クラシックピアノとジャズピアノの違い
ジャズピアノ教室でいっしょの友人たちも、私と同じように、子ども時代はクラシックピアノを習っていたようだ。
しかし今、彼らがクラシック音楽に興味をもっているようには見受けられない。
だから彼らからすると、大人になってからわざわざクラシックピアノのレッスンを再開した私は、ちょっと違ったタイプの人間らしく、
「タッチが違うから大変なことない?」
と聞かれることもあった。
そうだ、同じピアノといってもクラシックとジャズではタッチというか、弾き方は違うのか、また違わなければならないのか?
ピアノは打楽器なのか?
そう言えばそれで悩んでいた時期もあったのに、最近ころっと忘れていた。
思い起こせば、今のジャズピアノの先生に習い始めた頃は、姿勢からはじまって音の出し方、アクセントのつけ方まで小姑のように(?)いろいろ言われていたのに、最近では何も言われなくなっていた。
あるとき、子どものときにクラシックピアノを習っていた友人のひとりが、
「クラシックってふわっと鍵盤に指を置いて、弾き終わったら手首をあげるよね」
と言った。
「うん、だいたいそうやね。
私もそう習った記憶はないけど、クラシックを弾いている人の動き見てたら、だいたいそんな感じやね。
たぶん手首をあげることで脱力してるのかな?」
「でも、あの弾き方ってジャズには合わないよね。
子どものときは、ああゆう風に弾いたらいい音がでます、って習った気がするけど」
「私も今の先生に習い始めの頃はそうやって弾いていたらしくて、よく注意された。
『そんなことやってたら、打鍵のスピードが遅くなるからあかん』って!
『鍵盤はすぐ打つ!叩け!』って。
『ピアノは打楽器なんやから』だって。」
そうだ、たぶんクラシックピアノ専門家で、ピアノ=打楽器という捉え方をしているひとは少数派ではないだろうか?
中村紘子さんにピアノを叩くと言ってはいけない
先日、中村紘子さんの著書「ピアニストという蛮族がいる」を再読した折、ちょっと気になる箇所があった。
(中略)今日でも依然として、ピアノを「弾く」という代りに「叩く」という言い方をする人々がいる。べつに深い意味をこめて言っているのではないと思うのだが、私はそれを耳にする度に「ピアノは叩くものではなく、弾くものです」と訂正したくなる気持ちを押えるのに苦労する。ピアノは断じて「ぶっ叩く」ものではない。
中村紘子さんは純クラシックピアニストだったから、こういうご意見はもっともだという気がする。
しかし音楽のジャンルを、ジャズだったりロックだったり、民族音楽にまで拡げたら、ピアノを「叩く」は大いにありではないかと思うのだが。
別にゲンコで叩いたり肘打ちをするのではなくても、だ。
ピアノの特殊奏法
ところでゲンコや肘打ち奏法が有名なピアニストと言えば、ジャズピアニストの山下洋輔さんである。
以下の動画の1:44あたりなのだが、井上陽水さんの
「どうしてそういう奏法をはじめたのですか?」
という質問に対し、
「ドラムがバーーンとくると、ピアノでも『何を!』と、返したくなって」
「現代人はああいう音が好きなんですね。
自分の心境を表すには、こんな奇麗な音じゃない、とか」
と答えている。
なるほどクラシックピアノの場合は、ソロでの演奏が一番多いかと思うが、ジャズでは他楽器とのセッションが普通だ。
だから「やられたらやり返す」のもありか。
しかしさすがの山下洋輔さんも、井上陽水さんとのセッションではリリカルなピアノを「弾いて」いる。
でもやっぱりソロパートでのタッチは「叩く」に近いものがあるかな?