バッハコンクールは暗譜不要
次回からのクラシックピアノのレッスンでは、バッハコンクールで弾く曲をとりあげることに決まった。
ところでバッハコンクールでは課題曲があるわけではない。
いや、多分幼児から高校生、大学生までは何かしら課題曲があったと思う。
いつもそうなのだが、自分に関係のないカテゴリーのところはほとんど説明を読んでいないので、確かなことは言えない。
確かなことは私の属する「一般A」では、バッハの曲の中から自分の好みのものを選べること、そして何より「視奏可」、つまり暗譜しなくてもよいことが、私がバッハコンクールを選ぶ大きな理由なのだ。
3か月もバッハ漬けは耐え難い
バッハコンクールにエントリーするつもりで、パルティータ1番からプレリュードとアルマンドを数か月まえから自主練しているのだが、もう譜読みは終わっている。
ミスタッチもほとんどなくなった。
けれどレッスンになったら、またアーティキュレーションをいっぱい訂正されるのだろう。
きっとずいぶん時間がかかるのだろうなぁ。
ああ、あと3か月、私はひたすらパルティータ1番のプレリュードとアルマンドばかりを弾く毎日なのか?
なんかイヤ、なんか退屈、なんかつまらない・・・
シューマンはヘンレ版をすすめられた
そこで私は信じられないことを先生に言っていた。
「先生、私ヒマなんです。
バッハばかり弾くのも何なので、ほかに宿題はありませんか?」
と軽やかに弾いてくださった。
もちろん軽快でエレガントなこの曲は、私の好みビッタシである。
ただ、正しいテンポで弾いても7分くらいかかるのが玉にきずなのだが・・・
「私、この曲大好きなんです!じゃぁ、これもやります!
楽譜はやっぱり春秋社がいいのですか?」
アラベスク1曲だけ、というのもありますから」
シューマンの精神病が子どもの頃には怖かった
ところで私はこれまでシューマンの曲を1曲もレッスンでやったことはない。
かろうじて子どものときの自主練で「トロイメライ」を、そして直近では英国王立音楽検定の課題曲の「見知らぬ国と人々について」をかじったぐらいなのだ。
そしてほかの曲もあまり知っているとは言えない。
なぜか?
ひとつには私の子ども時代の愛読書に世界の作曲家の伝記があったのだが、それを愛読するうち、シューマンが精神を病んでいたことを知り、子ども心に彼のことが怖くなったのだ。
今の子供なら鬱病やら認知症やら、心の問題には免疫があるのかもしれないが、昭和の子どもには精神病=気狂いで、とんでもなく悪い病気に罹った人のように思えたのだ。
すまんなシューマン、私はあなたのことを誤解していたみたいだよ・・・
ヘンレ版の楽譜を860円で入手
家に帰ってさっそく「シューマン: アラベスクハ長調 Op.18/ヘンレ社/原典版」の価格をアマゾンで調べると、1,760円もする! たった1曲だけなのに!
高いなぁ~
こういうときはすぐメルカリで探すことにしている。
そして幸いなことに、メルカリで新品同様のこの楽譜を860円で出品しているかたがいらっしゃった。
そして2日後・・・
楽譜ははや、私の手元にある。
出品されたかたがどういういきさつで手放されたのかはわからないが、縁あってこの楽譜はウチにやってきたのだ。
ありがたく使わせていただこうではないか!
前田勝則さんのシューマン「アラベスク ハ長調Op.18」