スマホを忘れて録音ができなかったジャズピアノレッスン
毎日暑い日が続く。
この町に引っ越しを検討していた4年ぐらい前には、関係者から
「山の中ですからね。冬は寒いですけど夏は涼しいですよ。クーラーはいりませんよ!」
と言われていた。
いざ、引っ越してみると地球温暖化が急に始まったわけではあるまい。
あれは営業トークだったのだ!
実際は、「冬は寒く、夏は暑い!」(あたりまえか)
先日、ジャズピアノのレッスンに行ったとき、私はうっかりスマホを家に置いてきてしまったのだが、先生は
「この暑さやからな。そらアタマもボケるわな。」
と暑さのせいにしてくださった。
いやいや、私がぼんやりうっかりしているのは今にはじまったことではない。
たぶん65をすぎてもこのクセが治るどころか、これからもっとヒドくなる可能性のほうが高いと思うよ・・・
自己主張がない私のピアノ
この頃ではクラシックピアノのレッスンでは、レッスンを録音していない。
理由は、レッスンに関係のない話も多いので、それらを飛ばして再生するのがちょっと面倒になってきたからだ。
ジャズピアノのレッスンでも、レッスンに関係のない話もあるが、なにせ楽譜という参照するものがないゆえ、ひたすら先生の演奏に目と耳を澄ませ、先生のお話も理解する必要がある。
が、これがしかしなかなか一筋縄ではいかないのだ。
先日のレッスンではワルツの「Emily」を弾いたところ(もう3か月ぐらいやっている)、
「これ、あんたの性格がようでてるな」と言うのだ。
先生によると、私はまわりの人に気を使いすぎると言う。
つまり、イントロからして、
「すんません、私今からピアノ弾くんですけど、おイヤやったら聞かんといてくださいね。おじゃまやないかしら?」
という風らしい。
そして私の自己主張というか、聴いてほしいところはじょじょに出てくるらしいけれど、出てくるのがあまりにも遅すぎる、と言う。
これは私にはあまり心当たりがない。
そしたらどう弾けと言うのか。もっとフォルテで?力強く?
そういうわけでもないらしい。
先生の助言からすると、もっと最初から用意して、
「さぁ~ 今から弾くぞ!みなのもの、心して聴け!」
というのが伝わってこないといけないらしい。
具体的な改善案として、弾く前に10秒ぐらい瞑想して、
「さぁ、弾くぞ!」という気持ちに自分を持っていくことを提案されたのだが?
誰のためにピアノを弾くのか?
このあたり、まえにも先生と議論をしたことがあったのだが、根本的に考え方が違うのでは、と思う。
私がピアノを弾くのは、100%自分のためである。
自分で弾いて、それを自分が聞いて、自分が心地よく感じることが第一条件で、うるさすぎたり、やかましすぎたりするのは好ましくない。
しかし、私のこの考え方は先生に全否定された。
ピアニストたるものは(私もそのなかのひとりとして)、聴き手に何かを伝えるために弾かないといけないらしい。
そうして弾く人の気持ちと聞く人の気持ちがいっしょになったら、何かが生まれるのだ、と言う。
何かってなになん?
音楽愛? 人類愛? 連帯感?
【自撮り動画】「Emily」を弾きながら考えた
今の先生に習っている限り、一皮むけて(先生の表現)、自分を主張するようなピアノを弾けるようにならないといかんなぁ。
というわけで、ベースもいないソロピアノだが、「Emily」を録画してみた。
まずこれを聞いて、どこをどう直したらいいのか、じっくり考えることにしよう。