叔母の誕生日祝いに介護施設訪問
きょうは先週、台風のため行けなかった延期分として、叔母の誕生日祝いのため、某介護施設を訪問した。
この介護施設で叔母が生活するようになってすぐコロナが発生し、コロナの間は面会はまったくかなわないか、もしくはテレビ電話、あるいはガラスの衝立をはさんで、最大10分の面会、という慌ただしいものだった。
この介護施設のホールには、しゃれた色のグランドピアノが設置されている。
しかし、このピアノを誰かが弾いているのはみたことがない。
介護施設のスタッフはみなさん人当たりがよかったが、それでもお菓子の好きな叔母への食べ物の差し入れは一切許可されないし、面会者にはなにかしらの制限があるのが常だった。
そのため私は、今まで「ピアノを弾いていいですか?」と質問をすることさえためらっていたのである。
しかし、きょうは叔母の息子、つまり私の従兄と一緒で、彼は少々押しが強い。
そしてたぶん彼なりの押しの強さで、スタッフさんの許可を一発でとりつけ、ピアノの前でボンヤリと叔母が連れてこられるのを待っていた私に、大声で叫んだ。
「弾いてええねんて! 弾いて! 弾いて!」
やった!これでおばちゃんにハッピーバースデーを弾いてあげられる!
叔母の記憶が複雑な事情
叔母は現在、93歳。
大阪梅田の一等地にある老舗飲食店の経営者である。
そして度重なる骨折のため、身の回りが不自由になる数年前までは、亡くなった夫が残した店の切り盛りに情熱を注いでいた。
そして現在は記憶があやふやというか、自分が認められる事実だけは受け入れ、受け入れがたい事実は認めていない。
なので叔母のアタマのなかでは、10年以上前に他界した自分の姉、つまり私の母はまだ生きていることになっている。
まっすぐに瞳をこちらに向け、
「それでお母さん(自分の姉のこと)は元気にしとってやの?」
とたずねる。
私も、ニコニコしながら
「元気、元気。
いっつも○子(叔母のこと)は元気にしてるか?って同じことばっかり聞くけどね」と言う。
「え?そう?私のこと聞いてくれるの?」
と叔母の嬉しそうな顔。
この部分だけを他人様にハナシをすると、いわゆる認知症の症状に近いと思われるにちがいない。
しかし、叔母が子どものいない自分の息子や姪である私に、
「子どももおらへんかったら、この先どうするつもりやの!」
と叱責するのを聞いたら、誰も彼女を認知症とは思わないであろう。
そういうときには叔母は、実に理路整然とした弁がふるえるのである!
叔母のためにハッピーバースデーとテネシーワルツを弾く
さて、めでたく叔母にピアノでハッピーバースデーを弾いて花束贈呈後、叔母の好きな曲を弾いてあげようと思い、従兄に聞いて見た。
「おばちゃんは、どんな曲が好きやの?」
「知らんわ!そんなん!」
そうかー。
亡くなった私の母はタンゴが好きだったけれども、叔母の趣味まできいていない。
チャラチャラとピアノでアルペジオを鳴らしながら、ふと、
「おばちゃん、テネシーワルツはどう?」
と聞いてみた。
このときの、叔母のハッと明るくなった表情をきっと私はいつまでも覚えているだろう。
叔母は「テネシーワルツ、テネシーワルツ!」とはしゃぎ手を叩いた。
私はどうにかこうにかテネシーワルツを弾いたが、こういうことになるのだったら、練習していったのになぁ。
江利チエミの「テネシーワルツ」
このあと、従兄が
「美空ひばりの『川の流れのように』とか『愛燦燦』はどうやの?」
ごめん! 私そういうの知らんねん。
知ってる曲やったらなんでも弾けるけど、そういう歌は一部しか知らんからあかんわぁ~。
あとで思ったのは、どうしてあのとき坂本九の「上を向いて歩こう」を思いつかなかったのだろう?
あれだったらテネシーワルツよりずっと上手に弾けるのに。
まぁ きょうはしようがない。
こんどは美空ひばりナンバーをいろいろ練習しておこう。
それでは1952年の江利チエミの大ヒット曲、「テネシーワルツ」お聞きください!