ヴィキングル・オラフソンの大阪公演
きょうは何か月も前から楽しみにしていたヴィキングル・オラフソンの大阪公演。
去年の夏、初めてYouTubeで彼のシンフォニア15番を聴き、圧倒された。
それ以来、クラシックピアニストのなかでは、彼が一番のお気に入りなのだ。
開場前はこんな感じ。
やはり、というか年齢層は中高年が主流で、10-20代の若者はあまり見かけない。
公演が始まるまでは写真を撮っていい、と言われたので、ピアノの写真を撮ってみた。
ピアノもピアノだが、バックに控えたパイプオルガンの圧がすごい。
そう言えば、バッハコンクールの大阪本選はここで行われるのだっけ。
一生に一度はこんなところで弾いて見たかったのだけれど。
初めてぶっ通しで聴いたゴルトベルク変奏曲
さて開演時間の午後2時となり、演出としてピアノだけにスポットがあたり、客席一帯は暗くなった。
そこであらわれたオラフソンさん!
でかーーい! 一体身長はいくらぐらいあるのだろう?
この記事を書く前にザザザーとネットを斜め読みしてみたが、みつからなかった。
でも190cm近くはあるのだろうか?
ピアノがそれほど大きくみえないし、ベンチ型の椅子がとても小さく見える。
そしてアリアから始まったゴルトベルグ変奏曲。
バッハのゴルトベルグと言えば、すぐにアリアが検索に上がってくるから、私をも含めてこれに馴染みのあるかたは多いのではないかしら?
そしてこれを聴いて、「ひょっとして弾けるかも?」と思って楽譜を買った人は、できれば私だけでないと思いたい。
譜面のおたまじゃくしを鍵盤でなぞるだけなら、私にも過去、なんとかできた。
しかし変奏曲が進むにつれて、
「あー これは無理無理」
と悟り、それ以来楽譜は本棚に突っ込んだままである。
それだけでなく、ゴルトベルグを全曲聴くこともやめてしまい、全曲ぶっ通しで聴いたのはきょうが初めてだったのだ!!
なぜ睡眠男性が続出したのか?の謎
演奏がはじまってから10分ほど経ったとき、私は異音に気がついた。
場内は暗いが、目を凝らさずともわかったのだが、私の右横に座っていた年配の男性がいびきをかいて居眠りを始めたのである。
なんで寝るのよ!
寝てもいいけどいびきだけはやめてよ!
心の中で毒づきながら、ふと通路をはさんだ左側の紳士に気がついたが、この人もコックリ、コックリしていた。
そしてその前の紳士も。
アタマに下がり具合から、私のちょうど前に座っている紳士も。
男たちよ!
おカネを払ってコンサート会場に来ていながら、オラフソンが渾身のバッハ ゴルトベルグ変奏曲を聴かせてくれているのに、なんで寝るねん! まったく!!
オラフソンの動きをじぃーーーーーーーーと見ていた
オラフソンの演奏は、私には期待通りの素晴らしい演奏だった。
ピアノはかぎりなくピアノに近く、聞こえるか聞こえないかの極限まで。
速いパッセージは機関銃のように速く、しかも正確。
しかし機械的、人工的には聞こえない。
自然界の音、つまり風や光の流れのように、温かみがあり、かつ規則的である(だから男たちを夢の世界に誘うのか?)
私はひたすら彼の動きをじぃーーーーーーーーと見ていた。
背中は弾いている時間の90%、まっすぐで、まるで背中に定規をいれたようである。
そして弾きながら、腰を中心に大きく上体が回転している。
まるでコマが大きく円を描いて廻っているかのようである。
ときおり、ほんのときおりだが、細心の注意を払いたいパッセージのときだけ、アタマが鍵盤の上にかがみこむ。
そして右足はほとんどダンパーペダルの上においたまま。
時折、うちの夫ちゃんの貧乏ゆすりのように、細かく動いているときもある。
反して、左足はソフトペダルを踏んだり、踏んでいない時はかなり後ろに下げているときも多い。
これには何か意味があるのか?
アンコールはIMPOSSIBLEだった
全曲が終わってもちろん聴衆は割れんばかりの拍手。
(ただし私の右にいた、いびき紳士はまったく拍手をしなかった)
アンコールを促す拍手に応えて彼は2回、舞台袖へ引っ込み、また現れた。
そして3回目。
指揮者がやるように、聴衆の拍手を両手で結びながら、
「きょうは来てくださって本当にありがとう。でも
ゴルトベルグを全曲弾いた後で、アンコールというのはIMPOSSIBLEなのです。
このあと、管楽器のグループ(清水靖晃&サキソフォネッツ)がゴルトベルグをやりますから、どうぞそれをお楽しみに聞いてください。
THANK YOU OSAKA!」
と引っ込んでしまった・・・
理屈はわかるけれど、私は最後に初心者でも弾けるバッハの曲をさらっと弾いてほしかったのだ!
ああ、私に勇気があったなら・・・
「インヴェンション、プリーズ!!」
と叫んだのに!!