夢でささやくピアノ

クラシックピアノとジャズピアノの両立を目指す、ねむいゆめこの迷走記録

昔ながらの全音ハノンの子供っぽさにほっとする

全音楽譜出版社「全訳ハノンピアノ教本

ついに購入してしまった人生3冊目のハノン

えーと、ついに買いました。

人生3冊目のハノン。

1冊目は全音版で子どものときだったから、親に買ってもらい、2冊目の音楽之友社版を買ったのは、クラシックピアノのレッスンを再開することを決意したのがきっかけだから約4年前。

そしてどうしても音楽之友社版の見た目(譜面の割り付け方とか文章とか、その他)が気に入らず、ずーーーーっとガマンしてきたが、ある日突然、「こんなにイヤなものを我慢しているなんて本末転倒ではないか?」と思い至った。

そして街に出るたびに大型書店の楽譜売り場に置いてある全音のハノンを手に取って、しげしげと眺め、どうしょっかなぁ~ 税抜きで1,300円もするしなぁ、ハノンのコレクションをしてもしょうがないしなぁ~、買ってもほんまにやるのかなぁ~となかなか決断できないでいた。

しかし去るレッスンの日、先生からスケールアルペジオの必要性を説かれてから、とうとう私は重い腰をあげたのである。

ひょっとしたらハノンは指の独立に効果があるかも?

それではスケールアルペジオをやるために、またハノンを買うとしたら、1番から31番までの指の練習みたいなのはもうやらないのか?

ウーン、これは本当に答えにくい。

なぜかというと、あまり認めたくないのだが、このハノンの1-31をハ長調でもよいので通して弾くことを1週間も続けると(ただし、弾き方に気をつけながら)、あらら不思議、なぜか指が以前より廻るような気がするのだ。

しかし「気がする」だけで、何の根拠もないのだが。

そしてツェルニー30番を1-30まで通して弾いてみても、同じような感覚は得られない。

ハノンをやったあとだけに得られる、カラダのストレッチをやったあとと同じような心地よい疲労感とは、これ、何なのだろう?

全音ハノンは対音楽之友社に5勝0敗

家に帰ってしげしげと購入した全音のハノンを調べてみた。

そして音符はもちろん一語一句が、50年以上前に買ったものとまったく変わらないのに感動した。

どういうことかというと、

  • 音楽之友社のように音階の上行、下行を省略していない。
  • 全音は音符のフォントもひとまわり以上大きくて、老眼にはありがたい。
  • 全音アルペジオも右手、左手を省略せずに全部記載している。
  • 音楽之友社譜面立てに置いてページをめくるとすぐボワーと閉じてしまうが、全音のはまんなかあたりでもしっかり開いてくれる:製本の仕方が違うのか?
  • なかの説明文が音楽之友社は「せよ」「しろ」と、いわば大人にたいするような命令形であるのに対し、全音は小学生に対するように「ひきましょう」「気をつけましょう」と、です・ます体であたりがソフト。

つまり私にとっては全音の5勝0敗と圧倒的勝利なのだが、ここまで音楽之友社にケチをつけていいのかね?

だんだん怖くなってきた。

(左)全音アルペジオ (右)音楽之友社アルペジオ

ハノンのことばが私の楽観主義を助長したのか

しかし私がここまで全音版を支持するのは、やはりこれに初めて接した時の子ども時代の思い出のせいであろう。

たとえば、「あとがき」ではハノンのことばとして、以下のように書かれている。

・・・本当に学んだことが実を結ぶようにするためには”一定期間”毎日この本全部をひかなければなりません。全部をひいてもたった1時間です。大きな実がなることを思えば、それはほんのわずかな仕事ですね・・・

さて、子ども時代にこの文章を読んだ私はどう思ったか?

なぜだか知らないが「1時間も弾くの?」とは思わなかったのである。

逆にこの本を毎日全部弾いたらどんな曲でも弾けるようになるのだから簡単なことだ、と解釈したのである。

そして目の前の霧が晴れたような気がした。

その気になればピアニストになるのは、むずかしくないような気がしたのである(そして永久にその気にはならなかったのだが)。

内気で人見知りが激しい子どもだったのに、この楽天主義はどこからきたのだろうと不思議に思う。

小学生で、すでに人生がとても簡単なことのように思えたのは、このハノン先生のことばがあったからではないかと思われてならない。