握ったこともない。
今やアクセルはどっちでブレーキがどっち?という体たらくだから、いくらクルマがあったほうが便利な山の中に住んでいても、「運転なんてムリ、ムリ、ムリ」なのだ。
だから、クルマのアクセルとペダルの相関関係について、残念ながらここでうんちくは語れない。
せいぜいショパンプレリュード4番のペダルの踏み替えについては、ゆっくり繰り返し、
- 左手弾く
- 右足踏む
- 右足上げる
の動作を繰り返すしかないのだよ。
ああ、もっと動きが敏捷だった子ども時代にこれを習っておきたかったなぁ。